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信長の安土城を描いた屛風どこいった? 滋賀県、ローマなどで情報求める |文化・ライフ|地域のニュース|京都新聞
織田信長の居城・安土城の当時の姿が描かれ、ローマ教皇に献上された後に行方不明になっている「安土山... 織田信長の居城・安土城の当時の姿が描かれ、ローマ教皇に献上された後に行方不明になっている「安土山図屏風(びょうぶ)」の探索に、滋賀県が乗り出した。信長の命で狩野松栄が描いたとされる「幻の屏風」で、県による探索は約40年ぶり。多言語のホームページ(HP)を開設し、三日月大造知事もローマ教皇庁などに協力を要請するなど、世界中から情報提供を求める。 安土城は信長が1576(天正4)年に築き始めた。79年に天主(天守)を完成させて移り住んだが、本能寺の変直後の82年6月に天主と本丸が焼失した。 近江八幡市安土町の城跡には多くの観光客が訪れるが、当時の外観を伝える史料は乏しく、内部構造も諸説ある「謎の城」で、屏風が見つかれば重要な手がかりになる。 安土山図屏風は、宣教師の記録から、安土城と城下町を忠実に描いているとみられる。日本に来たイエズス会巡察使に信長が贈った後、天正遣欧使節に託されてローマ教皇
2021/11/16 リンク