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ブックマーク / hituzinosanpo.hatenablog.com (1)

  • 勝手に 定義して、他者の民族性を かたることの問題。 - hituziのブログじゃがー

    坂口安吾(さかぐち・あんご)のエッセイに「日文化私観」というのがある。 伝統と生活と。ブルーノ・タウトは、日を 訪問し、日の あれやこれやが うつくしいと いった。その あれやこれやは、いわゆる伝統というやつだ。安吾は、生活が大事だと いった。 然しながら、タウトが日を発見し、その伝統の美を発見したことと、我々が日の伝統を見失いながら、しかも現に日人であることとの間には、タウトが全然思いもよらぬ距(へだた)りがあった。即ち、タウトは日を発見しなければならなかったが、我々は日を発見するまでもなく、現に日人なのだ。我々は古代文化を見失っているかも知れぬが、日を見失う筈はない。日精神とは何ぞや、そういうことを我々自身が論じる必要はないのである。説明づけられた精神から日が生れる筈もなく、又、日精神というものが説明づけられる筈もない。日人の生活が健康でありさえすれば、日

    勝手に 定義して、他者の民族性を かたることの問題。 - hituziのブログじゃがー
    skam666
    skam666 2015/02/20
    “勝手に定義して、その定義によって 人間を まなざすことの問題(中略) 「アイヌは もう いない」という発言は、「同化の完成」を 確認しようとすること”
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