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ブックマーク / heapsmag.com (13)

  • ずっと不安定なミャンマーで。10代から14年間続けたパンクバンド、クーデター後の会話と発信【XVoices—今日それぞれのリアル】 | HEAPS

    半世紀にわたる軍事政権を経て、2015年、民主化運動の活動家アウンサンスーチー氏が率いる与党・国民民主連盟(NLD)*が勝利し、多くが民主化への希望をもったが、数ヶ月前のクーデターにより国軍が政権を掌握、軍による市民への弾圧で犠牲者は増えている。 一方で、クーデター後のミャンマーの民主化運動では、香港などアジアでおこっている一連の民主化運動に合流しながら、若者世代を中心にしたソーシャルメディアでの活動やアートピースを用いた主張などがさかんにおこなわれている。 一度、HEAPSが別の記事のために取材していたミャンマーのパンクバンド「The Rebel Riot(ザ・レベル・ライオット)」も、誰よりもミャンマーの民主化や自由を願い活動を続けた一人で、今回のクーデターでも積極的に声を上げている。 バンド結成は、2007年に発生した反政府デモ運動「サフラン革命**」の直後、旧首都であるヤンゴンにて

    ずっと不安定なミャンマーで。10代から14年間続けたパンクバンド、クーデター後の会話と発信【XVoices—今日それぞれのリアル】 | HEAPS
  • 中国でようやく開花、デジタル世代の音楽〈シノ・シーン〉。伝統の大手レーベルを拒否、売り上げより"ライク数"? | HEAPS

    「衣料品やスマホの生産、テクノロジーでは知られているけど、〈音楽〉では知られていない国」。 人口13億8,000人の超大国、中国のことだ。4,000年の歴史のなかで継承されてきた音楽文化はもちろんあるが、文化大革命や社会主義体制、未だに敷かれるインターネット規制などで、独自のチャイニーズサウンドが育まれてこなかったというわけである。 しかし、これが“歴史”となるのも時間の問題だろう。スマホで音楽を聴き、既存の音楽業界の枠組みから抜け出そうとし、アングラ・テクノクラブに出入りするデジタル世代の若いバンドたちを中心とする「シノ・シーン(sino:中国の)」が、人知れず発生しているからだ。 2018年、中国はテクノで踊っている。 「ドイツやオランダ、日には国際的に認知されるサウンドや音楽シーンがあるけど、中国にはいままでそれを形成する機会がなかった。でも、これから〈シノ・シーン〉が育つ潜在能力

    中国でようやく開花、デジタル世代の音楽〈シノ・シーン〉。伝統の大手レーベルを拒否、売り上げより"ライク数"? | HEAPS
  • 誰をも歓迎した「たった2年間のパラダイス」。NY・70年代ディスコ・シーン、狂乱と享楽のダンスフロアにあった真実とは | HEAPS

    誰をも歓迎した「たった2年間のパラダイス」。NY・70年代ディスコ・シーン、狂乱と享楽のダンスフロアにあった真実とは 悪化の一途を辿る財政とそれに足並みそろえた犯罪、社会の憤が集中したかのような人種差別。社会の抑圧という字面がよく似合う70年代のニューヨークで、ただしこの空間だけはすべてから解き放たれた場所だった、といえよう。 「DISCO(ディスコ)」。荒廃の社会から逃げてきた者は誰でも受け入れた。色も性別も一緒くたにした一つの小さな箱には、真のデモクラシーがあったのではないか、と思う。 その時代の目撃者はビル・バーンスタイン(Bill Bernstein)。かつて、そのシーンを代表したいわばセレブの踊り場「Studio 54(スタジオ・フィフティー・フォー)」と被差別者の踊り場「Paradaise Garage(パラダイス・ガラージ)」の両方を、同時期に撮っていた写真家だ。 往年のN

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  • ステージとフロアの上でぶち壊した「音楽と人種の壁」パンクとレゲエ、白と黒が混ざり合った音楽ムーブメント、あの5年間(2) | HEAPS

