タグ

ブックマーク / sumita-m.hatenadiary.com (33)

  • 「猫は天国には行かず、女にはシェイクスピアのような劇が書けない」 - Living, Loving, Thinking, Again

    自分ひとりの部屋 (平凡社ライブラリー) 作者: ヴァージニアウルフ,Virginia Woolf,片山亜紀出版社/メーカー: 平凡社発売日: 2015/08/25メディア: 文庫この商品を含むブログ (9件) を見る ヴァージニア・ウルフ*1『自分ひとりの部屋』第3章に曰く、 (前略)わたしはいまは亡き老紳士、たしか主教だったその方が、シェイクスピアと同じくらいの才能を女性が持つなんて、過去も現在もありえないと公言していたことを思い出しました。その方は新聞各紙でそう書いていました。さらにある女性がこの型に問い合わせたところ、は天国にはいきません、魂みたいなものはあるにはありますがね、と答えたそうです。こういう老紳士の方々は、当に思索の労を省いてくださいます! これらの方々のおかげで、知らないことが当に減っていきます!  は天国には行かず、女にはシェイクスピアのような劇が書けないそ

    「猫は天国には行かず、女にはシェイクスピアのような劇が書けない」 - Living, Loving, Thinking, Again
  • お茶が毒になるとき - Living, Loving, Thinking, Again

    工藤佳治「緑茶に砂糖をいれて飲む。「信じられない!」」http://www.asahi.com/world/china/cha/060817.html 私だって、最初に間違って砂糖入りの烏龍茶を買ってしまったときは「信じられない!」だった。 さて、工藤さん曰く、 中国でペットボトル飲料が一般化する前、日に来た中国人留学生の多くは、あるカルチャーショックを受けていた。故郷で「一晩おいたお茶は毒だ」、「冷たいお茶は身体を冷やすのでよくない」と言われて育った。でも、日に来てみると、その「毒」とまでいわれたものが、街角にあふれかえった自動販売機で、堂々と売られている。しかも、みんなが手軽に買って飲んでいる。「不思議だ」、「しばらくは怖くて買えなかった」という人もいた。この「一晩おいたお茶は毒だ」というのは中国特有のことではない。私も子どもの頃から親にそう言われていた。その真偽はわからないが、今

    お茶が毒になるとき - Living, Loving, Thinking, Again
  • スキルを! - Living, Loving, Thinking, Again

    「自殺した奴を保護するな。「自殺=悪」とすれば、自殺は減る。」http://blog.livedoor.jp/ikiradio/archives/51488904.html 2010年のエントリーだが、最近になって再度話題になっているようだ。 まあ自殺を肯定するのか否定するのかというのは、宗教的信念その他によって、様々なスタンスがあり得るだろうし、自殺の是非を巡る倫理学的議論ももっと行われてもいいと思う。ただ上掲のエントリーを書いた「非モテSNS」を運営しているという方の自殺を減らしたいという願いに沿って考えてみると、ここで言われていることというのは全く効果が見込めないと思う。たしかに自殺を賛美するような言説が蔓延が自殺を後押しすることになるということは言えるだろう(Cf. 高橋祥友『群発自殺』*1)。この人は「親や友達の気持ち」を配慮せよという。しかしそもそも、「親や友達の気持ち」を配慮

    スキルを! - Living, Loving, Thinking, Again
  • 「びゅんびゅん回す 愛のムチ」 - Living, Loving, Thinking, Again

    『四国新聞』の記事; 大阪維新の会、市民団体に陳謝/発達障害めぐる表記 2012/05/07 14:11 発達障害がある子の親らでつくる市民団体は7日午後、大阪維新の会が議会提出する方針の家庭教育支援条例案について提出中止を求める要望書を同会市議団に市役所で手渡した。これに対し市議団幹部は発達障害をめぐる規定に不備があったとして「迷惑をかけて申し訳ない」と陳謝した。 これに先立ち維新の会代表の橋下徹大阪市長は条例案について記者団に「発達障害の子どもを抱えるお母さんに対し愛情欠如だと宣言するのはちょっと違うのではないか」と苦言を呈した。同時に「子育ての方法について条例でルール化するのはどうなのか」と疑問を投げ掛けた。 http://www.shikoku-np.co.jp/national/political/20120507000135 維新の会、家庭教育条例案を撤回/発達障害で批判相次ぐ

