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2008年12月10日のブックマーク (5件)

  • はてブ年鑑

    はてブ年鑑とは? はてブ年鑑は はてなブックマーク の年間ランキングと月間ランキングを集計し、ランキングを生成するWebサービスです。 集計方法について ブックマーク数は、年間・月間にブックマークしたパブリックユーザ数を元に算出しています。 サイト別ランキングおよびタグ別ランキングは、期間中にホットエントリ入りしたエントリを対象に集計しています。 更新間隔について 現在、データ更新は手作業で行っています。月1~2回の更新を予定しています。 制限・注意事項 はてブ年鑑は、個人が運営するサイトであり、予告なくサービス内容の変更やサービスの停止を行うことがあります。ご了承ください。 連絡先 はてブ年鑑に関するお問い合わせは までお願いいたします。 英文メールを書くときに便利な表現集550 users 今日の覚え書き Tickler's bunkum days: 「激しく使える」サイトの自分用まと

  • 嫌儲とオープンソース - raurublock on Hatena

    筋の通った話ではあるけど、これを Creative Commons 的視点から考えるとどうなるんだろう。てなことを考えてみた。 「嫌儲」と「疎外されたネタ生産」 (id:syujisumeragi) 2ちゃんねる系のまとめサイトや出版は嫌われるのは、コミュニティの参加意識を無視することが最大の原因である。僕はそういうふうに考えている。簡単に言ってしまえば、編集・出版過程において書き込みに参加したたちの感情や思い入れが無視されるということである。 例えば2ちゃんねるのコンテンツが非営利・継承の Creative Commons として公開されるならOKってことになるんだろか。それとも、Creative Commons の、もっと広く言えばオープンソースの思想自体と相容れないってことになるんだろか。どうも後者のような気がしてしまうんですよ。コミュニティをどこまで認めるか、的なところで。 例えば

    嫌儲とオープンソース - raurublock on Hatena
    shiumachi
    shiumachi 2008/12/10
    そのもやもや感はよくわかる。まあコミュニティ文化の違いとしかいいようがない気が。でも2ch運営側が全コメントにCC適用するように規約変更したらどういう反応があるかは興味がある。無理だと思うけど。
  • 修辞技法 - Wikipedia

    修辞技法はギリシア・ローマ時代から学問的な対象として扱われており、修辞学(レトリック、Rhetoric)という学問的存在の領域となっている。 西洋の古典修辞学者らによって Scheme(配列を変えること)と Trope(転義、比喩)に大別された。 西洋の古典修辞学者たちは修辞技法を大きく次の2つに分類した。 Scheme - 言葉のパターン(配列)を通常のパターン、あるいは予想されるパターンからそらせる修辞技法。 比喩(Trope。転義法とも) - 語の一般的な意味を変えたり修飾したりする修辞技法。 しかしルネサンス期になると、修辞学者たちは全修辞技法の分類に情熱を傾け、作家たちは修辞技法の種類・下位分類の種類を広く拡張した。ヘンリー・ピーチャム(英語版)の The Garden of Eloquence(1577年)には184の修辞技法が列挙されている。その中で、ピーチャムは分類について

    shiumachi
    shiumachi 2008/12/10
    こうやって整理されているのを読むと、いかに修辞技法を使いこなせていないかがよくわかる。
  • Higher-Order Perl

    by Mark Jason Dominus Order Higher-Order Perl online from Powell's Books Download full text here There are three versions available. You have your choice of structure or presentation, but not both. License reminder Higher-Order Perl is copyright ©2005 by Elsevier Inc. Unauthorized reproduction or distribution is absolutely forbidden. You may download the book for your personal use, but you may not

  • 寺田寅彦 科学者とあたま

    私に親しいある老科学者がある日私に次のようなことを語って聞かせた。 「科学者になるには『あたま』がよくなくてはいけない」これは普通世人の口にする一つの命題である。これはある意味ではほんとうだと思われる。しかし、一方でまた「科学者はあたまが悪くなくてはいけない」という命題も、ある意味ではやはりほんとうである。そうしてこの後のほうの命題は、それを指摘し解説する人が比較的に少数である。 この一見相反する二つの命題は実は一つのものの互いに対立し共存する二つの半面を表現するものである。この見かけ上のパラドックスは、実は「あたま」という言葉の内容に関する定義の曖昧(あいまい)不鮮明から生まれることはもちろんである。 論理の連鎖のただ一つの輪をも取り失わないように、また混乱の中に部分と全体との関係を見失わないようにするためには、正確でかつ緻密(ちみつ)な頭脳を要する。紛糾した可能性の岐路に立ったときに、