山岳遭難と気象学に関するsemimaruclimbのブックマーク (15)

  • 北海道大学山岳部・山の会 - 【書評】富士山のスラッシュ雪崩遭難の考察 (米山悟1984年入部)

    山岳会の年報、「山岳 2014年 第109年」に安間荘会員(1955年入部)が載せた論文を紹介します。安間さんは長く富士山の地質、積雪防災関連の調査に当たる仕事をしています。「スラッシュ雪崩」という聞きなれない雪崩現象があり、1972年3月20日に24人が亡くなった大規模遭難の際、このスラッシュが起きていた可能性を指摘し、遭難当事者や生還者に聞き取り取材をした上でまとめた力作です。 特殊な雪崩なだけにあまり知られておらず、当時の遭難も登山者の未熟のせいにされた節があり、十分な総括と反省対策がなされていません。40年前は、たまたま登山者が多く大事故になりましたが、その後も毎年起こっている可能性はあります。無知のままならば今後も死亡事故が起こるかもしれません。以下にその概要を抜粋します。 ≪スラッシュ雪崩≫ 初冬や春先、積雪の時期に気温の高い南風で雨が降り、積雪層の下、氷面の上に大量の水分

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    semimaruclimb 2022/08/22
    スラッシュ雪崩についての解説。1972年3月の富士山御殿場ルートの大量遭難事件の際も、スラッシュ雪崩が発生したと見られている。
  • 1972年3月の富士山大量遭難事故――。日本海低気圧の発達による春一番の暴風雨が引き起こした日本山岳史上最悪の大惨事

    1972年3月の富士山大量遭難事故――。日海低気圧の発達による春一番の暴風雨が引き起こした日山岳史上最悪の大惨事 冬から春へと急速に季節が移り変わろうとしている今の時期、気をつけなければならないのが「日海低気圧の発達」だ。この日海低気圧により、日山岳史上最悪の大惨事が起きている。この事故の状況を、今回は紐解いてみる。 ヤマケイオンライン読者の皆様、山岳防災気象予報士の大矢です。今シーズンはラニーニャ現象や偏西風の蛇行の影響で久しぶりの冬らしい冬となりましたが、それぞれの冬山を楽しむことができましたでしょうか。 例年より厳しい気象条件だったためか、年末年始の全国の遭難事故件数は昨シーズンに対して11件多い34件だったそうです。そして3月上旬に強い寒の戻りがあったあとは、季節の歩みは確実に進み、一気に春ステージになっています。 しかし、春山では冬山とはまた違った気象遭難のリスクがあり

    1972年3月の富士山大量遭難事故――。日本海低気圧の発達による春一番の暴風雨が引き起こした日本山岳史上最悪の大惨事
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    semimaruclimb 2022/08/22
    1972年3月、富士山御殿場ルートにて18人死亡、6人が行方不明となった大量遭難事故。当時の天気図をもとに解説。
  • 木曽駒ヶ岳大量遭難事故 - Wikipedia

    将棊頭山山頂直下に立つ遭難記念碑 木曽駒ヶ岳大量遭難事故(きそこまがたけたいりょうそうなんじこ)とは、1913年(大正2年)8月26日から翌日にかけて襲った台風による悪天候に巻き込まれ、木曽駒ヶ岳を集団宿泊的行事で登山中の教員・生徒ら38人が遭難、うち11人が将棊頭山付近で死亡した山岳遭難事故である。のちに作家の新田次郎がこの事件をモデルとして小説『聖職の碑』を著し、映画化もされた。 事故の経緯[編集] 8月26日[編集] 遭難したのは、集団宿泊的行事で入山していた長野県上伊那郡中箕輪村の中箕輪高等小学校(現在の箕輪町立箕輪中学校)二年生25人を含む総員38人の一行であった。引率者は校長の赤羽長重と部下の征矢隆得(訓導)、清水政治(准訓導)であり、一行には同窓会員の10人も加わっていた。 計画では8月26日午前5時に出発、内ノ萱から行者岩、将棊頭山を経て濃が池へ至り、中岳の稜線を通って木曽

