日本映画界が生んだ最大のスターというだけあって、原節子はギャラの高さでも群を抜いていた。いきおい遺産の行方が注目されるが、そもそも、なぜ稼ぎの一切を捨てて“天の岩戸”に引きこもってしまったのか。 *** 1951年。公務員の初任給が6500円にすぎなかったときに、原節子の出演料は映画1本当たり300万円を超えたという。いわば、映画に出るたびに宝くじに当たったかのような金額を手にしたわけで、 「そのたびに、都内の狛江や練馬、杉並などの土地を購入したそうです」 と映画評論家の白井佳夫氏。片鱗が窺い知れたのは、原が芸能界から去って31年をへた1994年のこと。 「国税庁が発表した前年度の高額納税者75位に、原の本名、會田昌江の名が載りました。納税額は3億7800万円で、所得総額は13億円近かったはず。隠遁する前まで住んでいた東京都狛江市の800坪余りの土地を、電力中央研究所に売却したんです」 古