タグ

文化と物語に関するsizukanayoruのブックマーク (2)

  • 話にオチは必要ない - ココロ社

    これから時々、笑いと文章について書いていきたいと思います。 参考にしていただければ幸いです。 - その昔、ゲームのプランナーをしていた時代の話。 会社近くのラーメン屋(写真)で流れていたラジオの言葉が私の逆鱗に触れました…聴取者のハガキのコーナーで 神奈川県の、推理野郎さんからのおハガキです。 「私の友達にひどい人がいるんです…私が読んでいる推理小説の犯人を言うんですよ」 あははうふーん…たしかにひどい友達ですね。意味なくなっちゃいますよね〜 それを聞いていたわたしは、「うふんじゃねえよ!」と、ドッカーンとなったのです。わたしは表面的にはとても穏やかなので、あくまで内部的にドッカーンとなっただけで、表面上はラーメンをおとなしくむ、小粋でエッチな草系男子なのですが… 何にムカッときたのかについて説明させていただきますと、もちろん、犯人の名を教えたその友達についてムカッときたのではなく、「

    話にオチは必要ない - ココロ社
    sizukanayoru
    sizukanayoru 2008/11/15
    『『吾輩は猫である』について、「この猫どうなるんだろう?」という気持ちでページをめくる人がいないのと同じ原理』( ..)φメモメモ
  • どんどん批判してもらって結構。 - Something Orange

    わざわざケータイ小説を声高に否定するオタクって何なの? あんなのオタク向けに商品企画も製作もされてないんだからオタクが読んでも面白くないのも当たり前なんだし、 わざわざ「これのどこが面白いのかわからない」「これ読んで楽しめる奴はバカ」「ゆとり」「スイーツ(笑)」とか言わなくていいのにって思う。 逆に考えよう、ケータイ小説を面白いと思う層にニコニコで人気の初音ミクの歌をいくつか聴かせたらどんな感想を言うと思う? (中略) その感覚を共有できる人にしてみれば大衆の誰でも出来るだけ好かれるようにパッケージされた市販ものなんかより、ずっと楽しめるものになる。 逆に言えばそれ以外の層には全く楽しめないけど、そもそも楽しんでもらおうとも思っていないのだ。 そこにあるのは『私たちが、私たちによって、私たちだけのために作って共有して消費する』エンタテインメントの世界なんだと思う。 「わざわざケータイ小説

    どんどん批判してもらって結構。 - Something Orange
    sizukanayoru
    sizukanayoru 2008/09/30
    『ある文化を判定するときに使ったものさしが、無条件で別の文化にも使えると思うことは間違いだ。』( ..)φメモメモ
  • 1