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ブックマーク / 9bit.99ing.net (22)

  • ARとマジックサークル - 9bit

    時事ネタついでに「マジックサークル」概念についてまえから思っていることを書く。 サレンとジマーマンの『ルールズ・オブ・プレイ』に「マジックサークル」(邦訳では「魔法円」)という有名な概念がある(Salen & Zimmerman 2004: ch.9)。簡単に言えば、ゲームの内外を境界づけているなにかのことであり、この概念によって「ゲームに参加する/ゲームをやめる」という事態が説明される。 ホイジンガ由来の概念と言われる場合もあるが(そして実際サレンとジマーマンはホイジンガから借りたと書いているが)、ホイジンガはなんらかの理論的概念として持ち出しているわけではない。そういうわけで、実質的にはサレンとジマーマンのオリジナル概念だ。 「マジックサークル」の2つの意味 しかし、サレンとジマーマンの記述にしたがうかぎりは、この概念はかなり曖昧だ。少なくとも、明確に区別できる(そしてすべき)2つの意

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    shinimai
    shinimai 2016/07/26
  • イェスパー・ユール『しかめっ面にさせるゲームは成功する』書評 - 9bit

    イェスパー・ユール『しかめっ面にさせるゲームは成功する: 悔しさをモチベーションに変えるゲームデザイン』(Bスプラウト訳、ボーンデジタル、2015)の見をご恵投いただいたので、レビューします。 原著は、Jesper Juul, The Art of Failure: An Essay on the Pain of Playing Video Games(MIT Press, 2013)で、MIT Pressの「Playful Thinking」シリーズの一冊。このシリーズは、ゲームや遊びに関するユニークな議論をコンパクトなサイズで出すというコンセプトらしい。内容と文体からして、研究書と一般書の中間くらいの雰囲気がある。個人的にもこのシリーズには注目している。 ユールの著作の邦訳が出版されるのは初めてだ。人文系ゲーム研究の格的な研究書の邦訳も初めてと言えるかもしれない。ゲームデザインの

    イェスパー・ユール『しかめっ面にさせるゲームは成功する』書評 - 9bit
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    shinimai 2015/12/30
  • ゲーム研究における美学の役割 - 9bit

    というか私の役割について。 先日モリス・ワイツの古典的論文を訳してアップしたんですが、その結論部分でいかにも美学ってかんじの上から目線の文章があって、あらためて美学と自分のお仕事について反省しているところです。 M. Weitz「美学における理論の役割」|まつなが|note われわれ哲学者としては、芸術の定義とその背後にあるものの区別をいったん理解したなら、伝統的な芸術理論に寛大な態度で接するのが適切だろう。〔…〕理論の役割を理解することは、それを定義――論理的に言って失敗が運命づけられているもの――として理解することではない。 ここで「芸術理論」と呼ばれてるのは、「芸術とはxxなんである」という「定義」を主張する俺理論みたいなやつで、哲学的に洗練されてないような理論のこと。ようするに、ワイツは、「そういう俺理論が言ってることは定義としてはおかしいんだけど、それはそれでそれなりの役割と意義

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    shinimai 2015/05/28
  • ゲームはフィクションではない - 9bit

    ゲームをフィクションないしメイクビリーブといっしょくたにするなという話です。主張の内容は以下のとおり。 フィクションとゲームは、そのなかでの事柄が現実の利害関心から分離しているという点で似ている。 フィクションとゲームは、そのなかでの事柄が、想像されるものであるか、制度的に構成されるものであるか、という点でちがう。 現実的利害からの分離という特徴を指すのに「フィクション」という語をつかうのは、議論の整理という観点からいって致命的にまずい。 ケンダル・ウォルトンの『In Other Shoes』(2015)のKindle版が出てたので、とりあえず5章の「"It's Only a Game!": Sports as Fiction」だけ読んだ。 ウォルトンは、スポーツに代表される競争的なゲームを観戦することが、演劇のようなフィクションを鑑賞することと同じくメイクビリーブの側面を持っていると主張

    ゲームはフィクションではない - 9bit
    shinimai
    shinimai 2014/12/29
    “想像されるものではない。それゆえ、ウォルトンを含めたフィクションの哲学者の多くがそうするように、フィクションをメイクビ”
  • 時の試練とスノビズム - 9bit

    いわゆる時の試練(the test of time)と美的判断の関係をどう考えるかというのが長らく懸案だったのだが、ぐぐってたまたまひっかかったなんかの事典の「美的価値」の項目を眺めてたらいい考えがひらめいた気がするのでメモっておく(すでに誰かが同じようなことを言ってるかどうかはしらない)。 読んでたのはこれ。 Levno Plato & Aaron Meskin. "Aesthetic Value." Unedited draft of entry on Aesthetic Value forthcoming in Encylopedia of Quality of Life Research (Springer 2013). [doc] 以下の内容には直接関係ないが、とてもわかりやすくていい文章。 時の試練は、美的価値の高い作品は時代を超えて高評価されるよねという直観を拾う概念で、ヒュ

