【解説】「ボクは妻の流産を喜ぶ男を、はじめて見たのだった」以上が再デビューの仕掛人・山崎春美による蛭子能収初期のインタビュー記事である(ちなみに管理人が現在確認している蛭子能収インタビューの中では、これが2番目に古い)。 蛭子能収恐怖伝説のひとつ「女房の流産を喜んだ」というのは、おそらくここが初出であろう*1。 話は飛ぶが、このインタビューが掲載された『Billy』*2が「スーパー変態マガジン」になったのは何の因果か1982年3月号、つまり本号からである。その為か連載1回目の記事がやたらと多い。 山崎春美*3は、漫画家をやめていた蛭子さんを見つけるため『ガロ』編集長の渡辺和博に問い合わせるなどして捜し出し、高杉弾の伝説的自販機本『Jam』で1979年に再デビューさせた張本人のひとりでもあるのだが、結局このインタビュー記事を最後に、タコのCDボックス発売記念イベントで2012年に再会するまで
フランスを拠点に世界各地でプロジェクトを進め、現在幅広い注目を集める気鋭の建築家・田根 剛。20代の若さでドレル・ゴットメ・田根(DGT.)として〈エストニア国立博物館〉の国際設計競技に勝利し、選出から約10年の歳月を経た2016年秋に同プロジェクトが竣工を迎えるなど、国内外の注目がさらに高まっています。また、2012年に行われた新国立競技場基本構想国際デザイン競技(ザハ・ハディド案選出時)に参加し、11人のファイナリストに選ばれた〈古墳スタジアム〉は幅広い層に知られるきっかけとなりました。2017年のDGT.解散後はAtelier Tsuyoshi Tane Architectsをパリに設立し、活動の場をさらに広げています。 このたび東京オペラシティアートギャラリーとTOTOギャラリー・間は、田根 剛の展覧会を同時期に開催します。「Archaeology of the Future――未
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