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2012年1月17日のブックマーク (5件)

  • 地サイダー78本飲み比べ同人誌 「地サイダー飲み比べ本。東日本総集編」 : アキバBlog

    世田谷サイダー(左) 「甘さは若干抑え目というか、甘味料が入っているのでそういう方向性」 大宮盆栽だー!!(右) 「とってもさいたま的なネーミングセンスですよね…」 サークルピーターマンの冬コミ新刊・地サイダー同人誌『地サイダー飲み比べ。東日総集編』がCOMIC ZIN秋葉原店に入荷してる。 サークルさんの冬コミ告知では『東日の地サイダーを飲み比べしたものになります。コピーとして出していたものをまとめた総集編です。北海道のガラナ等サイダー?なモノもご紹介しています』とあり、まえがきによると『コミックマーケット77から、当サークルにて頒布しておりました「地サイダー飲み比べ。」シリーズのひとまずの総集編となります。今まで、東日の地サイダーを中心に飲み比べを行なってきまして、今回で北海道まで一応の制覇ということで、このような形でまとめてみることにしました』とのことで、掲載している「地

    soylent_green
    soylent_green 2012/01/17
    地サイダーって果糖ぶどう糖液糖じゃなくて砂糖使ってることがあっておいしい。サイダーじゃないけどブラックケインコーラはとてもおいしい
  • 元角川編集が中村春菊などBL作家のネームを高額で転売新801

    369:風と木の名無しさん:2012/01/13(金) 11:36:45.66 ID:Vwe2DVXl0 テンテーのネームが大変なことになってる悪寒… ●○暴威図salon2011年その7(師走)○● http://kohada.2ch.net/test/read.cgi/doujin/1323182576/592- 592:salon ◇y0izD0axK2:2012/01/12(木) 20:38:48.10 ID:wP8uNLrJ0 某掲示板でBLプレミアムの原稿ネーム譲りますと あったが、これあきらかに編集者じゃないと手に入らない 作家の数だわ。 http://gajajam.kazeki.net/page.php?id=17287 594:salon ◆y0izD0axK2 :2012/01/12(木) 20:52:24.39 ID:eRq36czQ0 >>592 これはひどい シ

    soylent_green
    soylent_green 2012/01/17
    丸川書店の裏事情がまた明るみに! このネタで世界一初恋の第三期を
  • オタクの電脳ブログ

    2020年9月30日をもってオタクの電脳ブログはサービス終了いたしました。 長らくの御愛好誠にありがとうございました。

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    soylent_green
    soylent_green 2012/01/17
    ガンダムAGEは「子供向けアニメを作る大人が一番やっちゃいけないことを全部やっています」 まったくそのとおりだが、教育に悪い作品となると、子供に馬鹿受けしてるはずなのでなんだか変だぞ。
  • 中世の始まり/摂関政治(古瀬奈津子) - 見もの・読みもの日記

    ○古瀬奈津子『摂関政治』(岩波新書:シリーズ日古代史6) 岩波書店 2011.12 最近、日史の中でいちばん苦手だった中世についてのをいくつか読んでいるうち、この「摂関政治」の時代が気になり始めてきた。一般に摂関政治とは「平安時代に藤原氏(藤原北家)の良房流一族が、代々摂政や関白あるいは内覧となって、天皇の代理者、又は天皇の補佐者として政治の実権を独占し続けた政治形態」(Wiki)と考えられている。したがって、良房:摂政の始まり→基経:関白の始まり→兼家・道長による最盛期、というふうに、藤原北家の歴代を追って記述されることが多いのではないかと思う。 しかし、書は平安初期から道長登場までを駆け足に語ったあと、藤原道長(966-1028)のつくった政治システムが、摂関政治の「新たな段階」であり、いかに「新しい政治の枠組み」であったかを詳述する。印象的には、私は書の記述にかなり納得して

  • 源頼朝をめぐって - heuristic ways

    坂口安吾の「源頼朝」(『安吾史譚』所収)を読んだとき、私は最初、頼朝の前半生(伊豆での流人生活)から後半生(鎌倉幕府の創立)への転回・飛躍が、何か突然の思いもよらない冒険のように思えた。源氏の大将源義朝(よしとも)が平治の乱に負けて京都から逃れ、父(義朝)の一行とはぐれた十三歳の頼朝は遊女屋にかくまわれて潜伏生活をつづける。ところが父、長男悪源太、次男朝長はいずれも「非業の最期」をとげ、「三男頼朝が自然に源氏の正系となった」。やがて頼朝も平家の侍に捕らえられ、「六波羅(ろくはら)へ送られて死罪になる」ところだったが、平清盛の継母の池の尼が頼朝の助命をたのんでくれたため、伊豆への流刑で済むことになる。以後頼朝は伊豆の片田舎でまる二十年間というもの、父祖の菩提を弔うため一日も欠かさずに念仏三昧に日を暮らす。 そんな「無為の二十年」を過ごしていた頼朝が、北条政子との駆け落ちめいた結婚によって坂東