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思考と考察に関するsizukanayoruのブックマーク (6)

  • 教養がないとはどのようなことか - 傘をひらいて、空を

    私の勤務先では人事部だけが採用活動をするのではなくて、現場の人間が面接を担当する。面接官は通常二人組で、このたび私を指名したのが篠塚さんである。篠塚さんは言う。僕、教養がないんで、面接でその手の話になったときにはよろしくです。 篠塚さんは私よりいくらか年長の男性で、職務上の能力がとても高い。専門知識を常時アップデートしている。ものの言い方が率直すぎて誤解を招くことがあるが、内容はおおむね正論である。基的に誰にでも親切で骨惜しみをしない。イギリスで修士号を取ってから就職したと聞いている。 教養とはこの場合、何のことでしょうか。私が訊くと、篠塚さんは明快に(だいたい明快な人物である)答えた。文学とか芸術とかです。マキノさんそういうの好きでしょ。 私はたしかに小説を読み美術館に行くが、それを教養と呼ぶのか。好きなものを好きなように摂取しているだけではないのか。篠塚さんは言う。僕、仕事関係以外の

    教養がないとはどのようなことか - 傘をひらいて、空を
  • 『エスパー魔美』の名言は、批判を忘れておしまいにしようという主張ではない - 法華狼の日記

    表現の自由から批判の自由が話題になる時、よく『エスパー魔美』から引用される頁がある。「くたばれ評論家」で、主人公と父親が会話する場面だ*1。 公表した表現が批判されることを覚悟すべきこと。批判することも反発しかえすことも自由であること。 そうした表現の自由にまつわる主張が、表現者である父親の人格とともに描かれ、この頁だけでも普遍性をもっている。 しかし、この頁だけがひとりあるきしていることは残念だ*2。 物語が知られていないのはしかたないとしても、書かれていない主張が読みとられることまでいいとは思えない。描かれているのは絵画への批判なのに、政府や司法への抗議と同一視する主張すらある。 誰が靖国に英霊を公表したのか - 法華狼の日記 そのように批判を自由にさせることと抗議を放置することを混同してしまえば、とるべき責任まで消されてしまう。 まず、父親は「おしまい!!」といっているが、批判を単純

    『エスパー魔美』の名言は、批判を忘れておしまいにしようという主張ではない - 法華狼の日記
  • 編集後記 「日本の地方と若者の政治参加を考える」 - Chikirinの日記

    5月後半より全9回に渡ってお送りしてきた、新宮市議 並河哲次氏インタビューはいかがだったでしょうか。 いつものエントリとは異なるスタイルでしたが、期間中の合計PV(82万PV←炎上しない分、やや少なめ)やTwitterでの反応を見る限り、おおむね好評だったように思います。 「ちきりん」は今、ふたつのモノをもっています。ひとつが文章力。もうひとつが二方向へのアクセス(読者へのアクセスと、取材対象者へのアクセス)です。 このふたつを利用して何がやりたいかな?と考えた時、「違う生き方をしている人を記録し、ネット上に残していく」のはいいかもね、と思えました。 並河さんは、大学卒業後“人と違う決断”をして、自分で選んだ道を行こうとしています。でも、そのことを広くいろんな人に伝えることは、彼にとって得意なことでも時間を使うべきことでもありません。だったら「ちきりん」がその部分を担当するのは、いい組み合

    編集後記 「日本の地方と若者の政治参加を考える」 - Chikirinの日記
  • インプットか、それともアウトプットか - Chikirinの日記

    先日ライフネット生命保険の出口社長とお会いした際、「インプット重視か、アウトプット重視か」ということについて議論したので、その件について書いておきます。 以前より出口社長は講演や著作の中で、「とにかくたくさんインプットすべき!」と強調されています。 私が対談させて頂いた講演会のプレゼンでも、「極論すればアウトプットなんてどうでもいい。とにかくインプットをしなさい。」と言われていて、控え室でモニターを見ていたちきりんは「およよ」(←古すぎ・・)と思いました。 というのも、私は圧倒的に「アウトプット重視派」で、 前著『ゆるく考えよう』の中でも「インプットだけでアウトプットのない人なんて、いてもいなくても世界はなにひとつ変わらない。世の中へのインパクトはゼロ!」と言い切っており、 「どんなに稚拙でもいいから、まずアウトプットすべき。アウトプットして初めて、人は何をインプットすべきかがわかるし、イ

    インプットか、それともアウトプットか - Chikirinの日記
  • 全体最適 vs. オレ様最適 - Chikirinの日記

    「全体最適」という概念があります。 個々の構成員にとってではなく「組織や社会全体にとって最も価値が高くなる方法」を選ぶ考え方です。 最近よく聞くようになった「トリアージ」 大災害や大事故が起こり、治療を要する人が大量に発生して医療キャパシティがたりない時、専門の医師が治療の優先順位を考える手法のことです。 優先して治療を受けるべしとされるのは「より重症の人」ではなく、「治療する意味のある人」なので、その時点で「手を尽くしても既に治療の甲斐がない」と判断されると優先順位が低くなります。 こうすることにより、救える命の数が「全体として最大化」できるわけですね。 もうひとつの例は、倒産しそうになった企業を国が税金で支援すべきかどうかという議論です。 銀行や日航空には国の支援が入りましたが、普通の民間企業が倒産しそうになっても税金での支援などありえません。 ここでも「特定の企業に関しては、税金で

    全体最適 vs. オレ様最適 - Chikirinの日記
  • 感想と批評の違いを考えてみる - 空中の杜

    気になったものがひとつ。 d.hatena.ne.jp 『ヨイコノミライ!』のワンシーンですね。(例のシーンは4巻) このマンガの登場人物の例に漏れず、この男キャラ(名前忘れた)もかなり痛い系で描かれております(追記:もしかしたらこのシーンだけ見るのと、単行を全部見るのでは感じ方が違うかも)。作品を批判的な面でしか語らないだけではなく(しかも同人誌を作るときに、「こんな場所では自分の才能が勿体ないから」というようなことを言って書かない)、他人のHPに身元が分かるような書き込みしたり、露骨に自分の意見と反するところを荒らしたり。*1 さて、上の指摘、考えさせられるものが多いです。一応文章の作り手の世界でそっと生きている人間として言えば、出た作品に対してそれをどう受け取られるか、そしてそれに対してどのような意見を持ち、発信されるかは、「作品以外の部分での攻撃をしない(人格攻撃など)」「他人に

    感想と批評の違いを考えてみる - 空中の杜
    sizukanayoru
    sizukanayoru 2008/01/09
    『外部に向けて発信する以上、「批評」であれ「感想」であれ、それ自体も他人に読まれ、また評価をされるものである』( ..)φメモメモ
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