ひさしぶりの沖縄で平和祈念公園を訪ねました。ここは第二次大戦の沖縄戦で追い詰められた日本軍の玉砕の地で、近くにはひめゆりの塔があります。米軍の銃撃と砲撃にさらされたひとびとは壕のなかで集団自決し、摩文仁(まぶに)の丘の断崖絶壁からつぎつぎと身を投じました。 戦前の日本は国家(国体)を神聖なものとし、すべての国民が天皇(皇統)に殉じることを当然とする“カルト宗教国家”でした。いまの北朝鮮のような社会ですから、当時のひとびとの価値観や選択を平和でゆたかな現在から批判しても仕方ありません。しかしそのなかにも、理不尽な現実に煩悶したこころあるひとはいました。 八原博通は沖縄戦を戦った第32軍の高級参謀として、制海権・制空権を失った圧倒的不利な状況で、地形を利用した戦略持久戦を指揮して2カ月にわたって米軍を苦しめますが、大本営から無茶な決戦を求められて戦線は崩壊、最南端まで撤退するも戦闘継続不能に陥