http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20080601#1212259709の続き。 底辺ツアー開催中。「あんの部」にはお気に入り曲が複数エントリしているので応援したい。 最底辺ツアーも開催中。スレの告知能力がちとアレだったので、こんなの↓また書いてみた。 ●/ \● <■ ★ 第 2 回 最 底 辺 ツ ア ー 開 催 中★ ■> / >【ポロリも】ドキッ!第二回最底辺だらけのツアー大会【あるよ】 < \ ┌───────────────────────────────┐ │ ,〃ハ´∀`)つ 第2回最底辺ツアー! ま た お ま え ら か │ │ http://www.nicovideo.jp/watch/sm3860195
感性を育てる?「自分にはデフォルトで個性があると思っちゃっているんだね。アーティストにしろデザイナーにしろ、美術を志す者にとっては個性というのは獲得目標のはずなのだが、最初から自分に個性があるなどという戯れ言をガキのころから吹き込まれている」「生まれつきそれぞれが持っている違いというのは、個性ではなくて【個体差】にすぎない。個体差は卑下するものでも称揚するものでもないはず。」「個性というものは目標としてあるもの。もちろん、個性は個体差を生かしたものになるだろうことはわかる。しかし、生の資質を個性とはいわない。個性と個体差の違いがわからないのは文化とはいわない。」そもそも君らに個性などない - 地下生活者の手遊び これを読んで、知り合いのNくんのことを思い出した。Nくんは、美術大学まで行って絵を勉強したオーソリティーなのだが、絵については一種の天才で、子供の頃にこんな経験をしたのだそうである
河合塾大阪校で講演。 予備校生たちをお相手に一席。 お題は「日本人はなぜ学ぶ意欲を失ったのか?」 せっかくの休日に私の講演を聴くためにわざわざご登校くださった奇特な予備校生たち200人を前に、どうやったら受験勉強が楽しく捗るかというお話をする。 あらゆる受験生は「なぜこんな勉強をしなくちゃいけないのか」という根源的懐疑につねにとらわれている。 当然ですね。 もちろん、受験勉強の必然性はわかっている。 それができないと大学に入れない。 いくつかの教科に現実の実用性があることもわかっている。 例えば、英語ができると英語話者に道を尋ねられたときに、「道を尋ねられた」ということがわかる。古文ができると埋蔵金の隠し場所を書いた古地図などを解読するときに有用である。 だが、必然性と実用性を理解しているだけでは、自分の知的パフォーマンスを向上させることはできない。 受験生としては、そういう外づけ的な理屈
中沢新一さんの真正面からの真剣ふりおろしは、 会場のすべての人々の魂をつかんだと思います。 1500名の聴衆に「静けさのある興奮」が訪れました。 糸井重里に邪魔されながら、 タモリさんに突っこまれながら、 旧石器時代から現代につながる人間たちの姿を、 そして未来に向けての人間たちの希望を…… 目の前に、想像させてくれたのです。 「はじめての中沢新一」 イベントの日の語りを、贈りもののように、 ほぼすべて、おとどけしてゆきます。 (これまでの「はじめての中沢新一」連載はこちらです)
今週の『週刊東洋経済』にも紹介されているように、当ブログの当初の目的は読書の感想や思いつきをメモすることで、それは今でも変わらない。本書も専門的なので、一般のビジネスマンにはおすすめできないが、研究者には参考になるので、簡単にメモしておく。 本書は、Baumolの"The Free-Market Innovation Machine"をめぐって開かれた会議の記録だ。おもしろいのは、Solow, Arrow, North, Phelps, Blinder, Shiller, Malkiel...という錚々たる執筆者が、一致して「経済成長にとってもっとも重要なのはイノベーションだ」と認めていることだ。 Arrowも指摘するように、イノベーションは技術的な「発明」のことではない。紙も火薬も活版印刷も中国で発明されたが、新しい産業を生み出すことはなかった。Schumpeterは、イノベーション
