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文化財保護課 滋賀県の検索結果1 - 12 件 / 12件

  • 明智光秀の坂本城、石垣保存へ 宅地造成工事は中止 国史跡指定を目指す

    戦国時代に明智光秀が築いた坂本城跡(大津市)で見つかった全長約30メートルの石垣と外堀跡について、佐藤健司市長は20日開会の2月市議会通常会議で、城跡で当初予定された宅地造成工事を中止し、保存する方向で事業者と大筋合意に至ったと明らかにした。市は今後、城跡の国史跡指定を目指す。 文化庁によると、工事をやめて保存に取り組むのは珍しいという。 佐藤市長は、市議会通常会議で「本市から事業者に対して、工事計画の中止を要請しておりましたが、このほど開発許可の廃止を届け出ることについて大筋での合意に至った」と報告。事業者の三王不動産流通(同市)には「心から感謝申し上げる」と述べた。 城跡では、宅地造成工事に伴い市が昨年10月から約900平方メートルを発掘調査。地上に痕跡が残らず、これまで「幻の城」と呼ばれてきた坂本城の三の丸外堀と推定される石垣などが出土した。 今月10、11日の現地説明会には全国から

      明智光秀の坂本城、石垣保存へ 宅地造成工事は中止 国史跡指定を目指す
    • 信長の安土城に未知の「郭」 滋賀県のレーザー測量で判明|文化・ライフ|地域のニュース|京都新聞

      滋賀県は、織田信長が築いた安土城(近江八幡市)の城跡の北部で、建物を建てたり、兵が戦に使ったりする平たん地「郭(くるわ)(曲輪)」が4カ所、最新のレーザー測量で見つかったと発表した。北部は発掘調査がこれまで行われておらず、「想像以上に城の遺構が安土山全体に広がっていることが分かった」としている。 県は6月、安土城跡がある安土山に航空機からレーザーを照射して3次元測量し、地形の凹凸が正確に分かる「赤色立体地図」を初めて作成した。従来の地形測量では自然の斜面や尾根と思われていた北部の4カ所に人工的に山を削った郭が認められた。 郭は、最北端と北東部の2カ所で尾根に細長く造成され、残り2カ所は谷筋に階段状に設けられている。調査済みの南部の郭では屋敷跡や厩(うまや)跡が発掘されており、今回見つかった4カ所でも、尾根上に城に関する施設があったり、階段状の郭の最下段に船着き場があったりした可能性があると

        信長の安土城に未知の「郭」 滋賀県のレーザー測量で判明|文化・ライフ|地域のニュース|京都新聞
      • 国宝「光浄院客殿」伝統的技法による修復工事が初公開 大津 | NHKニュース

        大津市の三井寺にある国宝の建物の修復工事の様子が公開され、訪れた人たちが薄く割った板を屋根に重ねる伝統技法の「こけらぶき」と呼ばれるふき替え作業を見学しました。 17日は工事の様子が初めて公開され、県内外から訪れた14人が足場に上って、高さ5メートルの屋根の上から見学しました。 客殿の屋根のふき替えには、厚さ3ミリに割ったサワラの木の板を重ね、腐食しにくい竹のくぎで止める「こけらぶき」という伝統的な技法が用いられています。 訪れた人たちは滋賀県教育委員会の職員から、ふき替えにおよそ10万枚の板が使われていることなどの説明を受けたり、くぎを打ち込む職人の作業を写真に収めたりしていました。 愛知県から来た50代の男性は「偶然に見ることができて幸運でした。設計図もない中で、緻密な作業を行う伝統の技はすばらしいと感銘を受けました」と話していました。 滋賀県教育委員会文化財保護課の尾山義高さんは「1

          国宝「光浄院客殿」伝統的技法による修復工事が初公開 大津 | NHKニュース
        • 謎の光秀出生地に新説、岐阜でなく滋賀? 新たな古文書発見|文化・ライフ|地域のニュース|京都新聞

          前半生が謎とされる戦国武将明智光秀の出生地について、滋賀県多賀町中央部の「佐目」と明記した1672(寛文12)年編さんの古文書「江侍聞伝録(ごうじもんでんろく)(禄)」が、県立図書館(大津市)で確認された。同様の記述は、同一著者とみられる貞享年間(1684~88年)の「淡海温故録(おうみおんころく)」にもあるが、江侍聞伝録はそれより古く、調査をした県教育委員会の専門家は「成立年代がはっきり分かり、光秀の出生地を記した最も古い史料」と指摘している。 著者は木村重要(生没年不詳)で、佐目から十数キロ南西部に位置する近江国神崎郡(現在の滋賀県彦根、東近江市辺り)の人物とみられるという。江侍聞伝録は全2冊で、中世の近江国の土豪・地頭の家系を地域ごとに記している。 自筆とみられ、1冊目に、明智十左衛門という侍が濃州(美濃国)から佐目の里に逃れて来て2、3代が住み、出生年は不明ながら「光秀」が生まれた

