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「知的生産の道具」と聞けば大抵のものは試してみるということを続けて、かれこれもう30年近くなる。スクラップブック、京大型カードから始まって、ハイパーカードを使うためにマックを買ったり、アウトラインプロセッサを試したり、ブラウザの出始めのときはその上手な活用法を考えたり・・・。新聞や雑誌から切り抜いた資料のスクラップには、大量のクリアファイルを使った時期もあった。日ごろ使うノートや手帳やメモ用紙やポストイットなども、それぞれ何十種類も試した結果、自分の好みを定め、現在に至っている。 そんな試行錯誤の末、最近は、Blogツールこそが自分にとっての究極の「知的生産の道具」かもしれない、と感じ始めている。こんなことは当たり前の話かなと思ってGoogleでちょっと調べてみたが、Blogを「知的生産の道具」としてとらえるという話は、そんなにたくさんは書かれていないようなので、ちょっと試しに書いてみる。
この 1 年でコンピュータ・インターネットとの対峙が大きく変化した. 静的なインターネットとの接触 小学校でコンピュータと出会って,中学でインターネットと出会った.その時から 1 年前まで大体その接し方は 変わらなかった.それは言うなれば「静的」な接触. 情報を得たければ,Google で検索し直接そこへ飛んでいく.情報を発信したければ自分で サーバに静的な HTML ファイルを作って公開する.圧倒的に脳や手先で処理する情報の量が多く, さらに手順も多いため利用することに対してストレスが強かった. 動的なインターネットとの接触 それがここ 1 年で急速に質的な変化を遂げた.Web2.0 という言葉を実感せざるを得ないくらいに. SNS から Blog への変化 始まりは mixi からだった.「mixi とか始めたら終わりだと思う」とか意地張って無視してたけど, とりあえずやってみることで
しばらく待ってみたところ、わたしの期待していた以上のひとことを言ってくれた方がいた。 その方の見方は、小説としての『日本語が亡びるとき』を読んで、その主人公である「私」が結末の章で思い至ったことが衝撃であり問題となっている、というものだった。 思わずひざを打ってしまいそうなひとことだった。わたし自身がうだうだと考えつづけていたことをさらりと言って、その先へと論を進めている方がいて、ああなるほど、これでよかったのかなと思った。 なにがよかったのかというと、自分がこの本を読んで思いついたことを何回かに分けてぼそぼそと書きながら、周りの方がどのようにこの本を読んでいるのかをこっそり垣間見てきたことだ。わたしはどちらかといえば、本を読むのは内向きで完結してもかまわないと考えていて、本を読んだということをわざわざ人に言って回るほどのことはないと思っていた。本を読むのは学校の授業でなにかを一斉に読むの
「中央公論」編集部の田中正敏さんからメールが届いた。「『ウェブ時代をゆく』を語る」をまとめてくださった田中さんである。 「グーグルに淘汰されない知的生産術」ですが、『読売新聞』書評同様、もしよろしければ販売期間終了後(5月9日)を目処にブログにて公開していただいても、と思います。非常に充実したお話でしたので、より多くの方の目に触れればと思う次第です。 ありがたい申し出をいただいたので、ここに全文を公開することにします。 「中央公論」五月号の「特集・知的整理法革命」(野口悠紀雄、梅田望夫、外山滋比古、佐藤優、勝間和代、茂木健一郎)という文脈で、田中さんの取材を受け、勉強や仕事の仕方について僕が二時間ほど話をした内容をもとに、彼が文章にまとめてくれたものです。 さすがにこのテーマだとほぼすべての人が、それぞれの観点からグーグルを論じていて面白かったです。 どうぞお楽しみください。 旧来の整理法
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