ネット選挙が解禁されれば若者が投票に行き、ソーシャルメディア上では有権者を巻き込んだ政策論争が展開される…。そんな事前の期待は裏切られた。初のネット選挙が盛り上がらなかったのには理由がある。予想できた低調さ選挙運動の風景は大きく変化した。政党や候補者は、フェイスブックやツイッターを利用し、情報を発信してネット選挙に対応した。が、投票率は52.61%で、戦後3番目の低さにとどまった。橋元良明東
選挙に行かない若者の皆さんへ。 17歳の、選挙権すら持たない僕が、上から目線で書くのをお許しください。 みなさんは、なぜ選挙に行かないのですか?何なんですか? 参議院は良識の府と呼ばれています。党派を超えた争いです。どちらかというと、党に所属しながらも、幅広い人脈と権限を持ち合わせて党に縛られずに活動する「超党派」による連携で動くのが理想です。 …となると、最近、自民党が「ねじれ解消のために一票を」と呼びかけているのには違和感しか感じません。 ねじれ解消を国民が決めるのは大いに結構です。しかし、政治家側がそれを呼びかけるのは参議院の存在自体を否定しているようなものではないでしょうか。参議院の由来(戦前は貴族院と言って、選挙ではなくお偉いさん方が選ばれて衆議院を通過した法案を採決していました)を見れば分かる通り、参議院はストッパーです。最終的には衆院の優越があって、参院で決められなかった場合
投票率の低さは、今の日本の教育の「結果」でもあるといえると思う。 本来、教育の成果が現れるのは数十年後。 それなのに、日本では、「今すぐ、効果が得られる」教育が求められている。 そういう価値観で教育をされれば、 「今すぐ、効果が得られない」ものには価値がないと思いこむ人が育つのは当然だ。 で、そういう人たちが選挙に臨むとどうなるか。 1票を投票しても、「どうせ何も変わらない」=「今すぐ、効果が得られない」。だから、「投票しても意味がない」となる。 即効性を求める教育の結果である。 たしかに何も変わらない。 でもそもそも選挙とはそういうものだと思う。 選挙のたびに革命が起こるようでは社会はもたない。 毎回毎回の選挙で、みんなが気付かないくらいの小さな変化が積み重なって、数十年経ってから見ると、「あら、いつの間にかだいぶ変わったのね」というくらいの時間をかけた変化が、社会の変化のしかたとしては
参議院を「良識の府」と呼んだのが誰なのかは定かではないらしい。しかし、言わんとしたかったことはよく分かる。参議院議員の任期は6年と長い。衆議院と違って解散もない。それゆえ政局に左右されず国政の場に留まれる。そんな参議院だからこそ党利党略から距離を取り、ポピュリズムに流されることなく、より長期的、巨視的な立場で国政に関われる。公共的な政策論争は参議院でこそ可能であると言えるかもしれない。 しかし今回の参院選はそうした参議院らしさからあまりにも掛け離れていた。主に争点になったのは経済政策であったが、アベノミクスと呼ばれる現与党政権の経済政策について、自民党がその成果を誇り、野党はそれに対する不信感を述べるだけに終始した印象がある。つまり長期的、巨視的な立場からの政策論争は不在であった。参議院選だからこそ今後の原発政策や憲法改正のように、この国の未来に関わる問題が争点になるべきだったのだが、それ
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く