今日の授業、太平記で楠木正成が作戦を却下され死を覚悟して湊川へ向かう場面扱ったんだが、誰ひとり正成に共感できず無反応で、一瞬zoomフリーズしたのかと思った。 感想見ると「無茶な命令されたら断るべきだと思う」とあって、そうか朝廷ブラック企業だと思われたのかと腑に落ちた。
ジュエルフィッシュ @ICHOYATARO @twcu_nichibun @ogawaissui 非常に興味深いです。当然ながら楠木正成は地方の武装勢力のボスであったわけで。 命令に逆らえない社畜では全然ないのになぜ死なないといけなかったのか。 そのあたりが解説されると非常に興味深い授業になりそうですね。 2020-07-21 12:54:40 ジュエルフィッシュ @ICHOYATARO @twcu_nichibun @ogawaissui 自分も詳しくはないんですが、逃げ延びても平家の追討があるからあきらめてしまった。みたいなことでしょうか。 平家も壇ノ浦で次々身投げしますし。そのあたり無常観といいますか、他人の命も自分の命も軽いものだったんですかねえ。 2020-07-21 12:58:44
湊川神社【公式】-楠公さん- @minatogawajinja 智・仁・勇の三徳を備える南北朝時代の名将、楠木正成公と御一族をお祀りする神戸の名社。愛称「楠公(なんこう)さん」。幕末志士たちの心の拠り所。JR神戸駅山側すぐ。阪急・阪神・山陽「高速神戸駅」西改札直結。境内は楠の緑陰鮮やかな都会のオアシス。安産・初宮・七五三・厄除・車祓い。ご参拝お待ちしております。 https://t.co/wpKISTcmaN 湊川神社【公式】-楠公さん- @minatogawajinja #雪組 #桜蘭記 玉骨はたとえ南山の苔に埋るとも魂魄は常に北闕の天を望んと思ふ! 後醍醐天皇の難しいセリフ 怨霊のような執念、実は 国の健全性、道義道徳、民の幸せを、新しい国づくりで取り戻そうとされた、揺るぎない決意の裏返し・・・ 弁内侍の父や正成の忠義を思うと尚更、後には引けぬ南朝 2021-06-09 19:48:5
皆様、ご機嫌いかがでしょうか。 本日は【120】バットを振りました。 「忍者」についての ウィキペディア記載の文章を読んでの バットを素振りでした。 昭和37年、伊賀上野の旧家より 『上嶋家文書』が発見された。 これによると、伊賀国の 服部氏族・上嶋元成の三男が 申楽役者・観阿弥で、 母は楠木正成の姉妹だったという。 すなわち、観阿弥は 楠木正成の甥だったことになる。 根拠は特になく、 偽系図などと呼ばれている。 観阿弥の息子・世阿弥も 「先祖は服部氏」と自称していた。 6行にしました。 楠木正成の姉妹と 服部氏族の息子さんが観阿弥。 なので観阿弥は楠木正成の甥。 根拠はない。 観阿弥の息子・世阿弥も 自称「先祖は服部氏」 ということで、楠木正成は、 忍者の親戚かも知れません。 観阿弥さんと世阿弥さん親子は 「能」の方ですよね。 そう言えば、能楽の動きには、 忍者のような妖しさがある印象で
司馬遼太郎の「余話として」を、またも紹介する。 今日より正成出づ という町風俗について。 これについては、10年ばかり前、84歳で亡くなられた菅楯彦画伯からきいた。 まだ江戸期のにおいをのこしていた明治10年代から20年代の大阪の下町でのことである。 「そういう貼り紙が、町々に出ます」 といわれたから、私ははじめおどろいた。町々に楠木正成が出るのですか、と聞くと。 「 へい」 と、 品よくうなずかれる 。 菅楯彦というひとは、落款は「浪速御民」というのを用いられている。いかにも婉で古めかしく、古武士のような律儀さを保ちながら生涯大阪の町絵師として過ごされた。 (略) 「町内に長屋々々がごわりますな、そういう町内に必ず一つは寄席がごわりましてな、左様でごわります、別に商売々々した寄席ではごわりまへんで、まあ道楽なひとが自分の家のふた間ほどを講釈師に貸します」 そういうのが、大阪の寄席であっ
楠木正成、正行の父子像など、島本町内のゆかりの地を巡った学習会=大阪府島本町の史跡桜井駅跡史跡公園で2020年10月18日午後2時11分、亀田早苗撮影 鎌倉時代末期~南北朝時代の武将、楠木正成、正行(まさつら)親子をテーマとしたNHK大河ドラマの実現を目指して、全国13都府県の62自治体が「『楠公さん』大河ドラマ誘致協議会」を結成し、誘致活動を展開している。一方、この動きに異を唱える市民もいる。親子が戦前戦中、自らの命を捨てて天皇に尽くした忠義のシンボルとされた歴史があるからだ。「楠公復活」に強い危機感を訴えている。【亀田早苗】 協議会は2018年に結成。大河ドラマ制作を求める署名集めに取り組み、20年3月現在で3万9329人分を集めた。楠公ゆかりの地の広域観光や経済振興が目的だといい、大阪府内からは全国最多の36市町村が参加。正成の生誕地とされる千早赤阪村や、少年期を過ごしたという河内長
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