    ステージとフロアの上でぶち壊した「音楽と人種の壁」パンクとレゲエ、白と黒が混ざり合った音楽ムーブメント、あの5年間(2) 前半、▶︎「Love Music, Hate Racism」ミュージシャンと市民、“音楽”の蜂起 「10万人のパンクス、ドレッドヘア、ロッカーズ、若者たちが歌い踊り行進した」 1978年4月は、RARにとって最も重要な月となった。「こんなに成功するなんて思わなかった」という、反ナチ同盟(ANL)*との共同開催カーニバル。「10万人のパンクス、ドレッドヘア、ロッカーズ、若者たちが、ロンドンを西から東へ縦断しながら、歌い踊り行進したんだ。英国において一番大きな反人種差別主義の祭典となったんだ」 同カーニバルは、極右政党「国民戦線」の支援者が多くいたロンドン東部のヴィクトリア公園での野外コンサートを予定し、ラインナップには、パンクの詩人、パトリック・フィッツジェラルド、女性ボ

    ステージとフロアの上でぶち壊した「音楽と人種の壁」パンクとレゲエ、白と黒が混ざり合った音楽ムーブメント、あの5年間(2) | HEAPS
  • ステージとフロアの上でぶち壊した「音楽と人種の壁」パンクとレゲエ、白と黒が混ざり合った音楽ムーブメント、あの5年間(1) | HEAPS

    ステージとフロアの上でぶち壊した「音楽と人種の壁」パンクとレゲエ、白と黒が混ざり合った音楽ムーブメント、あの5年間(1) 今年も夏フェスの季節だが、最近の音楽フェスではいろんな音楽が入り混じる。大型フェスでは、同じステージで昼にロックバンド、夕方にヒップホップアーティストを観ることは、さほど珍しくない。オーディエンスのプレイリストには、レゲエとパンクが隣り合わせる。拙い表現だが、さまざまな人がさまざまな音楽を聴くようになった。しかしそうもいかなかったのが、40年前の英国。音楽が人種、人種が音楽を隔てていた時代があったからだ。 白人バンドは、白人のために。黒人バンドは、黒人のために。40年前の英国。その人種と音楽の壁を壊そうと、あらゆる音楽好きが心をともにした、今日に通ずる5年間のムーブメントがあった。 「Love Music, Hate Racism」ミュージシャンと市民、“音楽”の蜂起

    ステージとフロアの上でぶち壊した「音楽と人種の壁」パンクとレゲエ、白と黒が混ざり合った音楽ムーブメント、あの5年間(1) | HEAPS
  • 「兄貴はシーンの祖で、僕はビデオをまわした」音楽が潰されたトルコ、90'sティーンたちの〈誰も知らないパンクシーン〉 | HEAPS

    「兄貴はシーンの祖で、僕はビデオをまわした」音楽が潰されたトルコ、90’sティーンたちの〈誰も知らないパンクシーン〉 コーラにファンタ(酒、ドラッグは抜き)。 コンバースにジーンズ、手づくりライブでがなり立てられるは〈DIYパンク〉。音楽文化が消滅した国トルコ、90年代前半の“ありえないはずのパンクシーン”。 「最近まで、世間の誰も知らなかったと思う。かつてのトルコに〈パンクシーン〉があったなんて」 “西”ではロックバンド・ニルヴァーナがアルバム『ネヴァーマインド』を世に送り出し、グランジが席捲していた1990年代初頭。チェック柄シャツにコンバースのキッズがカート・コバーンに心酔していたころ、軍事クーデターにより音楽文化が潰されたはずのトルコでも、チェック柄シャツにコンバースのキッズが“独自の音楽シーン”を築いていた。これは、西でパンクが誕生してから10年あまり遅れてトルコで生まれていた、

    「兄貴はシーンの祖で、僕はビデオをまわした」音楽が潰されたトルコ、90'sティーンたちの〈誰も知らないパンクシーン〉 | HEAPS
  • 報道規制の"穴"、音楽配信。禁じられた記事を流す〈無検閲のプレイリスト〉前代未聞のポップソングは検閲をくぐる | HEAPS

