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革マル派 拠点 大学の検索結果1 - 13 件 / 13件

  • 「早稲田にあったのは革マル派の自由」流れた資金は2億円超 対峙した奥島孝康元総長の気概と矜持 アーカイブ

    この記事は、平成21年5月29日付の産経新聞大阪本社版に掲載された記事のアーカイブ配信です。肩書などは当時のまま。学生運動について描いた連載記事「さらば革命的世代」のなかで、5月1日に亡くなった早大元総長、奥島孝康さんのインタビューを掲載しています。 元早大総長の奥島さん死去(2024/5/2) 合鍵もつくられていた「早稲田は自由の大学といわれていますが、実際にあったのは、革マル派にとっての自由だったのです」 早大の元総長で、現在は学事顧問を務める奥島孝康さんは振り返る。革マル派に大学の実権が握られているという危機感を強くした奥島さんは平成6~14年の任期中、彼らをキャンパスから追い出すことを最大の任務と位置づけていた。 早大では昭和40年代後半から、革マル派が各セクトとの抗争を制し、勢力を強めていた。自治会の主導権を握り、サークルの部屋が学外者も含めた活動家の拠点に使われるなど、約30年

      「早稲田にあったのは革マル派の自由」流れた資金は2億円超 対峙した奥島孝康元総長の気概と矜持 アーカイブ
    • 『全共闘以後』の余白に小さい字で書き込む、私の「活動」 - ohnosakiko’s blog

      1.『改訂版 全共闘以後』(外山恒一、イースト・プレス、2018) 1950年代から60年代末にかけて盛り上がった学生運動は、72年のあさま山荘事件以降衰退し、若者は政治への関心を失った‥‥というこれまでの見方を否定し、主に80年代以降のメインストリームではない若者たちによる社会運動を、多くの関係者への丹念な聞き取りと自身の体験を元に”通史”として描き出した、本文だけで600ページ近い労作。 序章では全共闘の「前史」と本書に通底する筆者の問題意識が示され、第一章から第五章までは、80年代から90年代の左派から右派までの有名、無名の人々のさまざまな動きや現象を、内在的な批判を交えつつ活写している。第六章と終章はゼロ年代以降の話となっており、80年代生まれの活動家たちへの若干の距離感が見られる。 縮めて言えば、50年代半ばに革命への意志を失ったそれまでの左翼を否定して登場した新左翼運動と、その

        『全共闘以後』の余白に小さい字で書き込む、私の「活動」 - ohnosakiko’s blog
      • The Platypus Affiliated Society – 「叛乱を革命から解放する」: 長崎浩氏とのインタビュー 前半

        2020年11月に安藤歴とヒューストン・スモールは日本の新左翼の歴史について、長崎浩にインタビューした。新左翼の起源や高揚、そして衰退の過程を辿りながら、マルクス主義とマルクス=レーニン主義の違い、左翼にとっての党の役割、叛乱及び革命と歴史の関係などを考察した。そもそも新左翼の目標は何であったのか?それをどこまで達成したのか? インタビューは二つに分かれており、後半は来月に掲載される予定である。 前半 1)長崎さんは、ブント、東大助手共闘等の活動において60年安保闘争、70年安保闘争に関わり、その後は地方党の結成などの活動をしており、成田闘争のような住民闘争にも関わっていたが、そもそもマルクス主義または「左翼」との出会いや運動に関わることになったきっかけは何だったのか? 1956年という年 長崎:もう昔の話になりますけれども、まずは1956年が日本ではどういう年だったかを思い出すことから始

