お下がりの洗濯機をいつ持っていけばいいかという連絡を母にしたら、いま病院のレントゲン検査にきているとのことだった。 心臓に人工弁を入れている母は、“念のため”の検査がやたらと多い。いつも飄々とした外科医の先生が「うん、今日も異常なっしーん」と壁に貼りつけた検査の書類を見ながら、もう当り前に決まってたことかのごとく言ってくれるのだが、超弩級な心配性の母は、いつもあれこれと質問をする。 その質問が、なんか、天王寺動物園のトラの背中にマウンテンゴリラが乗って檻から逃げ出した想定の避難訓練というか、とにかく「そうはならんやろ」と言いたくなるような想像の産物なので、母はだいたい「そうはならんのですよ」と先生に笑われて、すごすごと診察室をあとにすると言う。 「もう病気はいやや、ピンピンコロリがいい」 母が電話で、さめざめと泣いた。 「すでに病気で二回死にかけとるから、あなたの場合はピンコロ ピンコロ
今の会社に入って1年半が経った。入社してからずっと取り組んでた大きなタイトルが公開されて、それが明日大きな節目を迎える。会社にとっても大きなことだし、僕個人の人生にとってもひときわ大きな出来事かもしれない。 これは、小6でゲーム作りを夢みて大学4年間をプログラミングに費やした僕のゲームが、あした全国のゲーム屋さんに並ぶ話。 1番古いゲームの思い出は『ポケットモンスター クリスタル』だった。 引用元: https://amzn.to/2OCXGlR , https://www.nintendo.co.jp/3ds/pokemon_crystal/index.html 当日のゲームボーイ用のカートリッジは内蔵してある電池を使ってセーブデータを保持してたのだが、僕が持っていったクリスタルはこの電池が切れていたためセーブができなかった。その上、幼い頃に1日中ゲームをやっていて怒られたことがあったら
将来のキャリアのこと、どこまで考えてますか? 「なりたい未来から逆算して、キャリアを考えよう」。そんな言葉も耳にしたりしながら、僕たちはそれなりに将来のことも考えつつ、会社を選んだり仕事をしたりしてますよね。 しかし! 今回はそんな「逆算型キャリア論」とは真逆のキャリア論を持つ方のインタビューです。 【西川貴教(にしかわ・たかのり)】1970年生まれ。滋賀県出身。1996年5月、ソロプロジェクト「T.M.Revolution」としてシングル「独裁 -monopolize-」でデビュー。「HIGH PRESSURE」「HOT LIMIT」「WHITE BREATH」「INVOKE」などヒット曲を連発する。故郷滋賀県から初代「滋賀ふるさと観光大使」に任命され、県初の大型野外ロックフェス「イナズマロック フェス」を毎年主催している。 1996年にT.M.Revolutionとしてデビューして以来
今週末の日曜日、私はユニクロで泣く。 いつも行く、イオンの4階に入っているユニクロで。きっと、震えながら白のエアリズムコットンオーバーサイズTシャツ(5分袖)を手に取って、泣く。 何の話か全くわからないと思うけど、今、たった今3時間前に起きたことを、心臓をばくばくさせながら、今日は書く。 私の家は、奈良にある。近鉄電車の快速急行が止まる駅。そして、家の94%を、地元の20代以下に開放している。(6%は私の寝室)(その話はまたいつか…) その中で、最近よく遊びにくる18歳の青年がいる。以下「R君」とする。 3日前の夜。 R君が、アーバンリサーチの黒いリュックをごそごそしながら、私に言った。「僕、あさってバイトの面接受けるんです」 そして、リュックからノートパソコンを取り出して、小さな声で「志望動機とか、おかしいところないか見てもらえないですかね…」と言った。いいよと言うと、中くらいの声で「や
(四半世紀前の思い出。間違い、勘違いがいくつかあります。修正しようと努力しましたが、次第につじつま合わせに必死になり、書き上げた時の情熱を自ら消してしまいかねないと気づきました。なので10年以上も迷って、やっとついに書き上げることができたままの文を残しておきます。) 大学生時代、塾講師のバイトをしていた。理由は金。岩手県で「現役東北大学生が勉強を教えます」とぶん回せば仕事がたくさん来た。家庭教師もしていたが、すぐに塾一本に絞った。希少性を高めるため、不便なところを狙った。動機は金。岩手の実家から高速バスで1時間半揺られ、山奥の町の中にあるたったひとつの塾に週3回通った。当時の岩手はのんきなもので、高校進学の選択肢もそんなに多くはなかった。進学校に行くか、そうではない高校に行くか、それぐらい。それでも我が子のよりよい将来を願って、子供を塾に通わせる親が増えてきていた。 両親の願いを背負って送