    メディア統制がしかれた国では、ジャーナリストたちの言論の自由は制限されている。政府に反旗を翻す報道をすれば逮捕、投獄、国外追放のリスク。二度とペンをとることが禁じられることさえある。真実を報じる権利を奪われたジャーナリストたちの声を届けようと、あるデジタルプラットフォームを駆使した前代未聞のプロジェクトが遂行された。彼らは、音楽配信サービスのプレイリストを使うという。自由を禁ずる者がいれば、それに屈せず立ち上がる者もいる。奇想天外な手段を編み出して。 “真実を報じられない国”、届かぬメッセージを〈音楽配信サービス〉で? 世界最高レベルのネット検閲システムを装備する中国や、言論統制が強まる軍事政権のタイ、ジャーナリストへの弾圧が進むエジプト。明確に政治立場を示した記事を出しても、政権への批判ツイートを投稿しても警察に連行されることがない国がある一方で、世界にはジャーナリストから言論の自由を奪

    報道規制の"穴"、音楽配信。禁じられた記事を流す〈無検閲のプレイリスト〉前代未聞のポップソングは検閲をくぐる | HEAPS
  • 南アフリカでしか生まれない。タウンシップの自己表現「ゴム音楽」とそのシーンを現地で探る1|HEAPS Magazine

    近年、南アフリカ音楽シーンが興味深い。タウンシップ、「元・非白人居住地域」かのアパルトヘイト(人種隔離政策)時代に指定された、“黒人専用の居住区”で、新たな自己表現の音楽が着実に育ち世界に広まりつつある。 作り手たちが「この音楽は、南アフリカに住む人間だけが作れる、南アフリカ音楽」と口をそろえるのが、ゴム音楽だ。 アパルトヘイト廃止から。南アフリカ新世代の音楽 2017年早々に、南アフリカの最西南端の都市のケープタウンに行った。ニューヨークの元ルームメイトがサウス・アフリカ人で、彼の兄がケープタウンで筆者と同業の音楽ライターをしているというので、音楽シーンを紹介して貰おうと思ったのだ(というのは表の事情で、大家に訴えられ、さらにはスタジオを引っ越し機材も揃えなければというプレッシャーに挟まれヤケクソになっていた)。 南アフリカは、そもそもヨーロッパから入ってきたハウス・ミュージックが人

    南アフリカでしか生まれない。タウンシップの自己表現「ゴム音楽」とそのシーンを現地で探る1|HEAPS Magazine
  • 一目見たら忘れない。バンド名タイトル入れず“レコードを買わせた”デザイン集団・ヒプノシス、いま生き残りメンバーが明かす制作バナシ|HEAPS Magazine

    「ジャケ買い」。それは文字通り、レコードのジャケットデザインに一目惚れし、視聴という過程をすっ飛ばして「これは買わずにいられない」などと取り憑かれたようにお会計してしまうこと。つまり、見てくれの誘惑である(なので、結構な確率で失敗したりもする)。 最近は専らデジタルダウンロードやストリーミング配信の時代になってしまったが、ひと昔前、音楽狂たちはレコード屋に通いつめ、アルバムを掘り出してはジャケ買いした。「ピンク・フロイドのプリズム」に「レッド・ツェッペリンの裸の子どもたち」を。先に言ってしまうと、このジャケ買いは“正解”だ。なぜなら、それらは“彼ら”のデザインだから。 ロック全盛期に現れた「レコードジャケット職人」 「ぼくらのアルバムデザインがこんなにもアイコニックになるなんて、当時はまったく思わなかった。ただ普通と違うことをしているとは知っていたけど」 電話口から上品なイギリス訛りが漏れ

    一目見たら忘れない。バンド名タイトル入れず“レコードを買わせた”デザイン集団・ヒプノシス、いま生き残りメンバーが明かす制作バナシ|HEAPS Magazine
  • 政府に音楽を禁じられた国。あれから30年、たった一人の男が懸ける「トルコ音楽シーン」再興|HEAPS Magazine

