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文化と農業に関するskam666のブックマーク (1)

  • 農耕民の内なる「縄文性」をめぐって─亀ヶ岡文化・弥生文化・海民 - 北の考古学─日々の着想

    長文ですが、最近書き綴ってきた海民の問題が佳境(?)に入りつつありますので、しばしおつきあいください。 九州北部における弥生文化の成立と東北地方の縄文文化の関係 縄文時代晩期に東北地方で展開した亀ヶ岡文化の影響は、道東北はもとより奄美大島まで日列島を席巻した。「席巻」という言葉は誤解を生じそうだが、亀ヶ岡文化は芸術品ともいえる精緻な土器、弓や容器など漆器やその製作技術、土偶など呪具に象徴される精神文化を列島各地にもたらしただけでなく、西日にまで亀ヶ岡系集団の「移住」なども想定されていることからすれば、それはたんなる文化の影響などを超えた一大ムーブメントだったのである。 設楽博己と小林青樹は、この亀ヶ岡文化と九州北部の弥生集団の関係について、興味深い議論を展開している(設楽・小林2007「板付Ⅰ式土器成立における亀ヶ岡系土器の関与」(『新弥生時代のはじまり第2巻 縄文時代から弥生時代へ』

    農耕民の内なる「縄文性」をめぐって─亀ヶ岡文化・弥生文化・海民 - 北の考古学─日々の着想
    skam666
    skam666 2016/05/12
    “弥生土器とは、九州北部の集団が、朝鮮半島の渡来系文化と東北地方の縄文文化の二者を選択的に融合しつつ、創出したもの” “農耕文化は、一般に考えられているように「西から徐々に伝わった」のではない”
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