バンドの代表曲であり、Bank Bandでカバーされて一層有名になった「若者のすべて」や、映画『モテキ』の主題歌「夜明けのBEAT」などが広く愛されているバンド・フジファブリック。そのボーカルである志村正彦さんは、2009年12月24日に急逝しました。彼の地元である富士吉田で志村さんのことを語り継ぐ人たちの元を、ライターのくいしんが尋ねます。 今でもその日のことを鮮明に覚えている。仕事場のデスクで、訃報を知った。同時に、失うわけのないものを突然失う悲しさを知った。 Twitterに訃報が流れ始め、事実を確認するためにバンドの公式サイトをのぞいたものの、サーバがパンクしていて何も見られない──。 参考:志村正彦を愛した皆様へ http://quishin.com/137/ 上記は筆者が2014年のクリスマスに書いた文章だ。 今から9年前の2009年12月24日。ロックバンド、フジファブリッ
2018年9月6日、ビジネスエアポート六本木にて「米国アップル社、マイクロソフト社、そして国連本部も認めた83歳のアプリ開発者 若宮正子氏登壇!『MY SMART WORK LIFE』セミナー②。世界を魅了する理由に迫る!!」が開催されました。本パートでは、若宮正子氏の生い立ちからアプリ開発に至るまでのエピソードについての講演模様をお送りします。 突然世界中で有名人になってしまった、若宮正子氏の講演 若宮正子氏:みなさん、こんばんは。若宮正子です。どうぞよろしくお願いいたします。だいたいの人はみんな「マーちゃん」って言っているみたいなんですけども、戸籍上の名前は若宮正子です。 今日お話しすることは、まず自己紹介。それから、今日のテーマであります「私は創造的でありたい」というお話。それから最後に、最近の活動から得られたものです。といいますのも、私は1年半ぐらい前に、急に「にわか有名人」になっ
「リスクをとれ」「実名で発信しろ」とか… 若者を追いつめる「強者のアドバイス」…けんすうさん、もっとやさしく擁護して! SNSで目立つのは、強者たちの意見。「顔出し実名で発信しろ、自分をメディアにしろ」「若いうちは失敗しろ。リスクをとってチャレンジしろ」「キャリアプランを設計しろ」…かっこいい。まぶしい。 が、そんなことばかり言われても無理です! 誰かほっこりした人に、「別にそんなこと必要ない」って擁護してほしい…。 と思い、取材を申し込んだのがけんすうさん。華やかな経歴を持つ実業家なのに、どんな相手にも偉ぶることなく低姿勢。彼なら、若手ビジネスマンたちが悩まされる「こうすべき!」に対して「そんなことやらなくていいです」と擁護してくれるのでは? けんすうさん、お願いします! 〈聞き手:ライター・小沢あや〉
コミックエッセイ『大家さんと僕』で、芸人として初の快挙となる手塚治虫文化賞短編賞を受賞したカラテカ・矢部太郎さん。矢部さんが暮らす新宿外れの一軒家での、大家さんとの日常を描いた同作は、話題が話題を呼び既に38万部を超えるベストセラーとなっている。 6月7日に行われた手塚治虫文化賞贈呈式で、受賞スピーチした矢部さん。日頃はシャイで口下手な矢部さんだが、その日は何かが舞い降りたのだろうか。矢部さんの、熱く真摯な言葉に会場中が涙したという。 家が近所で飲みに行くなど親交がある俳優の木下ほうかさんも、自身のTwitterで「授賞スピーチが、本当に素晴らしかった‼️皆、感動して泣いた。彼は人生の喋りを、全部使い果たしてしまった~」とコメントしている。以下、皆を泣かせたという、矢部太郎の受賞スピーチ全文を掲載する。 【立ち読み無料公開中】漫画「大家さんと僕」 *** (贈呈されたブロンズのアトム像をじ
―数えで100歳の節目の年。著書『生きる力 活かす力』には「100歳現役」とあります。 「100歳万歳でゴールと思っていたが、やりたい仕事が片づかない。人は60歳の還暦が一つの周期で、次は120歳。あと20年ある。だが幸い2020年は東京オリンピックが開かれる。これを見てからという目標ができた。生きる力とあるが、私は社会に助けてもらい、活(い)かさせてもらっているという観念が強くなった。これを社会の恩とし、この恩をよく知れば恩に報いて暮らすことができる。知恩・報恩が90―100歳における私の哲学だ」 ―価値観が違うから価値があるとし、複数で新たな価値を生む思想「共創」を説いています。 「人間は結婚し、はじめて一人前。結婚生活は相手をよく理解することが必要。人類が長生きするための一番大切な共創で、家庭という同じ場で互いが理解し合い、次の世代につなぐ。共創の観点では科学は進歩の途中。成功してい
ご報告が遅れましたが、6月30日付で新卒の2003年から14年あまり勤務したNECを退職しました。 また、本日、東京法務局品川出張所においてヘテロDB株式会社の登記申請を行い、また、併せて新会社のチーフアーキテクト兼代表取締役社長に就任しました。 今後は、前職では実現できなかった、GPUやSSDなどヘテロジニアスな計算機資源を活用する事で、高性能、低価格、使いやすさを両立するデータベース製品の事業化を目指していく事になります。 どうぞよろしくお願いいたします。 web: http://heterodb.com/ 弊社が入居する西大井創業支援センター(品川区) 10年以上も勤務した会社を辞めてスタートアップを立ち上げるというのは、おそらく人生の中でも上位に食い込むビッグイベントの一つだと思うので、今の決意や創業に至る一連の流れについて記録を残しておこうと思います。 (書き下してみたら意外と長