週刊ダイヤモンド編集部 【第12回】 2008年06月30日 雇用環境も福祉も欧米以下! 日本は「世界で一番冷たい」格差社会 米国の著名社会政治学者が大警鐘 日本の格差問題も英米に比べればまだまし――。そう考える人は多いことだろう。しかし、ハーバード大学のマルガリータ・エステベス・アベ教授は、福祉機能で米国に劣り、雇用環境で欧州以下の日本こそが、先進国で一番冷たい格差社会であると警鐘を鳴らす。(聞き手/ジャーナリスト 矢部武) 日本で格差問題が悪化したのはアメリカ型の市場原理を導入したからではないか、との批判が高まっているが、これにはいくつかの誤解がある。 アメリカは確かに国家の福祉機能が小さく、利潤追求と競争の市場原理を重視しているが、それがすべてというわけではない。市場原理にまったく従わない民間非営利セクターが大きな力をもち、福祉機能、すなわち社会を維持する役割を担っている。
フランス料理の調理法の一つに“コンフィ”というものがある。「肉をその脂肪とともに長時間煮込み、そのまま漬け込んだ保存食」のことを言うらしい。 前から知識として知ってはいたが、フランス料理なんて滅多に食べに行かないし、行ったところでコンフィは頼んだことがない。なんでも、肉が非常に柔らかくなるという話だ。うーむ、食べたい。ものすごく食べたい。 でも、別にわざわざ店まで行かなくたって、自宅でも作れるんじゃないか? だって脂で煮ればいいだけの話なんでしょう? というわけで、コンフィなるものを作ってみることにした。果たしてちゃんと作れるんだろうか。 (高瀬 克子) まずは、豚バージョン いきなり肉をキロ単位で買ってしまったあたりに、私の意気込みを感じていただきたい。 なんたって肉も脂も大好物だ。どうして今までコンフィ作りに手を出さなかったんだろう? と我ながら不思議に思うくらい、ドンピシャな調理法じ
Author:岩谷文太 米国在住。ザ・コーヴ、シーシェパード、ダイレクトアクション、人体展と中国の人体闇市場、チベット、支那事変、ネットデマ検証など主にテーマを絞ったリサーチ。 最近の記事 【FOXニュースの研究所流出説報道③】中国を追求できない欧米の学界 (04/24) 【FOXニュースの研究所流出説報道②】2つの隠蔽工作 (04/10) 【FOXニュースの研究所流出説報道①】中国に委託されたウイルス改造研究 (03/07) 2020-21年度アップデート (09/07) 2019-20年度アップデート (09/23) 2018-19年度アップデート (09/01) 2017-18年度アップデート (05/01) OPSが『ザ・コーヴ』第二弾制作を画策 (01/02) 元シーシェパードの活動家が入国拒否 (06/02) 元シーシェパードの活動家が入管で再拘束か? (06/01) 【更新終
毎日新聞の英語版サイト「Mainichi DailyNews」のコーナー「Wai Wai」で変態的ニュースを5年近く配信し続けていた問題は、「私刑化する社会」の代表事例となりそうです。パブリックを背に「社会的な問題」を追求するのはマスメディアだけでななく、ネットメディア(ユーザー)にも可能になったことが明確になりました。私刑はマスメディアの専売特許でなくなったことを示す事例が、マスメディアに対して起きているというのも皮肉な感じがします。 誰もが情報発信できるインターネット時代のユーザーパワーについては、ネット登場時から言われていましたが、2ちゃんねるだけでなく、まとめwikiやJ-CASTニュースといったミドルメディアの誕生が情報共有を容易にし私刑化を推し進めています。このような問題意識と構造は日経IT-PLUSのコラム『インターネットと「私刑」化する社会』に書いた通りです。 コラムでは、
Audienceオリジナル スラブ ツイル 6ポケットカーゴパンツ。往年の名作スウェーデン軍M-59を47年と時を経て現代風にアレンジした、完成度の高いミリタリーパンツ。各所に落とし込んだフラップ・ポケットや裾のドロー・コード、裾ZIPなど、ディテールにもこだわっています。このPANTSを穿いて街に繰り出した途端、《なんすかそれ、SW軍ですよね?でも何か違います?》なんて言われるとか言われないとか、、、 ミリタリーディテールな作りながら、ナチュラル感のある素材で、きれい目のシャツとのコーディネートがおすすめです。 ※写真の色と実際の商品の色が多少異なる場合がありますので、予めご了承ください。