    「びゅんびゅん回す 愛のムチ」 - Living, Loving, Thinking, Again
  • 「戦争花嫁」(メモ) - Living, Loving, Thinking, Again

    承前*1 「戦争花嫁」という言葉もあった。 戦争花嫁とは、狭義に、第二次世界大戦後、進駐軍兵士と結婚した日人女性を意味する。現在では、日では死語に近い。 戦争花嫁という言葉は、進駐軍が使った英語のwar bride(戦争花嫁)という言葉を直訳して使われたものと思われる。 War brideとは、a foreign girl or woman who marries a serviceman who is overseas and goes to live in his country とランダムハウス英々辞典に記載されている。 在米日系人社会では、広義に、アメリカ人兵士・軍属と結婚して渡米した日人女性を戦争花嫁と呼んでいる。現在も戦争花嫁という言葉は、在米日系社会では使われている。(林かおり「アメリカ戦争花嫁の歴史的経緯と帰属意識(アイデンティティー)」http://www.kat

    「戦争花嫁」(メモ) - Living, Loving, Thinking, Again
  • 大江健三郎と「私小説」(メモ) - Living, Loving, Thinking, Again

    美しいアナベル・リイ (新潮文庫) 作者: 大江健三郎出版社/メーカー: 新潮社発売日: 2010/10/28メディア: 文庫購入: 2人 クリック: 18回この商品を含むブログ (12件) を見る 承前*1 大江健三郎『美しいアナベル・リイ』への川三郎*2の「解説」に曰く、 大江健三郎は特異な私小説作家である。 自身を思わせる「私」を中心に、その、子供の「光」、娘、故郷である四国に住む母、妹、あるいはの兄である映画監督、といった実在する家族を登場させながら、そこに大胆に虚構を持ち込んでゆく。私小説という狭い世界を、伝承や世界文学と響き合う豊かな物語の世界へと広げてゆく。「ファンタジー化した私小説」というゆえんである。 (略) 大江健三郎にとって私小説という日近代文学の伝統的手法はあくまでも、私小説を乗り越える手段になっている。読者は、私小説を読んでいるつもりだったのにいつのまにか

    大江健三郎と「私小説」(メモ) - Living, Loving, Thinking, Again
  • 中島岳志 on 吉本隆明 - Living, Loving, Thinking, Again

    承前*1 中島岳志*2「「態度の思想家」の凄みとやさしさ」『毎日新聞』2012年3月21日夕刊 吉隆明追悼文。 中島氏は吉の『最後の親鸞』「をきっかけに親鸞思想に傾斜し、のちに仏教徒という自覚をもつに至った」という。曰く、 親鸞は「自力」を懐疑し、弥陀の願という「絶対他力」に随順した。そして、「非僧非俗」「愚禿」「凡夫」を自称し、農民と共に歩んだ。その背景には、仏教界の権威的ヒエラルキーに対する批判があった。エリートによるスターリン主義を批判し、大衆に寄り添うことを是とした吉は、親鸞の中に自己を見たに違いない。 親鸞も吉氏も、大衆と共にあるながら「一人」であることを自覚した人間だった。そして、大衆に寄り添いつつ、世の中の風潮や権威に寄り添わない人間だった。それは言論活動だけでなく、日常生活の微細な部分にまで及んだ。 吉氏は、決然として人を裏切らなかった。彼は思想に誠実であるがゆ

    中島岳志 on 吉本隆明 - Living, Loving, Thinking, Again
  • コミュニケーションの失敗と「自己」の起源(メモ) - Living, Loving, Thinking, Again

    最新・マインドサイエンス―現代心理学の冒険 作者: 渡辺恒夫出版社/メーカー: 八千代出版発売日: 1994/03メディア: 単行この商品を含むブログ (1件) を見る 加藤義信「精神の発達(発達心理学)」(渡辺恒夫編『新訂版 最新・マインドサイエンス 現代心理学の冒険』八千代出版、1995、pp.80-117) 少しメモ。 シークランド(Siqueland, 1968)は、生後数日の乳児に、頭が一定の角度以上で回転したらゴムの乳首を口内に挿入してやるというオペラント条件づけの実験を行なったところ、1分間に生ずる頭の回転運動の頻度は明らかに高まったと報告している。この実験は、新生児でも自分の身体の運動とそれに随伴する事象との関係を発見する能力があることを示していて、興味深い。このような随伴性の発見能力は、外界に変化を生み出す源泉としての自分という主体感(sense of agency)の