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    shinimai 2014/12/10
  • ゲームの評価基準の話をしよう - 9bit

    ぷらとんさんの記事を読んだ。面白かった。 ぷらとん-マイナーゲームのために 私的思索の振り返り その3 ある特定の作品がなぜいいか(あるいは悪いか)を述べるのが批評であり、いい作品の一般的な条件つまり評価基準を述べるのが批評理論だと言っていいかもしれない。批評は評価の説明を与え、批評理論は批評の根拠と道具立てを与える。 ぷらとんさんの議論は、そういう意味での批評理論として非常に質の高いものになっている。少なくとも、ゲームの評価基準について、そのへんのゲームデザインよりもよほど明確で鋭い指摘をしている。 (ゲームデザインの著者は「ゲームデザインはいいゲームの基準ではなくいいゲームの作りかたを教えるものですから」とかいう言い逃れをするかもしれないが、「いいゲームの作りかた」なる物言いは「いいゲームとはどのようなものであるか」を前提しているわけなので、評価基準についての最低限のクオリティを

    ゲームの評価基準の話をしよう - 9bit
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    shinimai 2014/06/20
  • 『なぜ人はゲームにハマるのか』について - 9bit

    200ページ弱のうちの3分の1くらいは画像と名作ゲームの紹介なので、実質的な分量は少ない。文字たくさんの文章がつらい向きには読みやすいかもしれない。 想定読者層のひとつとしてゲーム研究者を挙げているが、先行研究をちゃんと紹介したりそれとの接続を試みたりというかんじではないので、研究書とは言いづらい。 おおまかな内容は以下の書評によくまとめられている。 渡辺 修司、中村 彰憲 『なぜ人はゲームにハマるのか 開発現場から得た「ゲーム性」の質』(SBクリエイティブ、2014) | FF2400.jp@blog版 面白かったのは10章。難易度バランスのとりかたのバリエーションを「効率予測」という概念をキーにして説明しているところ。「効率予測」は「高リスク短時間と低リスク長時間のあいだの最適解を、プレイヤー自身のスキルレベルに応じて判断する」ことであるとされる。11章では、この「効率予測」を「喚

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    shinimai 2014/05/15
  • ゲーム研究と「ナラティブ」 - 9bit

    「ナラティブ」(narrative)という用語がゲーム研究や周辺領域において使われる場合の留意事項いろいろ。たぶん偏っています。 以下、カタカナにする意味もあんまりないので「物語」で通します。 「物語」のいろいろな意味 イェスパー・ユールは、著書 Half-Real のなかで、「物語」という用語が「かなり細かく特定しないかぎりは実践的に無意味」になるくらい多様な用法を持っていることを指摘したうえで、そのうちの主要な用法を6つ挙げている(Juul 2005: 156-157)。 複数の出来事の提示(presentation)としての物語。これは、この言葉の原義かつ文字通りの意味、つまりストーリーを語ること(storytelling)である(Bordwell 1985; Chatman 1978)。 固定され(fixed)あらかじめ定められた(pre-determined)出来事連鎖としての物

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    shinimai 2013/08/30
  • イェスパー・ユール『Half-Real』はこんな本 - 9bit

    人文系ビデオゲーム研究の古典的な研究書である Jesper Juul, Half-Real (2005) の章ごとのざっくりな紹介です。 ちょっと入用でぱっと作ったものですが、せっかくなので公開しておきます。いまさら感あるけど(というか、日でも比較的知られてるし読書会もいくつかされてるらしいわりに具体的な内容についての言及がなさすぎなのはなんなのか)。 「日語で読ませろ」という人が続出すれば、どこかの出版社さんが翻訳をだしてくれる流れにならなくもないかもしれませんので(てきとう)、よろしくおねがいいたします。 以下まとめ。〔〕内は補足。 Preface 思い出話。 1. Introduction このの基的な構想(ビデオゲームに現実のルールと虚構世界という二面性を見たうえで、両者の関係を考える)の提示。 採用する大まかな理論的枠組みと扱う主題を示し、それぞれについて先行研究を軽く紹

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    shinimai 2013/04/28
  • ゲームのヒーローは誰か - 9bit