        • 凄惨なリンチのすえに…大学構内で起きた“殺人事件”「半世紀前、早稲田大学は過激派セクトに暴力支配されていた」 | 文春オンライン

          『彼は早稲田で死んだ 大学構内リンチ殺人事件の永遠』(樋田毅 著)文藝春秋 「半世紀前、早稲田大学の文学部キャンパスは過激派セクトの革マル派に暴力支配されていました。あの暗黒の時代の恐ろしさ、今の世界にも通じる危うさを、書き残そうと思いました」 そう語るのは、元朝日新聞記者でジャーナリストの樋田毅さん。今回、革マル派と闘いつづけた自身の経験を克明に記したルポルタージュ『彼は早稲田で死んだ 大学構内リンチ殺人事件の永遠』を上梓した。 早稲田で死んだ「彼」とは、第一文学部2年生だった川口大三郎さん。革マル派によって、敵対していた中核派のスパイという汚名を着せられて文学部自治会室で凄惨なリンチのすえに殺された。当時の学生たちにとっては忘れることができない大事件だった。 「村上春樹さんのベストセラー小説『海辺のカフカ』にも、川口さんがモデルの人物が登場します。この小説の重要なモチーフとなっている不

            凄惨なリンチのすえに…大学構内で起きた“殺人事件”「半世紀前、早稲田大学は過激派セクトに暴力支配されていた」 | 文春オンライン
          • 中核派トップの会見記事で思い出したことなど - hamachanブログ(EU労働法政策雑記帳)

            中核派トップの老人が会見したという記事を見て、その昔本ブログに書いたあるエントリを思い出しました。 https://www.tokyo-np.co.jp/article/82518 約半世紀にわたる潜伏生活から昨年9月に姿を現した過激派「中核派」最高指導者の清水丈夫議長(83)が27日、東京都内で会見した。公の場で活動する方針に転じた理由を「資本主義をぶっ倒すために闘わなければならない。全労働者階級人民に訴えようと思った」と述べた。警察は活動の活発化を警戒する。 中核派は1963年、「革マル派」と分裂して発足し、安保闘争や成田空港反対運動を展開。多くのテロ、ゲリラを実行し、71年に警察官が殺害された「渋谷暴動事件」を起こした。清水氏は会見で、渋谷暴動事件を「安保・沖縄闘争の発展の中でどうしても必要な闘争だった」と振り返り、人命が失われたことは「階級闘争だから仕方ない」と述べた。・・・ 中核

              中核派トップの会見記事で思い出したことなど - hamachanブログ(EU労働法政策雑記帳)
            • 村上春樹に深い影響を与えた「大学構内リンチ殺害事件」 | 村上春樹を求めて | 重里徹也 | 毎日新聞「経済プレミア」

              川口大三郎さん殺害事件の一周忌の前日、“川口君追悼”と“早稲田祭”の看板が乱立する早稲田大学構内=東京都新宿区で1973年11月7日、写真部撮影 村上春樹が早稲田大学第1文学部に在籍したのは、1968年4月から75年3月までの7年間だ。演劇専攻で、卒業論文は「アメリカ映画における旅の思想」。教室にはあまり行かずに、もっぱらキャンパス内の演劇博物館で米映画のシナリオを読んでいたという。 村上は49年1月の生まれ。いわゆる団塊の世代に属している。この世代で見逃せないのは大学紛争だろう。自治会やサークルを拠点に「学生自治」「反戦」「学費値上げ反対」などの要求をビラや立て看板で主張し、集会や学習会を開く。果てはデモやストライキ、バリケードによる校舎の封鎖に至る。 彼らはいくつかのセクトに分かれて活動している(セクトに入らない人もいる)。その思想的背景には左翼的な進歩思想があり、過激な行動をする人た

                村上春樹に深い影響を与えた「大学構内リンチ殺害事件」 | 村上春樹を求めて | 重里徹也 | 毎日新聞「経済プレミア」
              • 【しらなみのかげ】 今、〈解釈権の独占〉へとひた走るのは誰か #19|雁琳の『晦暝手帖』

