旧称:メリーさんの故郷の写真……メリーさんや横浜の裏話あれこれ、書籍販促計画など <<写真:本牧小港のチャブ屋女たち。戦前撮影>> 寺山修司の「天井桟敷」や唐十郎の「状況劇場」が世の目耳を集めていた1960年代。安保闘争やベトナム戦争反対など、世は政治の季節であった。そんな時代の中、舞踊の世界でまったく新しい表現が誕生した。「舞踏(暗黒舞踏)」である。 ▲ 山海塾「産土(うぶすな)」(15e BIENNALE DE LA DANSE ウェブサイトより) 「山海塾」「大駱駝艦」などの活躍のお陰で、知っている人は知っている、という程度の知名度はあるはずだ。とくに横浜の場合、「舞踏の母」と呼ばれた大野一雄が住んでいた影響で、毎年「大野一雄フェスティバル」が開催されるなど、関心さえあればいくらでも本物に触れる機会がある。 しかしこのジャンルの創始者である土方巽( 「舞踏の父」と呼ばれる) が、麻薬