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ブックマーク / jmiyaza.hatenablog.com (4)

  • 橋本治「宗教なんかこわくない!」 - jmiyazaの日記(日々平安録2)

    まどら出版 1995年7月 「1Q84」について、村上春樹氏は読売新聞のインタヴューなどで、オウム真理教事件がその執筆の出発点となったといっている。「ごく普通の、犯罪者性人格でもない人間がいろんな流れのままに重い罪を犯し、気がついたときにはいつ命が奪われるわからない死刑囚になっていた −そんな月の裏側に一人残されていたような恐怖を自分のことのように想像しながら、その状況の意味を何年も考え続けた。それがこの物語の出発点となった」、と。 これがどうしても理解できないところである。あの当時オウム真理教に入信しなかったひとは圧倒的に多かったわけだが、それは偶然であり、ほんの少しでも状況が違っていれば、誰でもその信者となった可能性があったというように村上氏はかんがえているようにみえる。むしろ時代の病理に敏感であるひとほど入信する可能性が高かった、あの事件にはその当時われわれがかかえていた問題が集約的

    橋本治「宗教なんかこわくない!」 - jmiyazaの日記(日々平安録2)
  • 「橋本治と内田樹」 - jmiyazaの日記(日々平安録2)

    筑摩書房 2008年11月 なんとも奇妙なで、こういうタイトルになっていて橋氏と内田氏の対談なのであるけれども、内田氏が幇間をして橋氏をヨイショしているようなで、もっぱら論じられるのは橋氏で、内田氏は蚊帳の外である。だいたい、橋氏は内田氏のことをよく知らないらしい。レヴィナスって誰?、という感じで、ようするに橋氏は難しいことはわからないひとなのである。 橋氏はインテリではなくて、内田氏は典型的なインテリ、だから、最初から話がかみ合わない。ふたりはほぼ同じころに東大に入っている。すなわち全共闘世代なのだが、内田氏が典型的な全共闘世代であるのに対して、橋氏はノンポリである。橋氏が67年入学。内田氏は70年入学? わたくしが66年入学だから、橋氏はわたくしよりは一学年下ということになるらしい。 二人して、自分の下の学年から(70年以降から)学生の雰囲気が変わったという。内田

    「橋本治と内田樹」 - jmiyazaの日記(日々平安録2)
  • 梅田望夫「ウェブ時代をゆく −いかに働き、いかに学ぶか」(4)雪かき仕事 - jmiyazaの日記(日々平安録2)

    内田樹氏の「村上春樹にご用心」(アルテスパブリッシング 2007年10月」は「私たちの世界にはときどき「の手を万力で潰すような邪悪なもの」が入り込んできて、愛する人たちを拉致してゆくことがある。だから、愛する人たちがその「超越的に邪悪なもの」に損なわれないように、境界線を見守る「センチネル(歩哨)」が存在しなければならない…というのが村上春樹の長編の変わることのない構図である(ご存知なかったですか?)」ということ述べたをである。知らなかったです、わたくしは。そういわれて見れば当にそうである。なぜ気がつかなかったのだろう。内田樹さんは当に頭のいい人である。頭のいい人は無条件で尊敬してしまう。尊敬ばっかりでは情けないので一言いえば、短編だってそういう路線が多いような気がするし、さらにぶーたれれば、これはレヴィナス(はわたくしは一冊も読んでいないが)の眼鏡をかけてみた村上春樹であるとも思

    梅田望夫「ウェブ時代をゆく −いかに働き、いかに学ぶか」(4)雪かき仕事 - jmiyazaの日記(日々平安録2)
  • jmiyazaの日記(日々平安録2)

    昨日 無事退院しました・ いづれ詳しくご奉告。 宮崎」 前回9月25日の外来受診の後、あまり調子がよくなく、当初は治療の副作用の遷延かと思っていたがなかなか回復せず、原疾患の悪化の要因もあるかと考えていたが、昨日の外来受診の結果でも、それが裏図けられたので、明後日から短期間入院の予定となった。それで、記事の更新がしばらく滞るかも知れない。 一応、ご報告まで。 小説を読むのが苦手である。もちろんまったく読まないわけではないが、わざわざ架空の話を作って、そこで自分の持つ考えをのべるというのが何かまだるっこしい気がして仕方がない。 それには、わたくしが私淑してきた吉田健一氏がアンチ小説派であったことが大きいと思う。 その吉田氏も「酒宴」のような短編から、「瓦礫の中」「絵空事」「ほんとうのような話」のような長編まで小説と分類されるものまで、いくつかの作品をのこしている。 「酒宴」は書き出しの方で、

    jmiyazaの日記(日々平安録2)
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