検閲という政府などによる所作が極めて大きな問題として取り上げられるのは、単に映像作品などに与えられる「レイティング」のように共通の倫理基準を同じ社会に属するであろう子供たちのことを考慮して定めているものとは大きな違いがあるからだ。 結果、このような環境下に生まれ、育つ人々は、それ以外の環境で生を受けた人々とは全く異なる「思考の枠組み」に生きることを強制され、「思考の牢獄」以外の世界を想像することなく一生を終えることが大多数になるのではないか。 気がつくと同様の状況になるうる日本 僕たちは中国という国家の選択を、他人事として言ってばかりはいられないのではないか。 インターネットではないものの、放送で同様の可能性があるのは以前に指摘したとおりだ。例えば、NHKがその2006年度〜2008年度の経営計画の中で大きく位置づけているサーバー型放送では、視聴者は放送局が規定した以外の視聴方法をとること