【解説】「ボクは妻の流産を喜ぶ男を、はじめて見たのだった」以上が再デビューの仕掛人・山崎春美による蛭子能収初期のインタビュー記事である(ちなみに管理人が現在確認している蛭子能収インタビューの中では、これが2番目に古い)。 蛭子能収恐怖伝説のひとつ「女房の流産を喜んだ」というのは、おそらくここが初出であろう*1。 話は飛ぶが、このインタビューが掲載された『Billy』*2が「スーパー変態マガジン」になったのは何の因果か1982年3月号、つまり本号からである。その為か連載1回目の記事がやたらと多い。 山崎春美*3は、漫画家をやめていた蛭子さんを見つけるため『ガロ』編集長の渡辺和博に問い合わせるなどして捜し出し、高杉弾の伝説的自販機本『Jam』で1979年に再デビューさせた張本人のひとりでもあるのだが、結局このインタビュー記事を最後に、タコのCDボックス発売記念イベントで2012年に再会するまで
![山崎春美のスーパー変態インタビュー(連載第3回/蛭子能収編)「女房の流産を心底喜んだ!? 異端漫画家 蛭子能収」 - Underground Magazine Archives](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/a5c6d7a8a6f37637f68f16243e4be85aa097eb41/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fcdn-ak.f.st-hatena.com%2Fimages%2Ffotolife%2Fk%2Fkougasetumei%2F20180228%2F20180228205547.jpg)