個人的なことを言えば、子猫が殺されるという想像は痛ましいことであるし、出来れば殺す以外の選択があってくれるといいとは思っているのだが、まぁこれについての善悪だとか是非についての話はさておくとする。焦点にしたいのは、これを受けて自分が何をできるか、もしくは何をしたいのかということである。結論から言えば、できることなど何もないし、何かをするような気もさらさらない。そもそも動機を形成するには縁が薄すぎるのだ。自分は猫を飼っていないし、飼っていたこともない。坂東さんの本を読んだこともないし(昔の乱読期に読んだ可能性はある)、これから読むこともなさそうである。そして、現場となっているタヒチはとても遠い。この縁遠さは強力である。気分的には中東で起こっている紛争の話題だとか、南アフリカで起きている人種差別を原因とする殺人だとかと似たようなものである。そうなると、坂東さんが別に何をしようが(倫理的道義的理