ここは倉本圭造(経営コンサルタント・経済思想家)のブログです。詳細な自己紹介等はウェブサイトへどうぞ→コチラ https://www.youtube.com/watch?v=BmYv8XGl-YU (アイキャッチ画像はウィキペディアからお借りしました) 今朝ツイッターを眺めていたら、フェイスブック創業者マーク・ザッカーバーグが母校ハーバード大学の卒業式に呼ばれてスピーチしてる動画のリンクが流れてきて、軽い気持ちで再生しはじめたら凄い迫力で、30分以上のスピーチ最後まで全部見てしまったってことがあった。 結構笑えるジョーク(窓ガラスに数式書いたりしないよ!・・・とかいう映画”ソーシャルネットワーク”を根に持ってるようなジョークとか)やハーバード内輪ネタ(と思われる・・・ちょっとググると出て来るのが今の時代の救いですが)も交えつつ、卒業生と10歳も離れてない立場から”僕ら世代の責任”という切り
2017.03.21 Tue 早野龍五教授最終講義「CERNと20年福島と6年 ―311号室を去るにあたって」 早野龍五 / 物理学 2017年3月、物理学界・福島において、数々の功績を残した早野龍五・東京大学教授が退官を迎える。早野教授の最終講義が行われた3月15日夕刻、東京大学の小柴ホールには、大勢の人々が集った。福島の人々は「物理学者・早野龍五」を、物理学界の人々は「福島に力を注ぐ早野先生」を、それぞれ初めて見ることになった。講義後のカクテルパーティでは、福島から酒樽を担いできた人と、世界的な物理学者とが、和気藹々と盃を交わす光景が見られた。(構成/服部美咲) CERNで20年、福島で6年というタイトルでお話をいたします。 たまたま私の大学の居室は311号室です。この数字には何か因縁を感じます。大勢の方々、恩師、学生、同僚、そして本日は女性の比率が多い。物理の最終講義でこれほど女性が
あるときは社会問題に舌鋒鋭く切り込み、またあるときは標的に徹底してネット的なブラックユーモアをぶつける……そんな山本一郎さんへの評価は人によってさまざまだ。投資家として成功しながら、ブログ、雑誌、テレビ、SNSなど様々なメディアで発信し、「炎上上等」と言い切り、ネットでケンカをさせたら、おそらく右に出る者はいない。しかし、いまいち判然としないのは、山本さんが「何のために、それをしているのか」だ。 2013年の参画以来、Yahoo!ニュース 個人のオーサーとして、すでに669本(2016年8月31日現在)の記事を執筆している山本一郎さん。90分間、一貫して論理立った説明と、圧倒的な情報量の受け答え、時折差し込まれる「知らないほうが幸せだった」と筆者が感じるほどの際どいネタに翻弄されたインタビュー。しつこく粘った結果、最後に何気なくこぼれたのは、驚くほど真摯な発信の原点だった。 ■ネットの30
永先生:言葉は一番大切です。でも、好きな人に「あ、この子好きだな」とか「いい人だな」と思われるには、「おなべをいっしょに食べて同じものをおいしいと思う」、「夕やけを見て、両方が美しいなと思う」というような同じ感動を同じ時点で受け止めるのが一番効果があります。 例えば、「いただきます」とか元気な声で言っていると、それだけで「あの子いただきますって言ってるな。きっといい子なんだろうな」と思うじゃないですか。「あなたがすき」ですとか、「キミを僕のものにしたい」とか、「世界のどこかで待ってる」とか、そういうのはあんまり効果がありません。 「きれいだな、おいしいな、うれしいな」ということが同時に感じあえる環境が一番大事。だから、「好きです、嫌いです」という言葉ではなく、いい言葉を使っている子は好きになれる。「あの人ならこの言葉は好きだろうな」と思った言葉を何気なく使っているときの方がドキンとします。
ひゃだいん・1980年大阪府生まれ。本名・前山田健一。3歳でピアノを始め、作詞・作曲・編曲を独学で身につける。京都大学総合人間学部を卒業後、2007年に本格的な音楽活動を開始。前山田健一として、倖田來未×misono『It’s all Love!』、東方神起『Share The World』などのヒット曲を手がける一方、ニコニコ動画などの動画投稿サイトに匿名の「ヒャダイン」名義で作品を発表し大きな話題を集めた。10年5月には自身のブログにてヒャダイン=前山田健一であることを告白。その後も、ももいろクローバーZ『行くぜっ!怪盗少女』などのヒット曲を量産し、11年4月にシングル『ヒャダインのカカカタ☆カタオモイ-C』でヒャダインとしてメジャーデビューを果たした。 HYADAIN Official Website http://www.hyadain.net/ 中高一貫の進学校から現役で京大に合
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く