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マルコ・ポーロ 東方見聞録 英語の検索結果1 - 8 件 / 8件

  • nix in desertis:2020受験世界史悪問・難問・奇問集 その1(上智大・慶應大)

    今年も無事に公開に至ることができた。協力してくれる方々に感謝を申し上げたい。今年は通常の校正者以外の手も借りないといけなくなるような問題もなく,比較的スムーズに進行した。 <収録の基準と分類> 基準は例年とほぼ同じである。 出題ミス:どこをどうあがいても言い訳できない問題。解答不能,もしくは複数正解が認められるもの。 悪問:厳格に言えば出題ミスとみなしうる,国語的にしか解答が出せない問題。 → 歴史的知識及び一般常識から「明確に」判断を下せず,作題者の心情を読み取らせるものは,世界史の問題ではない上に現代文の試験としても悪問である。 奇問:出題の意図が見えない,ないし意図は見えるが空回りしている問題。主に,歴史的知識及び一般常識から解答が導き出せないもの。 難問:一応歴史の問題ではあるが,受験世界史の範囲を大きく逸脱し,一般の受験生には根拠ある解答がまったく不可能な問題。本記事で言及する「

    • 歴史的に貴重な中世アイルランド語写本「リズモアの書」、英国からアイルランドへ帰還 | Call of History ー歴史の呼び声ー

      中世アイルランド文学の重要な写本の一つである「リズモアの書」が、現在の持ち主である英国の貴族デヴォンシャー公爵からアイルランドの国立大学ユニバーシティ・カレッジ・コーク(University College Cork, UCC)へ寄贈された。1640年代に戦争で持ち去られて以来、約380年ぶりの返還となる。 「リズモアの書(英語” Book of Lismore “, アイルランド語” Leabhar Leasa Móir “)」は中世のアイルランド南部マンスター地方で最大の領主であったカーベリー領主(Lord of Carbery)の第十代当主フィンギン・マッカーシー・リーク(” Finghin MacCarthy Reagh” , 1478-1505)のために編纂されたゲール(アイルランド)語写本である。 リズモアの書に収録されている物語はアイルランドの聖人たちと関連する黙示録の物語、

        歴史的に貴重な中世アイルランド語写本「リズモアの書」、英国からアイルランドへ帰還 | Call of History ー歴史の呼び声ー
      • 前篇 室町時代は「自習の時間」? | ヤマザキマリ×清水克行「歴史は民衆によって作られる」 | ヤマザキマリ , 清水克行 | 対談・インタビュー | 考える人 | 新潮社

        『室町は今日もハードボイルド』刊行記念対談 著者: ヤマザキマリ , 清水克行 室町時代という「最も日本らしくない」時代の庶民を生き生きと描いて話題となった『室町は今日もハードボイルド』。著者の清水克行氏は、『テルマエ・ロマエ』や『プリニウス』で古代ローマの生活文化を描き続けるヤマザキマリ氏にずっと親近感を持ってきたという。一方のヤマザキマリ氏も、清水氏の同書を「思い込みや予定調和から解放される本」と絶賛。中世日本と古代ローマをとおして人々やその生活文化について考え続けてきたお二人が、コロナ下の日本と世界について縦横無尽に語り合いました。 日本中世の「ステイホーム」 ヤマザキ まさか自分の人生でパンデミックを経験することになるとは思いませんでした。 清水 疫病なんて歴史の年表の中の話でしたよね。皆が疫病のリアリティーを知ってしまったので、これからは創作の中でも疫病の描き方が変わってくるので

          前篇 室町時代は「自習の時間」? | ヤマザキマリ×清水克行「歴史は民衆によって作られる」 | ヤマザキマリ , 清水克行 | 対談・インタビュー | 考える人 | 新潮社
        • 世界三大◯◯一覧!かなり面白いけど誰が決めたの?

          世界三大料理とか世界三大美女など 世界を代表する3つの物事について紹介します。 ただし、日本基準のものが多いので海外の方からすれば異議ありな内容もあるので要注意です。 世界三大美女 クレオパトラ楊貴妃小野小町小野小町を含めるのは明治時代に日本人が言い出した事で 世界三大美女は クレオパトラ楊貴妃ヘレネーという資料もある。 クレオパトラ(紀元前69年 - 紀元前30年)はプトレマイオス朝の最後の女王でガイウス・ユリウス・カエサルやマルクス・アントニウスなどの偉人とのロマンスは有名 フランスの哲学者ブレーズ・パスカルは「クレオパトラの鼻がもう少し低かったら、歴史が変わっていた」と評していた 楊貴妃は唐の9代皇帝、玄宗皇帝の寵姫で玄宗が楊貴妃にうつつを抜かし過ぎて安史の乱が起きている 傾国の代名詞と言えば楊貴妃という感じ 小野小町は平安時代(9世紀)を生きた女流歌人。六歌仙、三十六歌仙、女房三十