    コミュニケーションの失敗と「自己」の起源(メモ) - Living, Loving, Thinking, Again
  • たしかに「話題がTVや新聞、コミック誌に限定された人に」「魅力を感じ」ないけれど - Living, Loving, Thinking, Again

    蒲生トシヒロ「井出くんが聴くべき10枚の音楽アルバム」http://www.dakiny.com/archives/music/listen-to-10-albums/ 曰く、 音楽をいくらたくさん聴いても音楽業界にいるでもない限り、お金に替わったり出世できたりするわけではない。だがそれは目の前を見ているだけだからそう思うだけなのだ。 若いうちは自分の能力だけで仕事ができる。でもある年齢に達したり、あるポジションになって自分の力の限界を感じたとき、人脈というものが必要になってくる。 その時、コミュニケーションに役立つのが、自然に身についてきた趣味教養なのだ。 話題がTVや新聞、コミック誌に限定された人に君は魅力を感じるか? 僕も50代であるが、周囲でシルバーエイジで活躍してる人たちは、例外なく趣味教養がゆたかでユニークな人たちが多い。 一見仕事に結びつかない音楽鑑賞や映画鑑賞は結果的に

    たしかに「話題がTVや新聞、コミック誌に限定された人に」「魅力を感じ」ないけれど - Living, Loving, Thinking, Again
  • たしかに「南京事件」というのはあまり聞かない - Living, Loving, Thinking, Again

    承前*1 『毎日』の記事; 河村・名古屋市長:「南京事件というのはなかった」と発言 2012年2月20日 12時33分 更新:2月20日 12時56分 名古屋市の河村たかし市長は20日、表敬訪問を受けた同市の姉妹友好都市である中国・南京市の共産党市委員会常務委員らの一行8人に対し、1937年の南京事件について「通常の戦闘行為はあって残念だが、南京事件というのはなかったのではないか」と発言した。 河村市長は旧日兵だった父親が南京で45年の終戦を迎え「温かいもてなしを受けた」と話していたことを明かし「8年の間にもしそんなことがあったら、南京の人がなんでそんなに日の軍隊に優しくしてくれたのか理解できない」などと述べた。 さらに「真実を明らかにしないと、とげが刺さっているようなものでうまくいかない。一度、討論会を南京で開いてほしい」と求めた。 南京事件を巡り河村市長は09年9月の市議会一般質問

    たしかに「南京事件」というのはあまり聞かない - Living, Loving, Thinking, Again
  • 「女帝中継ぎ論」の系譜(メモ) - Living, Loving, Thinking, Again

    義江明子*1「「女帝中継ぎ論」とは何か――研究史と史学史の間」『図書』755、2012、pp.6-9 「中継ぎ論」の前提には、(1)来の天皇は男性である、(2)皇位の父子継承は古来の原則、という通念があった。そこから、”女帝はやむを得ない事情があった場合の特殊例外”とする解釈が生まれた。ところがこの通念そのものが、現在では大きくゆらいでいるのである。(p.6)「女帝中継ぎ論」の嚆矢としての喜田貞吉「中天皇考」(1915)。「喜田は、史料に見える「中天皇」「仲天皇」「中皇命」をいずれも「ナカツスメラミコト」と訓み、皇極・元正等の女帝にあてて、先帝と後帝との間をつなぐ天皇のことだとした」(ibid.)。 折口信夫「女帝考」(1946)*2。 折口は、「ナカツスメラミコト」とは、神と天皇の間を媒介する「みこともち」(巫)のことだとした。来の天皇(男)が欠位の際に、「みこともち」たる皇后が即位

    「女帝中継ぎ論」の系譜(メモ) - Living, Loving, Thinking, Again
  • 『コペンハーゲンの猫』問題 - Living, Loving, Thinking, Again

    Alison Flood “James Joyce children's story The Cats of Copenhagen gets first publication” http://www.guardian.co.uk/books/2012/feb/09/james-joyce-childrens-story-cats-copenhagen *1 ジェイムズ・ジョイスの未発表の子ども向け物語The Cats of CopenhagenがアイルランドのIthys Press*2という出版社から刊行された*3。 (…) The Cats of Copenhagen was written in a letter to Joyce's grandchild, Stephen James Joyce, while the author was in Denmark and the fo

    『コペンハーゲンの猫』問題 - Living, Loving, Thinking, Again
  • 「所有」と「交換」(モース) - Living, Loving, Thinking, Again

