そもそも、左派(あるいはリベラル?)とヲタというのは社会における「目指すべき場所」のパラダイムがぜんぜん違うので、左派対ヲタという対立軸を作ることそのものがずれてる。もちろん、左派とヲタの親和性、という軸もずれてる。 何がずれているかというと、左派がヲタの語る自由を善悪の点で評価してしまうってことにあるんだと思うんだよね。一方でヲタ側はそのインモラルな部分をあけすけにしようとしすぎなんだよね。それは本質的には正義で語るべきことではないし、そういう悪(犯罪としての悪ではなくね)を飲み込めるのが本来のリベラルであるべきと僕は思っているのだけど。 現実の社会ってのは妥協によって成り立っているのに、思想の一番極端なところを「ベースライン」として実現しようとしたらそりゃ衝突するわ。 だから、この話はあえてこの話を語っている人たちに問題があるというか、意味ない話をしているだけなんじゃなかろうか。真面目