    木曽駒ヶ岳大量遭難事故 - Wikipedia
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    semimaruclimb 2022/08/19
    1913年8月26日~28日、台風による悪天候のため、学校行事中の教師生徒ら38人が気象遭難、うち11名が低体温症により死亡。
  • 羽根田治『ドキュメント 気象遭難』の感想

    以下は、『ドキュメント 気象遭難(羽根田治著、ヤマケイ文庫)』の紹介と感想になります。 『道迷い』に次いで登山で遭難する主要な原因の一つが、『気象(天気)の悪化・異常』である。その多くは、想定外の天気の変化だったり予想以上の悪化(悪天)だったりするが、『不意の雪崩・突風(強風による落石)』のように不可避に近いアクシデントに見舞われることもある。天気予報や現地の様子を確認して、できるだけ雨・雪が降らない晴天の日を選んで山に登るというのが安全登山の原則であるが、『冬期の登山・泊りがけの登山・長距離コースの登山』では常に想定外の気象変化のリスクが有り得るということを意識しておかなければならない。 書では『春・夏・秋・冬の7つの気象遭難の事例』を取り上げているが、それぞれのケースの『異常気象・気象悪化の特徴』に着目することで、自分の登山に潜んでいるかもしれない気象遭難の可能性に気づきやすくなるよ

  • 乳頭山遭難

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    semimaruclimb 2014/02/06
    2005年3月、秋田・乳頭山で43名が遭難し、全員保護された事件について。入山前日と当日の天気図比較。
  • 冬山の基礎知識 スノーシュー

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    semimaruclimb 2013/12/23
    基礎的なことは大事なこと。
  • https://www.jstage.jst.go.jp/article/seppyo1941/64/1/64_1_39/_pdf

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    semimaruclimb 2013/11/12
    【2000年6月新潟県浅草岳で発生したブロック雪崩災害の実態/日本氷雪学会】
  • サービス終了のお知らせ

    サービス終了のお知らせ いつもYahoo! JAPANのサービスをご利用いただき誠にありがとうございます。 お客様がアクセスされたサービスは日までにサービスを終了いたしました。 今後ともYahoo! JAPANのサービスをご愛顧くださいますよう、よろしくお願いいたします。

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    semimaruclimb 2013/09/27
    11月下旬の白馬乗鞍岳付近でリングワンダリングした人の体験記。天候が回復するまでテントで停滞したので遭難には至らなかった。/【小蓮華手前の天狗小屋】って、白馬大池山荘の誤記か?
  • 八甲田山雪中行軍

    明治35年に起きた八甲田山雪中行軍遭難事故の史実を、解説を添えて紹介します。組織経営を考える参考になるでしょう。 目次 1.八甲田山雪中行軍遭難とは 2.当時の史料が現代に復活 3.弘前連隊の雪中行軍研究 4.作戦と研究 5.青森行軍隊が駐屯地を出発 6.登山開始 7.大峠と大休止 8.1泊目露営 9.2泊目露営 10.遭難死と別行動 11.帰路を発見 12.後藤伍長が情況報告 13.弘前隊が通過 14.山口少佐の救出と死 15.挿話 16.映画の俳優 <参考文献> 斎藤武男、「雪中行軍記」、東奥印刷所、明治34年4月21日 佐賀新聞、明治35年2月4日号 百足登編、「青森連隊遭難 雪中行軍」、木文書店、明治35年2月 雨城隠士、「雪中行軍遭難談」、笛浦堂、明治35年3月 北辰日報社編、「第五連隊遭難始末」、近松書店、明治35年3月 三沢好吉、「雪中行軍 捜索隊」、三沢書店、明治35年3月

