増田で何度か大炎上した経験から増田で知性のカケラも感じさせずブチギレてる人たちを分析してみると、いろんな話を 真実、客観的に認められた事実、主観的事実、伝聞、ポリコレ、お気持ち表明、願望、 くらいのざっくりしたレベルにすらうまく分類できてない気がするんだよな 事実に気持ちで殴りかかってきたり、願望的なお気持ち表明に対して誰もが知ってて前提にしてる事実をドヤ顔で披露してきたり 同じ日本語を使っているから言葉が通じるように錯覚してるけど全然通じていないことも多い
まず、土と水の混合物という意味での「泥」(以下「ドロ」と書く)ではない、生きものとしての「泥」(以下「デイ」と書く)については、中国の沈如筠が書いた『異物志』という書物で紹介されているという。 泥为虫名。无骨,在水则活,失水则醉,如一堆泥。 泥は虫の名である。骨がなく、水に在ればすなわち活き、水を失えばすなわち酔う、一堆の泥のごとし。 『能改斎漫録』『夜航船』などにも同様の記述がある。なぜ「水を失えば酔う」のかといえば、言い伝えによると「デイ」は身体から酒を分泌しているので、周囲に水が無くなると自分の酒で酔って、ドロのようになって死んでしまうかららしい(が、この言い伝えのソースも不明なので信用できるかどうか)。おそらくナマコかクラゲのようなものを指しているのではないかと思われる。 「酔如泥(泥の如く酔う)」という表現の初出は『後漢書』の周沢伝だ……という説が一般的なのだが、現在の『後漢書』
たとえばユークリッド幾何学での直線は「幅をもたず、両側に方向に無限にのびたまっすぐな線」だそうですが、これも「幅」とは?「(幅を)持つ」とは?両側とは?「方向」の定義は?「無限(限りが無く)」とは?そもそも「限り」って何?「のびる」とは?「まっすぐ」とは?「線」と結論づけるのは循環論法じゃないの? と突っ込む人にとっては厳密ではなくなっていませんか? ここで、これらの言葉の意味は、国語辞典に載っている意味と同じものだよなどといおうものなら、それこそ数学の厳密性を否定したようなものになってしまっていると思います。 たとえば「方向」を調べたら「向くこと」とでます。これを調べると「物がある方向を指す」というふうに出ます。これは循環論法に陥ってますし、「物の正面があるものに面する位置にある」という別の語釈もありますが、物とは?正面とは?面するとは?位置とは?となります。これを繰り返せば結局どこかで
「言語解読」ものとでも呼ぶべきジャンル 大好き 好きだけど探すのがなかなか難しい 「言語解読」ものというジャンル名で確立されているわけではない 「ファーストコンタクト」もの、「異世界転移」もの、「漂流」ものなどのサブジャンルとして「言語解読」ものがあるイメージ ノンフィクションの言語解読(翻訳と呼ぶべきか)の逸話も面白い とりあえず言語解読要素のあるやつで思い出せる奴を全部リストアップしてメモしておくか…… それぞれの最初の取得語彙は何か?みたいな観点で串刺しするのも興味深そうだ まあだいたい「私」「あなた」「それは何?」の語彙獲得を目指しているイメージがあるが 『あなたの人生の物語』:小説/映画、既読 『星を継ぐもの』:小説、既読 『おろしや国酔夢譚』:小説/映画、未読 『蘭学事始』:自伝(でいいのか?)、未読 『異世界転生したけど日本語が通じなかった』:小説、途中まで既読 『ヘテロゲニ
別に何の言語でも良いけど、とりあえず自分が手を出せそうなpythonを題材にする 恥ずかしながら、Webアプリケーションの世界しか知らないから、有効な使い道が分かっていない Pythonを使えば、スタンドアローンなアプリケーションも作れるし、コンソールベースのバッチも作れるって言うのは分かる でも、自分が思い浮かぶサービスは、ブラウザベースのアプリケーションで事足りる 例えばwebページのスクレイピングをして、その結果を分析してユーザーが見たい形式で表示するアプリケーションを作りたいとする 軽く頭の中で設計すると、分析の要件定義さえ出来れば、jsとphpとWebサーバー周りをこねくり回せば大体作れるだろうな…っていう結論にいたる 視野が狭いだけなんだろうけど、勉強するモチベーションを捻出出来ない
ロシア人やウクライナ人とのやり取りを和訳してくれてる増田に、こんな一節があったから、気になって書いてみることにしたよ! ——ロシア語で「ウクライナで」はどうしてв Украинеではなくна Украинеなの? anond:20220428221434 この問いに答えるにはスラヴ諸語における「ヴ」と「ナ」の違いを理解する必要があるよね! スラヴ諸語における処格(前置格)スラヴ諸語はインド・ヨーロッパ語族に含まれるけど、インド・ヨーロッパ語族に属する言語は豊富な格変化が特徴だね!(英語は格変化がほとんど失われちゃった異端児だけど!) 格の数は言語によって違うけど、スラヴ諸語はおおむね6+1格だね! +1っていうのは、呼格、つまり「おーい、○○よ!」って呼びかけるときに使う格のことだね! これは元々スラヴ祖語にあった格なんだけど、ロシア語では(「わが神よ!」みたいな文語表現を除いて)失われち