    今週末のDiGRAJの夏季大会の高橋志行さんの予稿を読んで考えたことなど。 ↓予稿の内容はおおむねこんなかんじ↓ ある種のゲームは、プレイヤーの活躍を物語として描くよう意図されてデザインされているわけだが、そのようなデザインでは一種の「逆説」が生じる。つまり、その種のゲームは、一方で (a) プレイヤーの活躍を可能にするためにプレイヤーの選択に応じた異なる帰結の可能性を必要としつつ、もう一方で (b) プレイヤーの活躍を保証するために特定の(ふつう望ましい)帰結が予定されていなければならない。 ようするに、一道だと活躍もくそもないので失敗する可能性がなければならない一方で、活躍を描くよう意図された(そしておそらくそのように期待された)ゲームである以上、活躍の筋書きも用意されてなければならない(つまり必ず成功しうるものとして提示されなければならない)。 (a) プレイヤーの活躍は、〈プレイ

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    shinimai 2013/03/18
    個人的な俺理論では意味論と統語論のコンフリクトだろうな。ただ特定の意味をもたせるためのコンフリクトか
  • ダントーの「アートワールド」は後半が面白い - 9bit

    昨日の勉強会で話題にのぼったのでまとめておきます。 ダントーの有名なアートワールド論文は、前半部分、つまり、芸術の定義にかかわる「アートワールド」概念や、芸術作品の同一性や解釈にかかわる不可識別性の議論ばかり取り上げられる印象があるけど、実は後半部分のほうがおもろいんやで、という話。 Arthur C. Danto, "The Artworld," The Journal of Philosophy 61 (1964): 571-584. 扱うのは4節です。3節までで芸術作品を可能にしているのは理論なのだーという主張をくどくどしたあとに、ダントーはそのような理論が実際に作品やその経験にどのようなしかたで関係するのかについてわりと唐突に議論しはじめます。 ダントーはまず「種類Kに関連ある述語」(K-relevant predicates)という概念を導入する。これは「Kに属する諸対象に、意味

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    shinimai 2013/03/17
  • - 9bit

    まつなが / Matsunaga 美学とゲーム研究を勉強しています。 Interested in aesthetics, philosophy of art, and game studies. Location Kyoto Email matsunagashinjiumeboshigmail.com Twitter twitter.com/zmzizm Works researchmap.jp/zmz Recent Entries 続『ビデオゲームの美学』の「シミュレーション」について 『ビデオゲームの美学』の「シミュレーション」について 井奥『近代美学入門』の感想 上野「ゲームにおける自由について」の感想 MDAフレームワークの論文の全訳(訳注付き) ゲームにおける3つの「フィクション」 単数形のgame mechanic 『キリギリスの哲学』読書メモ(全章分) 倍速の美学 「メディア

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    shinimai 2013/03/11
  • 最近出たゲーム研究の本 - 9bit

    誰得感がはんぱないですが、2012年に出た人文系ゲースタのアンソロジー/入門系のを4冊ほど紹介しておきます。 The Philosophy of Computer Games ヨーロッパで定期的にやっているPhilosophy of Computer Games Conferenceで発表されたものを中心にまとめたアンソロジーです。イントロにあるように、コンピュータゲームの哲学の仕事は、(1) コンピュータゲームについてのアカデミックな研究がしばしば持ち出す基礎的な諸概念を批判的に吟味し、明瞭化する、(2) 伝統的な哲学的諸問題をコンピュータゲームの文脈のうちで扱う、の2つであるとされます。 全部で17個の論文が3つのパートに分けられるという構成になっています。パート1はプレイヤーのプレイ経験の話、パート2はゲームと倫理の話、パート3はゲーム世界あるいはフィクションの話が中心です(目次は

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    shinimai 2013/02/05
  • ニューヨーク近代美術館がビデオゲーム14作品をコレクションに追加 - 9bit

    いい日語まとめがないのでまとめておきます。 Source: MoMA | Video Games: 14 in the Collection, for Starters ニューヨーク近代美術館(MoMA)がビデオゲームのコレクションに格的に乗り出し、手始めに以下の14作品を収蔵したようです。 パックマン (1980) Tetris (1984) Another World (1991) Myst (1993) SimCity 2000 (1994) ビブリボン (1999) The Sims (2000) 塊魂 (2004) EVE Online (2003) Dwarf Fortress (2006) Portal (2007) flOw (2006) Passage (2008) Canabalt (2009) これらの作品は2013年3月からMoMAのフィリップ・ジョンソンギャラ

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    shinimai 2012/12/01
  • さやわか『僕たちのゲーム史』書評 - 9bit

    遅ればせながら読みました。さやわかさんによる日のビデオゲーム歴史の概説です。期待をはるかに上回るいいでした。 こののすばらしいところは以下3点: 日ゲーム受容史において最重要の局面や作品がかなり網羅的に取り上げられている。 そのような局面や作品のひとつひとつを、ゲーム歴史(あるいはゲーム観の歴史)というストーリーのうちにきれいに無理なく位置づけている。 雑誌記事やインタビューや企画書といった当時の言説を引用することで議論に説得力を持たせている。 取り上げられている局面や作品は、ゲームに多少詳しい人なら誰でも聞いたことがある(あるいは自分の体験として自明のように知っている)であろうものばかりで、とくに目新しい事実が述べられているわけではない。またそれについての解釈も、とくに新鮮なものではない。 しかし、あるていど一貫した観点のもとにそれら重要な局面や作品をまとまったしかたで位

