ガチコ🇨🇦 @gatchco 前にもチラッと話したんですけど、日本人の絵ってどっちかというと 「明るい色に影をつける」 て塗り方する人のが多い気がするんだけど、西洋人の絵って 「暗い色に光を落とす」 て塗り方が多いんだよね…アメコミの塗り方とかほんとそれ。メイキングとか見るとわりと顕著で面白い。 pic.twitter.com/uEJn3Ps9Zy 2016-10-08 00:31:28
![【更新】「後から影を足す」日本人と「後から光を落とす」西洋人で絵の影の表現方法が違う!絵のみならず映画や舞台、模型やゲームでも](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/60681192fd932ad745929ed02679efbc642ada90/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fs.togetter.com%2Fogp3%2F116fa32b9ec7bec67b0f60e1d93942ce-1200x630.jpeg)
杉山淳一(すぎやま・じゅんいち) 1967年東京都生まれ。信州大学経済学部卒。1989年アスキー入社、パソコン雑誌・ゲーム雑誌の広告営業を担当。1996年にフリーライターとなる。PCゲーム、PCのカタログ、フリーソフトウェア、鉄道趣味、ファストフード分野で活動中。信州大学大学院工学系研究科博士前期課程修了。著書として『知れば知るほど面白い鉄道雑学157』『A列車で行こう9 公式ガイドブック』、『ぼくは乗り鉄、おでかけ日和。 日本全国列車旅、達人のとっておき33選』など。公式サイト「OFFICE THREE TREES」ブログ:「すぎやまの日々」「汽車旅のしおり」、Twitterアカウント:@Skywave_JP。 実は、この構想は5年前の2011年12月にロシアのプーチン大統領がテレビ番組で表明している。毎年恒例の「国民との対話」をテーマとした番組だそうで、「樺太(サハリン)島とロシア本土
安保法制をめぐる憲法学者の違憲論の検証――『集団的自衛権の思想史――憲法九条と日米安保』は何を論じたのか 篠田英朗 国際政治学 政治 #安保法制#集団的自衛権の思想史 安保法制をめぐるあの暑い夏から1年。違憲訴訟や廃止法案上程の動きがある中で、現実に南スーダンに派遣するPKO部隊の任務範囲をどうするのかが問題となっています。安全保障に関する議論が第2ラウンドを迎えようとしていると言えるでしょう。第2ラウンドだからこそ、新たな次元で、より深く、より広い議論にしなければなりません。本書『集団的自衛権の思想史』は、そこに大きな一石を投ずるものとなるでしょう。 著者の篠田英朗氏は、平和構築論を専攻する気鋭の国際政治学者(東京外国語大学教授)です。以下では著者自身に内容の一部を紹介して頂きます。(風行社編集部) 安保法制の成立をめぐる喧騒は過ぎ去った、という雰囲気が今や各方面に蔓延している。参議院選
Home > ニュース > 大隅良典名誉教授のノーベル賞受賞決定を受けて、元基礎生物学研究所長・元岡崎国立共同研究機構長 毛利秀雄名誉教授の寄稿を掲載いたします 隣のおじさん-大隅良典君(ノーベル生理学・医学賞の受賞を祝して) 私が東京大学教養学部の助教授になりたての頃、同じフロアーで生化学の権威であった今堀和友先生の研究室に入ったばかりの卒研生が、バランスのとり方が悪くて生物学教室の冷却遠心機のローターを飛ばしました。それが大器晩成の人、ノーベル賞受賞者・大隅良典君との最初の出会いです。彼は教養学部の理科系のシニア学科として、数学から地学まで幅広いバックグラウンドをもった人物を育てることを目的とした基礎科学科の第二期生で、同学科の神代時代の秀才の一人です。奥さんの萬里子さんも同じ研究室だったので、当時見かけたことがありました。 大学院時代、ポスドク時代は離れていたのでよく知りません。ロッ
4コマ漫画『サチコと神ねこ様』の時間です。 作品を読んでのご感想・ご意見・ご感想がありましたら、お問い合わせフォームに具体的にご記入いただき、「夜の4コマ部屋」と明記のうえ送信してくださいませ。今後とも、夜の4コマ部屋『サチコと神ねこ様』をよろしくお願いいたします。 ・wako先生ツイッター @wako3999
2016年10月08日06:00 カテゴリドイツ 独化学者の急死と北の化学兵器 今年1月、友人の独の化学者ヤン・ガヨフスキー(Jan Gajowski博士)=写真が急死した。ヤンはシングルだったから、彼の訃報は彼が長い間、勤務していた国連工業開発機関(UNIDO)の訃報欄で知った。ヤンの名前を見つけた時、信じられなかった。彼は健康であり、UNIDOを退職してからコンサルタントなどをし、時間があれば国連記者室を訪ねてきて、当方とよく話した。ヤンには聞き手が必要だった。彼が話す化学の世界には正直言ってついていくのが大変だったが、彼はこちらが理解しているかなど余り関心がなく、話し続けることが多かった。そのヤンが亡くなったのだ。当方が「ドクター・ヤン」というと、「ドクターなどつけないで、ヤンといってくれ」というのが彼の口癖だった、その彼が突然、いなくなったのだ。 彼はUNIDOではモントリオール・
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