    承前*1 マルセル・モースの世界 (平凡社新書) 作者: モース研究会出版社/メーカー: 平凡社発売日: 2011/05/13メディア: 新書購入: 7人 クリック: 42回この商品を含むブログ (20件) を見る 佐久間寛「経済 交換、所有、生産――『贈与論』と同時代の経済思想」(in モース研究会『マルセル・モースの世界』*2、pp.181-212)からの抜書きの続き。 わたしたちの経済は、物が商品として、つまり貨幣を媒介として交換される経済である。主な交換の場は市場である。そこでは、物だけでなく労働力や権利なども商品として売買される。売り手と買い手は、少しでも多くの利益が得られることを望む。私的な利益を追求する個人や企業による自由競争が経済活動を支える原動力であるともいわれる。いわゆる自由主義経済である。 一方、モースの描いた贈与交換の世界において、物は商品以上の何かである。それは人

  • 「かれの尊敬は、軽蔑よりも侮辱的で、恥辱的である」 - Living, Loving, Thinking, Again

    「古代人は神話を信じたか」*1の余白への落書き; (前略)「双面像」的存在であるソクラテスはギリシア思想史において、最初の近代的複雑さ、最初のペシミスティックな分離、最初の謎を体現している。(略)ソクラテスはかれの実例によって、美は常にすばらしいものであるとか、善と真の発光であるというのを否認し、外見は常に質の真実な現れであるというのを否認する。肉体的醜さと道徳的美しさとの交錯を確立するソクラテスの仮面は、人間に自分の現代性を教えてくれる。外面は雄山羊のように醜く、内面は神のように賢いソクラテスは、その斜視と、かれ自身の神話のかげに隠れて、善=美という公的、自己満足的、公教的な方程式を離してしまう。かれの容貌はかれの思想を裏切り、かれの言辞は二重の意味に解され、かれの使命を巧妙に塗り隠している。かれは偽って明瞭なのであり、カリクレスの妙技やエウテュプロンの偏狭な信心ぶりに感心するふりをし

    「かれの尊敬は、軽蔑よりも侮辱的で、恥辱的である」 - Living, Loving, Thinking, Again
  • 「言語はきわめて自由な翻訳に似ている」(メモ) - Living, Loving, Thinking, Again

    イロニーの精神 (ちくま学芸文庫) 作者: ウラディミール・ジャンケレヴィッチ,久米博出版社/メーカー: 筑摩書房発売日: 1997/10メディア: 文庫 クリック: 22回この商品を含むブログ (13件) を見る ウラディミール・ジャンケレヴィッチ『イロニーの精神』(久米博訳)からメモ。 言語はきわめて自由な翻訳に似ている。その翻訳によれば、一般的な意味は、後になってみれば、大体のところは表現されている、といったものである。表現はけっして近似的にしか、忠実であり得ない。大脳局所説、あるいは文法的局所説でおかしいのは、それが正確に規定することである。ことばは、それだけ切り離してみると、何物でもないか、あるいはそれだけですでに完結した観念であるか、である。後者こそ、おそらく概念を潜在的判断の綜合として説明するときに、意味しようとしたことであろう。この意味で、語音類似は例外でなく、まさに規則な

    「言語はきわめて自由な翻訳に似ている」(メモ) - Living, Loving, Thinking, Again
  • 映画は大丈夫なのか - Living, Loving, Thinking, Again

    「「漫画読めない子どもが増加」 ツイッターきっかけで議論盛り上がる」http://www.j-cast.com/2012/01/17118907.html 「今の子どもたちはを読めないだけでなく、漫画すら読めない可能性がある。漫画を読んでも、文字や絵の流れをつなげて話を理解できない」云々。要因として挙げられている事柄は、さてどうなんでしょうという感じ。昔或る高名な学者が漫画を読むのは疲れますねと言っていたのを聞いたことがあるのだが、もしかしたら団塊の世代以前に戻っただけなのかも知れない。 不図思ったのだが、「漫画すら読めない」人というのは映画を観るのも困難なのではないかということだ。そもそも漫画(特に劇画)は〈紙の上の映画〉であるともいえ*1、漫画のコマ割りというのは映画におけるカットの繋ぎ、モンタージュに相当するのではないか*2。つまり、カットから想像的にシーンを再構成することが困難な

    shimomurayoshiko
    shimomurayoshiko 2012/01/31
    “「今の子どもたちは本を読めないだけでなく、漫画すら読めない可能性がある。漫画を読んでも、文字や絵の流れをつなげて話を理解できない」云々”
  • 「文字」の権能その他 - Living, Loving, Thinking, Again