「三色でコーディネートすると収まりが良い」とよく言われます。だからと言って何でも三色なら良いかと言うと、やはり違う訳です。(赤、青、黄色だとまるでガンダムになってしまう) 一番簡単なのはメイン・カラーを決めてからソレに近い色をサブ・カラーにして押さえ、最後に補色になる色をアクセントとして加える事で全体をまとめる様なやり方です。最初はそんな風にロジックのみでカッチリと組み立てて、後から少しズラしながら「やり過ぎ感」を弱め、上手い落とし所を探していくのが良いと思います。 例えば青の補色はオレンジだけど、そのままでは「昔のコシノジュンコ」みたいになってしまいます。だから、やや黄色側か赤側にスライドさせて補色強度を弱めてやる。明度も揃えず若干上げるか下げるかして「揺らぎ感」を与える。 色のみの要素だけでは保たない場合は、そこにパターン柄などを加えてみる。太っている人に横縞はNG、横の要素が強調され
「あ〜やっぱりこの人は日本画がベースにある人なんだな〜」と思う瞬間が結構あります。絵の価値基準が自分達(油絵)とは違うからです。 個人的な考えですけど、日本画というのは厳密に言えばファインアートでないと思います。神業の領域にまで高められた最上級の職人芸で、もはやソレはアートと見分けがつかないため同等に扱われているというのが実際だと自分は解釈しています。日本には「芸術」という概念が無くて、長い間それを美術工芸品で代用してきた歴史だと推測します。アノニマスな事が日本では美徳だったのです。 だから村上隆の絵に「芸術作品特有の凄み」が無いという批判は当然の事です。村上は日本画出身の最上級の職人だから。クオリティー第一主義。アニメの製作スタイルなどを取り入れるのも、ある意味当然の事だと思います。 また過去の偉大な作家たちの評価の仕方も村上は独特です。油絵の人間とはルールが違います。あくまでその表層的
ファッションとモードがゴッチャになってる人が多い気がする。 モードはファッションの一部。今この一瞬のみが魅力的で来年には間違いなく廃れるのがモード。ファッション雑誌で取り上げるのは常にモードだから「モード=ファッション」だとみんなが錯覚している。 モードではなくファッションをメインにすればよい。あまり時代に左右されない普遍的な服。リーバイス501、フレラコ、フランス製バスクニット、バーバリアンのラガーシャツ、チャンピオンの霜降りスウェット、ラルフローレンのBDオックスフォードシャツ、世の中にはそんな服がいくらでもある。 それら定番の中から自分に似合うものを見つける。より似合うものに切り替えていっても良いし、ベストならずっと買い替え続ければ良い。 そんなベースとなる自分のクローゼットがあって、それにプラスアルファとして付け加えるのがモードです。あくまでも主食ではない、余分を楽しむもの。 だか
アンディー・ウォーホール作品の持つ「批判性の強度」が恐ろしく高いのは、コマーシャル畑出身の「本当のアーティストではない作家」が「コマーシャルな手法でアート作品を作る」という行為により「合法的にアートを暗殺しているから」です。 「アーティストではない」という事が批判性をより増して、作品の芸術性というモノを更に高めている訳です。そんな唯一「同族殺しのマーダーライセンス」を持つ者こそがアンディー・ウォーホールです。そして村上隆はその「アンディ・ウォーホール枠」を狙っている人なのです。 「一番芸術に近づけたモノ」が芸術なのと同じように、「一番芸術から遠ざかれたモノ」もやはり同じく芸術です。村上隆というのは後者の「一番遠ざかる事で芸術を手に入れようとしている作家」なのです。だから「村上隆の作品に芸術性みたいなモノを全然自分は感じないよ!」等とオタクが意地悪く皮肉を言ったとしても、それは全然批判には成
大統領のニコラ・サルコジ氏が提案している親権問題が国会で討議される。寿命が長くなり、自由恋愛が広く認められている昨今、生き方や恋愛のかたち、家族のありようも変わってきている。社会の変化に法律がどのように適応していくべきかが、議論の焦点だ。 現在のフランスの家族構成は、複雑になっている。同棲生活をおくり、子どもが生まれても結婚をしないカップルが珍しくない。婚外子(結婚しない男女の間に生まれた子供)の割合は1/3にもなるそうだ。嫡出子と婚外子が、法律に照らし合わせても差別なく生活できるため、結婚という形を選ばない。結婚して夫婦になったカップルも、長続きしない可能性が高い。 パリ近郊都市部の離婚率は、50%を超える。別離、離婚しても、新しいパートナーを見つけるのは難しくない。現代のフランス人は、連れ子がいても、「子どもは彼女、彼の人生の一部だから」と、新しい恋愛の障害にはならない。このような自由
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