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福祉と子育てに関するsizukanayoruのブックマーク (2)

  • 福祉における子どもと高齢者の非対称性 -なぜ老人手当ては問題にされないのか-

    子ども手当てに関する批判が止まない。大別すれば、高所得者にも支給するのはバラマキであるという主張、財源がないのに支給すれば結局は子どもの世代が負担することになるという財源論、少子化対策なのか、子育て支援なのか、景気対策なのか曖昧だという目的論、現金よりも現物サービスが欲しいという方法論等である。要するに、財源もないのに高所得者にまでばらまいて、どれほどの成果があるのかということのようだ。政策としては子ども手当ての理念をどこまで重んじるかということに帰着するだろうが、一つひとつの批判そのものには一理ある。 だが不可解なのは、子ども手当てに対してだけ、なぜこれほどまで風当たりが強いのかということである。たとえば、基礎年金の3分の1には税金が投入されている。少なくとも税金部分については、言わば「老人手当て」と呼んでもよいはずだが、これは所得や資産に関係なく支払われるバラマキである。子ども手当ての

    福祉における子どもと高齢者の非対称性 -なぜ老人手当ては問題にされないのか-
  • 保育所が永久に足りないであろう理由 - Chikirinの日記

    今年はさらに大きな問題になっている保育所不足と待機児童問題。 供給側(行政)もサボっているわけではないけれど、供給以上に需要が増えてるため常に足りていません。 需要が急増してる理由は、「働くことを希望する母親が増えたから」もしくは「働かざるを得ない母親が増えたから」なんだけど、 もう一歩踏み込んで言えば、これっていわゆる「供給が需要を生む構造」がある市場なんで、「永久に足りない市場」とも言えるんです。 この構造は“特別養護老人ホーム”も同じで、預かってもらえないから自宅で介護してるけど、 「公的な施設がリーズナブルな価格で親身になって看てくれるなら(自分も)入りたい、(親に)入ってもらいたい」 と思う家はたくさんあるわけで、供給側が充実すればするほど「じゃあ、うちも」という話になる。 保育所も全く同じ。 「格安で、近所で、安心して、子供を預けられる」なら働きたいが、そうでない現実だから働く

    保育所が永久に足りないであろう理由 - Chikirinの日記
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