グラム・ロックが下火になった後もデヴィッド・ボウイはカルト・ヒーローであり続けた。その半面、ヒットがない時代が続いたわけだが、そんなボウイに極東からCMの依頼が舞い込む。この出会いが映画『戦場のメリークリスマス』へとつながるのだった。 ’79年(昭和54年)の年末、広告代理店である日放は、宝焼酎「純」のCMにデヴィッド・ボウイを起用する案を、宝酒造にプレゼンテーションした。『宝焼酎「純」白色革命ものがたり─お酒のジーンズをめざして─』(秋野癸巨矢著:非売品)に記された日放の伊藤明彦氏の言葉を以下に引用させていただく。 「 (前略)ロックをやっている連中はほかにもいっぱいいました。けれども、やはり“準になるな。純になれ”(註:当時の「純」のコピー)といって、これからの飲酒文化の中核に坐ろうとするものが、ただの風俗みたいな連中を出してきたってしょうがない。やはりアーティストとして非常に高い純粋