凄過ぎ。 つい最近、30代で他業種に転職したんだが、当時のノート見返してみても何書いてるかさっぱりだったわ。 新人の頃のノートなんて残ってないけど、その時も聞き取れた単語をぐちゃぐちゃに書き取ったようなものだった気がする。 仕事を覚えてくるにつれて、段々読みやすく、要点を抑えたものになっていくもんじゃないの? みんなそんなに始めから完璧なメモ取れてたの? マジで? ずっと定形発達のつもりで生きてきたけど、私がおかしいのか。 関係ないけど、日本社会て徒弟制的なものの影響力強すぎない? 新人がやる仕事なんて基本誰でもできるような仕事だろ。 専門性の高い仕事ならそもそも新人に任せるなって話だし。 みんなコンビニのアルバイトとかやったことある? 私、新卒後色々あってコンビニバイトしてたんだが、最近のコンビニのマニュアル化は凄いよ。 マジで、全ての業務が言語化、フロー化されてて、上から順番にフローを
最近、二次元に魂を奪われ二次創作に萌える二次豚とでも呼ぶべき存在どもが、「公式が勝手に言ってるだけ」「原作とアニメで言ってないだけ」という種類の鳴き声を発明した。 歴史学などの一部学問においてはこうした態度が倫理的に要請されてきた、ということはニコニコ大百科でも指摘されているが、そもそもこうした態度はここ半世紀ほど「文学」「テキスト」「作品」といった物事を専門家が語るために用いられてきたものがほぼ起源であろうと思う。「テクスト論」と呼ばれるものがそれである(構造主義の話はしません)。 すなわち「勝手に言ってるだけ」「言ってないけど言ってる」は、文学者がこの半世紀格闘し続けてきたテーマなのである。ちなみに本稿は、加藤典洋『テクストから遠く離れて』をなんとなく参考にして書かれたので、興味のある方はそちらも読まれるとより楽しいかと思う。 さて、半世紀ほど前まで、たとえば夏目漱石の作品を批評する、
相手が言っていることがよく聞き取れなくて勘で返事しているみたいな漫画がバズっていたけど、自分もよくそういうことあるんだよな。 周りの音がうるさいとか関係なく、ちょっと早口で言われるととたんに理解にバッファができる。 で、思い出したのがテレビと映画のこと。 テレビだと喋っている言葉がぜんぶテロップに出る。だから聞き取れないってことはない。 面白いのが他の国のテレビ番組だとこういう演出にならんのよな。 アメリカ、フランス、韓国、中国、どこのテレビを見ても喋っている言葉を全部テロップに出しているところなんてない。 それと日本映画。黒澤映画のころから「喋っていることが聞き取りにくい」っていう感想がある。 最近の日本の映画もぼそぼそ喋っていてなに言っているのか聞き取りにくい。 でも、聞き取りやすい喋り方になると、途端に演技っぽい不自然な感じになるのよな。 これってもう日本語自体が「聞き取りづらい言語
ⓘ人気コメント算出アルゴリズムの一部にヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています さっきまでは無かったのでここ1時間~数十分くらいで変更されたのか 「建設的コメント順位付けモデルAPI」ってのはこれか Yahoo!ニュース、不適切コメントへの対策として導入している深層学習を用いた自然言語処理モデル(AI)のAPIを無償提供開始 - ニュース - ヤフー株式会社 Yahoo!ニュース、不適切コメントへの対策として導入している 深層学習を用いた自然言語処理モデル(AI)のAPIを 「NewsPicks」、「攻略大百科」、「ママスタコミュニティ」へ無償提供開始 - ニュース - ヤフー株式会社
先日、市役所で住民票発行されるの待ってるとき、目の前に2歳くらいの女の子とお母さんらしい女性がいたんだわ。子供の挙動って見てて飽きないもんで、観察してて面白いから、(俺なりに)不審者にならないように注意しながら眺めてたんだよな。 その女の子、この子がまあよくしゃべるしゃべる、彼女の視界に何が映っているのか、あらゆるものについて母親に次々に説明しまくる。壁のポスターだとかガラスケースの中に置かれたぬいぐるみだとか、自分が見ているものについて機関銃のように話し続ける。 このぐらいの年齢って、身の回りの世界について自分で表現できる言葉のパワー? みたいなものが実感できて、めっちゃ楽しい時期なんだろうか。俺には子供いないからわかんないけど、2歳くらいって大体みんなこう? でも、こんなよくしゃべる子供見たことねえし、この子がやっぱ、どっか変わってんのかな、すげえヤツだな、っていうかお母さん大変だ…と
この増田のおかげで「正しく恐れる」という言葉の胡散臭さの正体が分かった気がするので、自分も昔興味のあったことに合わせて参考までに報告しておく。 ペルクゼンというドイツの言語学者がいる。有能だけどそれほど有名にならなかったこの学者の本は、日本語版に限って学術図書の豊富な大型図書館の片隅に、ポツンと埃も積もりかけた一冊が所蔵されているに過ぎない。だが、唯一の日本版のタイトルでもあるこの『プラスチック・ワード』という言葉はなかなか示唆に富んでいる。この言葉の定義は、ざっくり言って次のようなものだ。 いかようにも成形可能でコンテキストも中心的意味も持たず、歴史と切り離されている。にもかかわらず権威があって他人を精神的に拘束する作用がある。 ペルクゼンは現代世界はこのプラスチックワードに汚染されつつあると考えていた(ちなみに超うろ覚えだが、当時いっしょに仕事をしていたイバン・イリイチは「最大のプラス
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