            世界三大◯◯一覧!かなり面白いけど誰が決めたの?
          • 「人種」という「枠組み」はいつ発明され、いかに日本人に適用されていったのか?|じんぶん堂

            記事:明石書店 ロテム・コーネル著、滝川義人訳『白から黄色へ――ヨーロッパ人の人種思想から見た「日本人」の発見』(明石書店) 書籍情報はこちら 「日本人」は「白い人」とみなされていた、と聞くと、あなたは驚くだろうか。 マルコ・ポーロの13世紀の旅行記である『東方見聞録』には、日本人は「肌が白く、文明的で、器量がよい」と記されていた。もっともポーロは中国で伝聞を聞いただけで、日本に行ったわけではない。しかしこの記述は欧州世界に影響を与え、16世紀にポルトガルやスペインの宣教師や商人が実際に日本に訪れるようになっても、日本人の肌を「白い」と形容した記述が多数記されるようになった。 コーネル氏によれば、アジア人の肌の形容として「黄色」が出現するのは17世紀からである。そして、日本人が劣位に位置づけられるようになったのは、18世紀になってからだった。 「人種」という概念の発明 だがコーネル氏のこの

              「人種」という「枠組み」はいつ発明され、いかに日本人に適用されていったのか?|じんぶん堂
            • 【連載】異界をつなぐエピグラフ 第2回|モンタージュ式エピグラフ、あるいはザナドゥへの道|山本貴光|創元社note部

              「エピグラフ」とはなんぞや? ──書物をひらいたとき、扉ページの裏側やタイトルの左下などにそっと添えられている短かな(ときに長々とした)引用句。そう、アレです。〈……以下、続きはこちらの冒頭のご挨拶文をご覧ください。〉 ただいま創元社では、山本貴光さんを編著者にお迎えし、『エピグラフの本』(仮題)を制作中です(2023年2月刊行予定)。古今東西のさまざまな「作品」のエピグラフを集め、読者のみなさんと一緒にながめて愉しむ──ありそうでなかったそんな本を、ゆっくり、じっくり、みっしりと編んでおります。 出版に先行し、ウェブ連載を開始いたします。毎月15日は山本さんにエピグラフについて縦横無尽に綴っていただく「異界をつなぐエピグラフ」。末日はエピグラフ採集係の藤本なほ子による「エピグラフ旅日記」です。まずはこれらの連載にて、限りなく広がるエピグラフの宇宙のお散歩をどうぞお愉しみいただけますように

                【連載】異界をつなぐエピグラフ 第2回|モンタージュ式エピグラフ、あるいはザナドゥへの道|山本貴光|創元社note部
              • 貝貨 - Wikipedia

                タカラガイの一種であるキイロダカラの貝貨 貝貨(ばいか[1])とは貝殻を用いた貨幣である。アジア、アフリカ、オセアニア、アメリカで使われており、特にタカラガイは豊産、繁栄、再生、富などを象徴し、キイロダカラ(Monetaria moneta)とハナビラダカラ(Monetaria annulus)が広範な地域で用いられた[2]。 概要[編集] パプアニューギニアの貝貨 ヤップ島の貝貨・ガウ[3] 貝は古来から呪物、装飾品、ゲームの駒などに用いられており、貨幣として使われる条件には希少性が関わっていた。最も希少な場合は宗教的な呪物や特別な装飾品として使われ、数量が増えると貨幣となり、さらに増えると日常の装飾品となった[注釈 1][5]。 タカラガイを珍重した初期の文化は、紀元前5500年頃のメソポタミアのアッシリア、紀元前6000年から5000年の中央ユーラシアのジェイトゥン(英語版)、東アジ

                  貝貨 - Wikipedia
                • 「新聞の歴史」をひもとく

                  新聞という言葉が、英語のニュースペーパーの翻訳語として日本に登場したのは、19世紀の江戸時代末です。最「新」の「聞」いた話が載っている紙という意味ですね。世界では、9世紀に中国の唐で、出来事を記した随筆風の文書に「新聞」という名が付いたのが初出とされますが、現代の新聞のスタイルとなる日刊紙は、17世紀に欧州で生まれました。 新聞は、ニュースや情報を広く伝える定期刊行の印刷メディアです。前史となる印刷の世界史と合わせて、歴史をひもとくことにします。 ◆アジアが先行した木版印刷 メディアを「情報・文化を伝える媒体」ととらえると、文字とともに長い歴史があります。 紀元前数千年というはるか昔、エジプト文明期にナイル川の水草の茎を使ったパピルス文書も、メディアだったと言えます。くさび形文字が入ったメソポタミアの粘土板、法典が彫られたバビロニアの石、甲骨文字が刻まれた中国の亀甲獣骨など、「媒体」になっ

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