並び順

ブックマーク数

期間指定

  • から
  • まで

1 - 8 件 / 8件

新着順 人気順

益川敏英の検索結果1 - 8 件 / 8件

  • ノーベル物理学賞受賞 益川敏英さん死去 81歳 | NHKニュース

    物質を構成する基本的な粒子のひとつ「クオーク」が6種類あることを最初に予想し、2008年にノーベル物理学賞を受賞した益川敏英さんが、今月23日、上顎がんのため亡くなりました。81歳でした。 益川さんは名古屋市出身で、京都大学の理学部の教授を務め、2003年に退官したあとは名古屋大学の特別教授や素粒子宇宙起源研究機構の機構長などを務めました。 益川さんは名古屋大学理学部の学生時代に、物質を構成する基本的な粒子「素粒子」の研究を始めました。 卒業後に京都大学の助手になり、1973年、同じ助手だった小林誠さんとともに、当時はまだ3種類しか発見されていなかった「素粒子」のひとつの「クオーク」が実際には6種類以上存在すると予想する「小林・益川理論」を提唱しました。 のちにその正しさが証明され、素粒子物理学の発展に大きく貢献したとして、小林さんや南部陽一郎さんとともに2008年にノーベル物理学賞を受賞

      ノーベル物理学賞受賞 益川敏英さん死去 81歳 | NHKニュース
    • ノーベル賞益川敏英さんが死去、その戦争体験と軍事研究反対の言葉|社会|地域のニュース|京都新聞

      ノーベル物理学賞受賞者の益川敏英さんが29日までに、81歳で亡くなった。京都大名誉教授、京都産業大名誉教授。益川さんは科学者の立場から軍事研究への荷担に反対してきた。その背景には戦争の体験があった。2017年の京都新聞インタビューに、研究者の倫理や平和への希求を、京大で先輩教員にあたる湯川秀樹博士への複雑な思いを語っていた。 「終戦は5歳ぐらいで記憶はない。名古屋市内の神社の近くに住んでいたが、3月の大空襲は鮮明に覚えている。B29は高度1万メートルを飛ぶが、日本の高射砲は7千メートルまでしか届かない。歓迎の花火を打ち上げているようなものだった。焼夷弾が自宅の屋根を突き破り、目の前に転がった。不発弾で助かったけれども周囲は焼け野原。リヤカーに家具や布団を積んで火の海の中を両親と逃げ惑った」 -防衛省は科学者に研究費を支給する「安全保障技術研究推進制度」を本年度、110億円規模に一気に増額し

        ノーベル賞益川敏英さんが死去、その戦争体験と軍事研究反対の言葉|社会|地域のニュース|京都新聞
      • 益川敏英さん死去、81歳 2008年ノーベル物理学賞:朝日新聞デジタル

        2008年にノーベル物理学賞を受賞した京都大名誉教授の益川敏英(ますかわ・としひで)さんが、23日、死去した。81歳だった。名古屋市出身。京都大理学部の助手だった1973年、京都大助手で後輩でもあっ…

          益川敏英さん死去、81歳 2008年ノーベル物理学賞:朝日新聞デジタル
        • 「僕は小商人のせがれ」 市井の目線貫いた益川敏英さん:朝日新聞デジタル

          「僕は小商人(こあきんど)のせがれ」。23日に死去した京都大名誉教授の益川敏英さんがあるとき、ふと口にした言葉だ。実家は戦後、名古屋の市内で砂糖商を営んでいた。そのせいか、高校に入るまでは「科学者と…

            「僕は小商人のせがれ」 市井の目線貫いた益川敏英さん:朝日新聞デジタル
          • 益川敏英さんが死去 2008年ノーベル物理学賞 81歳 | 毎日新聞