                昨日(正確には30日付の深夜未明)に上げた「「オープンレター」講解」は、15000字に及ぶ長文であるにも拘らず、お蔭様で多くの人に読んで頂けた。御読み頂きました方々には改めまして厚く御礼申し上げます。 物議を醸し続けている「オープンレター:女性差別的文化を脱するために」に対して逐文解釈的に内在的読解を施すという試みは恐らく初めてだろう。この試みにおいて、呉座勇一氏の名前を連呼し、呉座氏の懲戒停職と准教授テニュア内定取り消しに影響を与えたと思われるあの文章は、「社会問題に目覚めよ」と絶叫するウォーキズム(wokism)の一派による紛れも無い〈キャンセル・カルチャー宣言〉であることが明らかになったのではないだろうか。この問題に関心のある未読の方には、是非共御笑覧頂きたい。 私はあの地道な作業を行なった後に自分の書いた文章を顧みた。そこで気付いたことだが、「講解」を書くことによって、結局の所、「

                  【しらなみのかげ】 今、〈解釈権の独占〉へとひた走るのは誰か #19|雁琳の『晦暝手帖』
                • 【読書感想】真説 日本左翼史 戦後左派の源流 1945-1960 ☆☆☆☆☆ - 琥珀色の戯言

                  真説 日本左翼史 戦後左派の源流 1945-1960 (講談社現代新書) 作者:池上 彰,佐藤 優講談社Amazon Kindle版もあります。 真説 日本左翼史 戦後左派の源流 1945-1960 (講談社現代新書) 作者:池上彰,佐藤優講談社Amazon 日本の左翼は何を達成し、なぜ失敗したのか? ーー忘れられた近現代史をたどり、 未来の分岐点に求められる「左翼の思考」を検証する 壮大なプロジェクト。 深刻化する貧困と格差、 忍び寄る戦争の危機、 アメリカで叫ばれる社会主義(ソーシャリズム)。 これらはすべて、【左翼の論点】そのものである! 激怒の時代を生き抜くために、 今こそ「左の教養」を再検討するべき時が来たーー。 ◇◇◇◇◇ 戦後復興期に、共産党や社会党が国民に支持された時代があったことは、 今や忘れられようとしている。 学生運動や過激化する新左翼の内ゲバは、 左翼の危険性を歴史

                    【読書感想】真説 日本左翼史 戦後左派の源流 1945-1960 ☆☆☆☆☆ - 琥珀色の戯言
                  • 成田空港問題の年表 - Wikipedia

                    成田空港問題の年表(なりたくうこうもんだいのねんぴょう)は、三里塚闘争をはじめとする、成田国際空港(旧・新東京国際空港)に係る諸問題に関連する出来事を時系列順に述べるものである。 なお、年表中の役職はいずれも当時のものである。 年表[編集] 1930年代まで[編集] 1871年[編集] 十余三地区で中沢彦吉と小野善助(小野組)の開墾会社による入植が始まる[1][2]。 1875年[編集] 宮内庁下総御料牧場の前身となる、下総牧羊場と取香種畜場を大久保利通内務卿が開場[3][4]。 1885年[編集] 下総牧羊場と取香種畜場が宮内省に移管、下総種畜場と改称[3]。 1923年[編集] 1月:東西定期航空会が陸上機による定期航空便を開設。 9月1日:関東大震災。長岡外史が羽田飛行場の建設を提唱。 1931年[編集] 8月:日本初の国営民間航空専用空港「東京飛行場」が開港(現在の東京国際空港、羽

                    • これぞザ・東大閥。「一時、極左のテロ標的だった西部邁が、学友だった中核派の大物に守ってもらった」らしい - INVISIBLE Dojo. ーQUIET & COLORFUL PLACE-

                      「評伝 西部邁」をところどころとばしつつ読んでいた。 評伝 西部邁 作者:髙澤 秀次発売日: 2020/01/18メディア: 単行本日本および日本人を問い続けた稀有なる思想家は、なぜ壮絶な自裁死を遂げたのか。西部邁の劇的な生涯を戦後史の中に描き、ニヒリズムを超えようとする思想的格闘の軌跡に迫る。深い友諠を結んだ文芸評論家による、初の本格評伝! 著者について 1952年北海道生まれ。文芸批評家。苫小牧駒澤大学特任教授。思想史、作家論など、硬質な評論で知られる。著書に『評伝中上健次』(集英社)、『江藤淳―神話からの覚醒』(筑摩書房)、『文学者たちの大逆事件と韓国併合』(平凡社新書)ほか。 亡くなった時にも書いたが、自分は彼のあまりいい読者ではないし、彼の主張する保守主義にも共感をあまり覚えなかった。 ただ、外からその活動を眺めていると、どうもこの人は文章を書いて、それを媒体に発表するという意外