            謎の光秀出生地に新説、岐阜でなく滋賀? 新たな古文書発見|文化・ライフ|地域のニュース|京都新聞
          • 叡山電鉄、土砂崩れで一部運休 京都・滋賀で大雨被害、史跡「御土居」も一部崩れる|社会|地域のニュース|京都新聞

            京都府、滋賀県は8日未明から朝にかけて非常に激しい雨に見舞われた。京都市と亀岡市で住宅や店舗など計23棟が床下浸水。左京区鞍馬の叡山電鉄貴船口駅付近では大規模な土砂崩れが起き、鞍馬線の市原-鞍馬間を運休している。滋賀県内では民家1軒が床上浸水し、11軒が床下浸水した。京都、彦根の両地方気象台は、引き続き土砂災害への警戒を呼び掛けている。 叡山電鉄によると、貴船口駅の南約200メートルにある線路の西側で約60メートルにわたって斜面が崩れ、土砂が線路を覆っているのを、同社職員が見つけた。この区間は始発から運行を見合わせており、人的被害はなかった。復旧には相当な期間を要するとしている。 左京区鞍馬本町の鞍馬街道でも土砂崩れで多数の倒木が道路を覆い通行不能。右京区梅ケ畑川西町の国道162号も土砂崩れで通行止めになっている。 京都府と京都市の文化財保護課によると、上京区の北野天満宮内で史跡「御土居」

              叡山電鉄、土砂崩れで一部運休 京都・滋賀で大雨被害、史跡「御土居」も一部崩れる|社会|地域のニュース|京都新聞
            • 【現在1766城!】全国の御城印(お城版の御朱印)を販売しているお城の一覧 - 攻城団ブログ - お城や歴史のおもしろくてためになる記事がいっぱい!

              攻城団のサイトでは砦などをお城としてカウントしていませんが、ここでの「○○城」のカウントは原則として御城印販売元の記載や告知内容に基づき集計しています。 いますぐアクセス! 最近はお城で御朱印のようなものが販売されているのをご覧になった方も多いのではないでしょうか。 これは「御城印(ごじょういん)」といって、スタンプに代わる登城証明(兼おみやげ)として集める人が増えています。最近のお寺や神社でいただく「御朱印」ブームに乗っかったとも思われがちですが、じつはもっとも古いとされる松本城では1991年(平成3年)頃から販売しており、意外と歴史があるんです。 御城印の数は2018年以降、一気に増えており、現在は60城前後のお城で販売されていることを確認しています。 このたび攻城団では全国の御城印を配布(販売)しているお城についての調査をおこないましたので、以下にまとめます。 御城印とはお城版の御朱

                【現在1766城!】全国の御城印(お城版の御朱印)を販売しているお城の一覧 - 攻城団ブログ - お城や歴史のおもしろくてためになる記事がいっぱい!
              • 大津 三井寺所有の「元版一切経」が新たに国の重要文化財に|NHK 滋賀県のニュース

                およそ600年前に朝鮮半島から日本にもたらされ、大津市の三井寺が所有するあらゆる経典を集めた大全集「元版一切経(げんぱん・いっさいきょう)」が新たに国の重要文化財に指定されることになりました。 国の重要文化財に指定されることになったのは、大津市の三井寺が所有するあらゆる経典を集めた大全集「元版一切経」です。 これは、14世紀に中国の元の寺によって印刷された「大般若経」や「法華経」など2892の経典がまとめられたもので、15世紀前半に朝鮮半島から日本にもたらされました。 その後、豊臣秀吉に仕えた毛利輝元が再建に携わっていた大津市の三井寺に寄贈したということです。 経典とともに元の時代の経箱も残っていて、日本の仏教や東アジアの文化交流の歴史を知る上で極めて価値が高いとしています。 滋賀県文化財保護課は「経典は、それが納められていた経箱も含めて保存状態がよく、貴重なものだ。今後、三井寺とも協議し

                  大津 三井寺所有の「元版一切経」が新たに国の重要文化財に|NHK 滋賀県のニュース
                • 戦国武将・京極氏の遺跡荒らされる スコップで掘った跡「文化財知識ある人か」 滋賀|社会|地域のニュース|京都新聞

                  9日午前10時ごろ、滋賀県米原市上平寺の国史跡京極氏遺跡で、庭園の池跡など8カ所が掘り返されているのを、調査で訪れた同市職員が見つけ、米原署に通報した。同署は文化財保護法違反の可能性があるとみて調べている。 同署や市によると、掘り返されたのは庭園部分の東西約20メートル、南北約50メートルの範囲。二つの池跡を囲む護岸の石組みなどの周囲の土砂が深さ約15~30センチ掘られたほか、池への導水部とみられる滝石組みは地中から露出していた。掘り起こされた土は斜面に投棄されていた。 掘り返された部分は小さなスコップやバール、草刈り鎌など発掘で用いられる道具を使ったような形跡があったという。庭園内のスギの木1本も鋭利な刃物のようなもので切られていた。 遺跡は県北東部の伊吹山南麓にあり、北近江の戦国武将・京極氏の館跡や山城跡、家臣団屋敷跡などで構成される。2004年に国史跡に指定された。現場の約70メート