            素粒子物理学の分野で、クォークに関する「小林・益川理論」で2008年のノーベル物理学賞を受賞した京都大名誉教授、名古屋大特別教授の益川敏英(ますかわ・としひで)さんが23日、上顎(じょうがく)歯肉がんのため死去した。81歳。葬儀は家族のみで営んだ。「お別れの会」などの開催は未定。 名古屋市出身、名大理学部卒。名大助手、京大理学部助手、東京大原子核研究所助教授を経て、1980年、京大基礎物理学研究所教授に就任、所長も務めた。03年から京都産業大(京都市)教授を務め、在任中にノーベル賞を受賞した。 名大では故湯川秀樹博士の中間子論を発展させた故坂田昌一博士の下で、素粒子論を研究。京大助手時代の73年、当時の同僚で後にノーベル賞を共同受賞する高エネルギー加速器研究機構の小林誠・特別栄誉教授とともに、原子を構成する基本的な粒子のクォークが6種類あるという「6元模型」を共同発表した。

              益川敏英さんが死去 2008年ノーベル物理学賞 81歳 | 毎日新聞
            • 益川敏英氏ノーベル物理学賞の原動力「本が世界を広げてくれた」

              好きなことをもっと知りたい 本で広がった研究の原動力 「勉強」という言葉は嫌いなんです。何か、怖いお母さんが椅子の後ろで立っているようなイメージでしょう。 そもそも「勉」という漢字は、「無理して生み出す」という意味を持つそうです。出産するときの、産みの苦しみを表すと。それと「強」、つまりは「産みの苦しみを強いる」というのはちょっとねえ。 片や英語の「STUDY」というのはギリシャ語の「ストゥディオ」というのが語源で、こちらは「知る楽しみ」という意味なんです。それまで知らなかったことを知るのは、わくわくしますよね。学ぶことは「勉強」よりも「STUDY」であるべきだと思う。 私のおやじは、戦前は家具職人、戦後は砂糖問屋をやっていました。子どもの勉強を見たり、心配したりすることはなかった。 しかし、あるとき、小学校5年生ぐらいのときかな。わが子のノートを見てみたら、真っさらだった。それで保護者会

                益川敏英氏ノーベル物理学賞の原動力「本が世界を広げてくれた」
              • ノーベル物理学賞受賞の益川敏英さんが死去 81歳:東京新聞デジタル

                宇宙や物質の起源に関わる「CP対称性の破れ」と呼ばれる現象を理論的に説明した業績で、2008年にノーベル物理学賞を受賞した名古屋大特別教授で京都大名誉教授の益川敏英(ますかわ・としひで)さん=名古屋市中川区出身=が23日午前8時40分、上顎歯肉がんのため、京都市の自宅で死去した。81歳だった。葬儀は既に家族のみで執り行われた。 益川さんは名古屋市で生まれ育ち、同市立向陽高から名古屋大理学部へ。名大大学院では、物理学者の故坂田昌一博士の研究室で素粒子物理学を学び、1967年に同理学研究科博士課程を修了。名大助手や京大助手、東京大助教授を経て、80年に京大教授。京都産業大教授や名大素粒子宇宙起源研究機構長も務めた。

                  ノーベル物理学賞受賞の益川敏英さんが死去 81歳:東京新聞デジタル
                • 望月衣塑子 on Twitter: "安倍・菅政権が進める軍学共同にノーを突きつけ続けた信念の方だった。 ノーベル物理学賞受賞の益川敏英さんが死去 81歳 益川さんは、幼少時に名古屋で空襲を体験し.科学と戦争の問題に積極的に発言。ノーベル賞の受賞講演でも戦争に触れ… https://t.co/wSKSF6jMNO"

                  安倍・菅政権が進める軍学共同にノーを突きつけ続けた信念の方だった。 ノーベル物理学賞受賞の益川敏英さんが死去 81歳 益川さんは、幼少時に名古屋で空襲を体験し.科学と戦争の問題に積極的に発言。ノーベル賞の受賞講演でも戦争に触れ… https://t.co/wSKSF6jMNO

                    望月衣塑子 on Twitter: "安倍・菅政権が進める軍学共同にノーを突きつけ続けた信念の方だった。 ノーベル物理学賞受賞の益川敏英さんが死去 81歳 益川さんは、幼少時に名古屋で空襲を体験し.科学と戦争の問題に積極的に発言。ノーベル賞の受賞講演でも戦争に触れ… https://t.co/wSKSF6jMNO"
                  1