                        これぞザ・東大閥。「一時、極左のテロ標的だった西部邁が、学友だった中核派の大物に守ってもらった」らしい - INVISIBLE Dojo. ーQUIET & COLORFUL PLACE-
                      • 誰も読まないネタ。『重信房子よ、お前が言うな!「本当の民主主義はどこに」』 - 江戸っ子でぃ

                        皆さん、お早うございます。 五島地方、今日は、曇り空でスタートしそうです。 今日のネタは、ほとんどの国民にとって、な~~んの影響もなく、利にもならないネタです。本当に、愚痴です。 タイトルからして、面白くなさそうでしょう。^^; さて、主人公は日本赤軍の元最高幹部重信房子。(最高幹部とか、もっともらしい肩書だけど、わずか数十名の組織でしたよ。) この人が、16日、京都市東山区で開かれた集会で講演し「新しい気持ちで再出発したい。みんなと一緒に日本と世界を変えていきたい」と話したそうです。 まあ、まあ、ここまでは良いんですけど・・・。 内容に入る前に、この人について少し、オランダのフランス大使館が武装占拠された1974年のハーグ事件で服役し、今年5月に満期出所したお方です。 ************************************ 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wik

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                        • 専門家、15年積み上げた「臓器狩り証拠」明かす 東京で来日講演

                          中国における臓器移植問題の廃絶に動く「SMGネットワーク」は8月9日、専門家による講演会兼第二回地方議員の会を開催。カナダからはデービッド・マタス弁護士、英国からはエンヴァー・トフティ氏を登壇者に迎えた(写真右はマタス弁護士)(写真・SMGネットワーク提供) この文章は、中国の臓器収奪と売買を直ちに全廃することを掲げるSMGネットワーク(中国における臓器移植を考える会)の事務局長でジャーナリストの野村旗守氏による寄稿文です。 私が事務局を預かるSMGネットワーク(中国における臓器移植を考える会)は8月9日、参議院議員会館にて第2回地方議員総会を開きました。 当日はゲストスピーカーとして、中国臓器狩り問題に長年取り組むカナダの国際人権弁護士デービッド・マタス氏、それからウイグル出身の元医師で自身も強制臓器摘出に関わったという稀有の経験を持つアニワル・トフティ(エンヴァー・トフティ)両氏を迎え

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                          • 宮沢章夫が早稲田で俳優をタコ殴り - 孤立無援のブログ

                            「俺の女にしてやる」の渡部直己教授で有名な早稲田大学文学学術院で、またもや60代の男性教諭が暴力事件を起こしたと話題です。 早稲田大学はセクハラとパワハラの伏魔殿だけあって、今回も教授の氏名を非公開にして、事件を隠蔽する気まんまんなので、よけいなお世話と知りながら勝手に調査したところ、この暴力教諭はなんと、一般人は知らなくても演劇界でも「だれ?」と言われる、あの宮沢章夫だと判明しました。 何が面白いのかわからない芝居やエッセイを書いてるくせに、いつのまにか偉くなった、あの宮沢章夫です。 宮沢章夫は、俳優に灰皿を投げつける蜷川幸雄や、耳と鼻から血が吹き出るまで妻を殴った井上ひさしに負けるものかと、被害者の後頭部を拳で3回も殴りました。 後頭部を拳で3回も殴りました。拳で3回も殴りました。大事なことなので3回言いました。 大学主催のイベントのために働いていた、まじめで心やさしい将来のある俳優を

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