                    戦国武将・京極氏の遺跡荒らされる スコップで掘った跡「文化財知識ある人か」 滋賀|社会|地域のニュース|京都新聞
                  • 幻の安土城どう復元?実物再現やCGなど4案 滋賀県が「見える化」意見募集|文化・ライフ|地域のニュース|京都新聞

                    幻の安土城どう復元?実物再現やCGなど4案 滋賀県が「見える化」意見募集 2020年9月3日 16:51 安土桃山時代に織田信長が築き、わずか3年で焼失した安土城天主(天守閣)の「復元」について、滋賀県は、県内外の一般から意見を募る。安土城跡(近江八幡市、特別史跡)での実物大の再建からCGによるデジタル再現まで県が検討している4案の課題・効果を3日から示し、インターネットなどで受け付ける。集まった意見を踏まえ、県が進めている「安土城の見える化」の方向性を決める。 県は2026年度の築城450年祭に向けて城の実像を明らかにし、目に見える形で復元するとして、三日月大造知事の発案で昨年4月「『幻の安土城』復元プロジェクト」事業を立ち上げ、復元方法を検討している。ただ、城の構造・外観を伝える史料がほとんど見つかっていないほか、再建する場合、推定で500億円超の費用がかかるなど多くの課題がある。 4

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                    • 明智光秀が築いた『幻の城』坂本城とみられる堀・石垣を新発見 これまで琵琶湖の中から発見 地上は初(読売テレビ) - Yahoo!ニュース

                      戦国武将・明智光秀が琵琶湖のほとりに築いた「坂本城」のものとみられる堀と石垣が発見されました。地上から城の痕跡が見つかるのは初めてです。 【動画】三が日の参拝者は約44万人!平安京を再現した社殿群 京都・平安神宮の意外な歴史と魅力 滋賀県大津市にある坂本城は戦国時代、明智光秀が琵琶湖のほとりに築いた城で、城の痕跡が地上にはなく、琵琶湖の中からしか発見されていないことから「幻の城」とも呼ばれています。 今回、住宅の開発のために調査を行ったところ、高さ1メートル、約30メートルに渡る石垣と、幅が約8メートルの堀が見つかりました。坂本城とみられる痕跡が地上から見つかるのは初めてです。 この石垣と堀は坂本城の三の丸のものとみられ、城の一番外側にあたる外郭部分だということです。 大津市文化財保護課の岡田有矢さんは「今回の発見は歴史的にも学術的にも大きな価値があるのではないか」と話しています。 今回見

                        明智光秀が築いた『幻の城』坂本城とみられる堀・石垣を新発見 これまで琵琶湖の中から発見 地上は初(読売テレビ) - Yahoo!ニュース
                      • 信長の安土城を描いた屛風どこいった? 滋賀県、ローマなどで情報求める |文化・ライフ|地域のニュース|京都新聞

                        織田信長の居城・安土城の当時の姿が描かれ、ローマ教皇に献上された後に行方不明になっている「安土山図屏風(びょうぶ)」の探索に、滋賀県が乗り出した。信長の命で狩野松栄が描いたとされる「幻の屏風」で、県による探索は約40年ぶり。多言語のホームページ(HP)を開設し、三日月大造知事もローマ教皇庁などに協力を要請するなど、世界中から情報提供を求める。 安土城は信長が1576(天正4)年に築き始めた。79年に天主(天守)を完成させて移り住んだが、本能寺の変直後の82年6月に天主と本丸が焼失した。 近江八幡市安土町の城跡には多くの観光客が訪れるが、当時の外観を伝える史料は乏しく、内部構造も諸説ある「謎の城」で、屏風が見つかれば重要な手がかりになる。 安土山図屏風は、宣教師の記録から、安土城と城下町を忠実に描いているとみられる。日本に来たイエズス会巡察使に信長が贈った後、天正遣欧使節に託されてローマ教皇

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                        • 10年前から行方不明だった三田のオオサンショウウオ、まさかの滋賀で発見! 保護から帰郷までの一部始終

                          2012年から行方が分からなくなっていたが、今年6月、滋賀県甲賀市で見つかった。健康状態は良好で血液検査などを経て8月、ふるさとの兵庫県三田市に戻ってきた。国の特別天然記念物、オオサンショウウオ。元々は羽束川に住んでいたが、違法に捕獲されて滋賀の川に放流されたとみられる。(土井秀人) ■発見例のない川で 6月19日、甲賀市の野洲川で住民がオオサンショウウオを見つけた。過去に野洲川での発見例はなく、保護団体「滋賀のオオサンショウウオを守る会」が調べたところ、個体識別番号が記されたマイクロチップが埋められていた。 水族実験施設のある長浜バイオ大学(滋賀県)で、守る会の会長でもある齊藤修教授らが保護。滋賀県内の個体が登録されているデータベースを調べたが、該当はなかった。 他府県に照会したところ、兵庫県自然保護協会が07年に三田市の羽束川で登録した個体と分かった。最後に姿を確認したのは12年7月。

                            10年前から行方不明だった三田のオオサンショウウオ、まさかの滋賀で発見! 保護から帰郷までの一部始終
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