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    shinimai 2012/11/21
  • 『To the Moon』は琴線を殴る - 9bit

    Freebird Gamesのアドベンチャーゲーム『To the Moon』の日語版が11月16日にPLAYISMから出ます。PLAYISMさんのレビュー企画で配信に先行してβ版をプレイさせていただきました。 名作 RPGツクール アドベンチャー 日語版 | To the Moon とりあえず3周して3回鼻水出ました。完成されたドット絵表現と美しい音楽で紡がれる切ない物語は、『FF6』のダリルイベントなどで余裕で泣いてしまう私にとっては殺人的なものであります。 というわけで、 ドット絵好きでブワッしたい人には猛烈におすすめ。 ゲーム要素はほとんどないので、普段ゲームしない人にもおすすめ。 既婚者やこれから既婚者になる人にもおすすめ。 すべての愛ある人におすすめ。 琴線をハンマーで殴られるといいです。映画2分くらいの時間で終わります。 以下細かいレビューです(ネタバレはないよ)。 ゲー

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    shinimai 2012/11/14
  • 画像表象のサーベイ論文 (3) - 9bit

    ひきつづき、画像表象のサーベイ論文(Kulvicki 2006b)の紹介です。 今回は、基的にKulvicki自身の構造説(Kulvicki 2003; 2006a)の内容。このサーベイ論文では書いてないが、Kulvickiが提示する画像表象の個別に必要かつあわせて十分な条件は、以下の4つ: (1) 相対的充満(relative repleteness) (2) 統語論的敏感(syntactic sensitivity) (3) 意味論的豊富(semantic richness) (4) 透明性(transparency) (1)(2)(3)はグッドマンの相対的充満、統語論的稠密、意味論的稠密をそれぞれ修正したものなので、グッドマンとKulvickiの決定的なちがいは、(4)の透明性ということになる。 以下、論文の内容。〔〕内と注と小見出しは補足。 Kulvickiの構造説 透明性 グッ

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    shinimai 2012/08/12
  • 画像表象のサーベイ論文 (2) - 9bit

    画像表象のサーベイ論文(Kulvicki 2006b)の紹介のつづきです。 〔〕内と注は補足。 Haugelandの内容説 内容説(content accounts)は、画像が持つ内容の諸特徴を取りあげ、その諸特徴が画像の知覚に対してどのような帰結をもたらすかを問題にする。 内容説は人気がない。画像の内容をそれ単独で論じているのは、以下のHaugelandのみ。 J. Haugeland, "Representational Genera." (1991) 画像表象の説明というよりも、より広いクラスである「図像的」(iconic)表象の説明を試みる。図像的表象は、言語的ないし「論理的」表象と対置される。 Haugelandは、(1) 表象の骨だけ内容(bare bones contents)と肉づき内容(fleshed out contents)を区別したうえで、(2) 図像的表象の骨だけ

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    shinimai 2012/08/10
  • 画像的再現のサーベイ論文 (1) - 9bit

    2020.02.22:「画像的再現」をすべて「画像表象」に置換しました。今後の用語法の統一のため。 John Kulvickiによる画像表象(pictorial representation)*のサーベイ論文が非常にまとまりがよくてすばらしいので、まとめる。 Kulvicki, J. (2006). "Pictorial Representation." Philosophy Compass 1(6): 535-546. Kulvickiは、いろいろやってるみたいだけど、芸術の哲学の文脈だと、長らくまともなフォロワーがいなかったとされるグッドマンの構造論的な表象理論を発展的に展開させてる人みたいなポジションの人だと思われる。2006年に画像表象についてのを出している(On Images)。最近出たコンパニオン(The Continuum Companion to Aesthetics)に

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    shinimai 2012/08/07
  • G. Tavinor, The Art of Videogames - 9bit

    D. M. Lopes & Berys Gaut編のNew Directions in Aestheticsシリーズの一冊として出されたもの。 著者のGrant Tavinorはニュージーランドの哲学者で、序文によると、Stephen Daviesのもとで博士論文を書いたらしい。2008年に、芸術の定義論を援用したビデオゲームの定義の論文書いてる。あと、その再考がThe Philosophy of Computer Games Conference 2009のプロシーディングに載っている。両方ともオンラインで読めます。 Tavinor, G. (2008) "Definition of Videogames." Contemporary Aesthetics 6. Tavinor, G. (2009) "The Definition of Videogames Revisited." Th

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    shinimai 2011/10/05