活版印刷の故郷を訪ねる旅の最後の場所は四川北路の小学校だった。 戦前まで日本人居留民が最高で10万人も居たという虹口は四川北路を中心にして発展した。 明治36年、幼児の数が増えたことから日本尋常高等小学校を建設することになった。設計は平野勇造、場所は四川北路の繁華街横浜橋付近で、現在の上海市実験中学のあるところ。 繁華街の一郭の細い路地を入ると教会の建物が残っている。もとは広東人の信者のためのキリスト教会だったが現在は上海の四川北路小学校が体育施設として利用している。廃墟のようになった旧教会の中を見学し北の窓越しに実験中学の前庭を望む。そのあたりがかつての美華書館印刷場だっただろうと踏む。 勇造が小学校の設計に入った数年前、隣の敷地に印刷工場が建てられた。これがアメリカ長老会の教会専用美華書館印刷場で、この教会に所属していた技師ウィリアム・ギャンブルが金属活字を日本にもたらしたことで我が国