    アフリカ (地域からの世界史) 作者: 川田順造出版社/メーカー: 朝日新聞発売日: 1993/09メディア: 単行 クリック: 8回この商品を含むブログ (1件) を見る 家に放置されていた川田順造先生の『地域からの世界史5 アフリカ』を夢中になって読んでしまう。川田先生の専門というか主要なフィールドが「モシ族」であるせいか、記述が西アフリカ或いは中央アフリカは詳しいものの、南アフリカは相対的に薄いのではないかという感じもしたが、とにかく面白かった。例えば、西アフリカや中央アフリカにおける王国や帝国の興亡の記述とかは手に汗握らせる。 ここでは、I章「アフリカの黎明」でなされている「文字」についての省察をメモしておく。 ある社会が文字をもっているかどうかは、「文明」と「未開」を分けるもっとも重要な基準とされてきた。文字をもつ社会でも、文字を知っている者は、古代エジプトの初期(スクリブ)か

    「文字」の権能その他 - Living, Loving, Thinking, Again
  • 「香港」なの? - Living, Loving, Thinking, Again

    快楽の館 (河出文庫 ロ 2-1) 作者: アラン・ロブ=グリエ,若林真出版社/メーカー: 河出書房新社発売日: 2009/04/03メディア: 文庫購入: 2人 クリック: 28回この商品を含むブログ (16件) を見る アラン・ロブ=グリエ*1の『快楽の館』を読了したのは先々週のこと*2。 この小説の舞台は、香港、まだ人力車が活躍していた1960年代の香港ということなのだが、果たしてそうなのか。 例えば、 (前略)ぼくは彼女にいとまを告げようとして立ちあがったが、少々ガラス・ケースに近づきすぎる過ちをおかしてしまう、象牙でできたふたつの小さな人物像が飾ってある陳列棚に、なにげなく目をやる。ひとりぼっちになることを真底からおそれているレディ・アーヴァは、なにがなんでも話題を探そうとして、この彫像は香港からきたものだと言い、香港に行ったことがあるかとぼくにたずねる。もちろんぼくは「ええ」と

    「香港」なの? - Living, Loving, Thinking, Again
  • 早川語録 - Living, Loving, Thinking, Again

    承前*1 「早川由紀夫教授ツイートの 問題について/Skeptic's Wiki」http://blog.goo.ne.jp/harumi-s_2005/e/df8585e06195e80d2a8a93b1197265a4 See also http://skepticswiki-jp.org/wiki.cgi?page=%C1%E1%C0%EE%CD%B3%B5%AA%C9%D7%A1%A1%A1%CA%C5%EC%C6%FC%CB%DC%C2%E7%BF%CC%BA%D2%A1%CB まさに〈早川語録〉。赤いポケット・ブックになるのだろうか。 ざっと目を通してみて、古寺多見氏の 一連の早川のTweetについて、早川が当に主張したいことは、放射性物質の拡散を止めろということであり、それ自体は正論だとする反論がある。しかし、それなら福島の農家に対する非難を強調することは逆効果であり、早川

    早川語録 - Living, Loving, Thinking, Again
  • 金井先生は読んでいるのだろうか - Living, Loving, Thinking, Again

    そういえば、「もし金井美恵子が岩崎夏海の『小説の読み方の教科書』を読んだら」と妄想した人がいたのだった*1。 金井先生は「小説の読み方」についてどう言っているのだろうか、ということで、『小説論 読まれなくなった小説のために』から; でも、面白い批評というのは、多少の、これはちょっといただけないし、共感できないなあ、という部分がないと、実は読者としては困ります。あんまり正しいことばかり書いてあると、それ以外に読みようがないのではないか、という気持ちになってしまって、いささか圧迫感を感じます。幸い、ナボコフの読み方には、ちょっといただけない、というとこが、かなりありますから、そこがまたいいのです。(p.87) 小説家は自分の意図とは違う読まれ方をしても、たとえば志賀直哉は『暗夜行路』について小林秀雄と河上徹太郎が恋愛小説だと評した時、小説というのは幅広いものだ、と言ったそうですが、確かに、どう

    金井先生は読んでいるのだろうか - Living, Loving, Thinking, Again