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    semimaruclimb 2013/09/17
    1902年1月、青森歩兵隊210名中199名が遭難死/これだけの死者を出した青森歩兵隊の判断を是認しすぎるきらいはあるが、良質なまとめ。狭い範囲で闇雲な彷徨をしていた様子がわかる。
  • 八甲田雪中行軍遭難事件 - Wikipedia

    合計 210 11 5.2% 弘前歩兵第31連隊[編集] 弘前ルートで入山した弘前歩兵第31連隊38名も、激しい風雪に悩まされたが、ほぼ全行程で案内人を立てたおかげで見事に踏破を果たした。 経過[46][編集] 1月20日午前5時、弘前の屯営を出発。気温零下6度。午後3時20分小国村に到着し村落に舎営。移動距離24キロ。 21日午前8時小国村を出発。午前11時40分切明村に到着し村落に舎営。移動距離6キロ。 22日午前6時30分切明村を出発。午後3時十和田村に到着し舎営。 23日午前7時十和田村を出発。午後4時30分宇樽部に到着し村落宿営。移動距離20キロ。 24日午前6時30分宇樽部を出発。午後6時30分戸来村に到着し舎営。移動距離34キロ。 25日午前7時30分戸来村を出発。午後4時11分三木に到着し舎営。移動距離20キロ。三木で1名離脱。 26日午前8時三木を出発。午後2時40

    八甲田雪中行軍遭難事件 - Wikipedia
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    semimaruclimb 2013/09/17
    1902年1月、青森歩兵隊210名中199名が遭難死/低体温症が進行すると錯乱し、奇声を上げる・裸になる等酔っ払いのような行動を取り、短時間で行動不能に陥る。/弘前隊の地元案内人に対する扱いが酷い。
  • 安全登山のために

    北海道の二千メートル級の山は、州の北アルプスと同等かそれ以上の厳しい気象条件です。荒天やオホーツク高気圧の影響を受けるときは、盛夏でも0℃前後の気温になることがあり、寒さ対策の装備は一年を通して必携と言えます。好天だからといって、雨具、防寒着などを持たずに入山する人を見かけますが、山の天気は変わりやすく非常に危険です。気象条件には関係なく、非常装備は持つように心がけて下さい。 ◆夏でも凍死 2002年6月の十勝岳(みぞれ)、同7月のトムラウシ(台風接近)の遭難死亡事故は、いずれも低体温症(凍死)でした。通常は雨具や防寒具により防ぐことができますが、今回のような暴風雨では役に立たなかったかもしれません。ずぶ濡れになった体に風が叩きつけることで、一気に体温が奪われ、やがては歩行困難・意識障害に陥ります。衣類が濡れた状態で風に吹かれることは非常に危険で、「何とかなるだろう」と荒天の中に身を投ず

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    semimaruclimb 2013/09/10
    2001年~2006年の大雪山系における遭難事故まとめ。
  • 団塊の世代一代記(Akimasa Net) - 団塊の世代一代記(Akimasa Net)

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    semimaruclimb 2013/08/22
    1963年1月、薬師岳にて愛知大学パーティ13名が遭難死/同日登頂した日本歯科大学パーティも3度も迷いかけたが、ルート偵察を頼りに無事下山。
  • http://sangaku-osaka.com/so-tai/10/anzen2/teitaion.pdf

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    semimaruclimb 2013/05/16
    日本山岳協会・大阪府山岳連盟【低体温症の予防と対処】/〆の文章【北海道の山は夏でも〔特大文字で〕寒 い で す よ!!】←真面目な資料なのに噴いたがな。
  • http://sangaku-osaka.com/so-tai/11/anzen/hokoku/111211anzen.pdf

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    semimaruclimb 2013/05/16
    大阪府山岳連盟【気象遭難を防ぐために】
  • 事故の天気

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    semimaruclimb 2013/03/17
    2003~05年の山岳遭難発生時の天気図。
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