    その国では1980年代をさかいに、“音の文化”が消えた。 ヨーロッパとアジアの中間地点にある国、トルコ。 60・70年代には独自の音楽文化が花開いたものの、80年代の軍事クーデターを区切りに自由な思想を生みだす“音楽”は規制され、多くのレコードレーベルは消滅、レコード工場は閉鎖。実質的に新しい音楽シーンが育つ土壌が失われしまった。 規制から30年たったいま、過去に失われた音楽文化の再生と新しいトルコのミュージックシーン形成に懸ける男がいる。 たったひとりのレコードファンによる決意 「80年代から新しい音楽シーンが生まれていないこの国に、かつて熱気あふれる音楽文化があったことを伝えたいんだ」と話す。 トルコ・イスタンブル在住のHaluk Damar(ハルーク・ダマー)、32歳。トルコの音楽文化を再興するべく、フリーマガジンとレコードレーベル「Record Store Journal(レコード

    政府に音楽を禁じられた国。あれから30年、たった一人の男が懸ける「トルコ音楽シーン」再興|HEAPS Magazine
  • ブラジル・軍事クーデター暗黒時代。恐るべき子どもたちの“ロックという反逆”。伝説のバンド「Os Mutantes」|HEAPS Magazine

    ブラジル・軍事クーデター暗黒時代。恐るべき子どもたちの“ロックという反逆”。伝説のバンド「Os Mutantes」 19世紀終わりにはサンバが民にリズムを。20世紀半ばにはボサノヴァが都会人に洗練の調べを。ブラジルという国には、いつの時代も音楽が花咲いていた。 しかし、64年の軍事クーデターで花は萎れる。自由思想を生む芸術は弾圧され、エレキギターは欧米の象徴だと揶揄された。 だが、制約があればそこには創造が生まれるものだ。65年、反逆のカウンターカルチャームーブメント「トロピカリア」の流れで、ロックンロールが産声をあげる。16歳の“恐るべき子どもたち”の手によって。 カート・コバーンもベックも愛した「ブラジル最重要ロックバンド」 トーキングヘッズのデヴィッド・バーンやベックが熱をあげ、カート・コバーンがニルヴァーナのツアーの為に再結成してくれと懇願したバンド。それがブラジルのロックカルトバ

    ブラジル・軍事クーデター暗黒時代。恐るべき子どもたちの“ロックという反逆”。伝説のバンド「Os Mutantes」|HEAPS Magazine
  • ゲットダウンでは語られない。ヒップホップ創生期、最恐のどや街・サウスブロンクスの真実|HEAPS Magazine

    「セクシーさ? ファンシーさ? ゲットダウン? そんないいもんじゃなかったね。もしタイムマシーンがあっていまの自分があの頃に戻るっていうのならもう一度見てみたいけど、あの頃を“もう一度やる”ってなったら絶対にごめんだ」 あの頃、とは1970年代。ニューヨークは財政悪化を経験した最悪の時代であり、ヒップホップカルチャーが育とうとしていた時—。舞台は、どん底のニューヨークでも最恐の街として名を知られたサウスブロンクス地区。 “It was genesis(創生期だった)”。リリックで社会的弱者の存在をうったえる前、パーティーとしてオーガナイズされるよりもさらに手前の、ヒップホップの純粋な創生期についてはあまり語られない。それから、確かにそこにいたアフロ・アメリカン以外の存在についても。 「そのへんの子どもがその場で遊びを生み出すのとおんなじだよ。その遊びには、名前すらなかった」。語り手は、当時

    ゲットダウンでは語られない。ヒップホップ創生期、最恐のどや街・サウスブロンクスの真実|HEAPS Magazine
  • フロアを最高に沸かせるのは、「カセットテープのDJ」だ! Awesome Tapes from Africa | HEAPS

    フロアを最高に沸かせるのは、「カセットテープのDJ」だ! Awesome Tapes from Africa ブルックリンのローカルがよなよな足を運ぶとあるクラブ。今夜、フロアを沸かせるのはDJ、Brian Shimkovitz(ブライアン・シンコヴィッツ)。彼がプレイするのは、アフリカの名もなきアーティストたちの音楽だ。そして彼の手元に並ぶのはレコード、ではなく、「カセットテープ」。 道ばたで売られる「カセットテープ」でフロア大沸き 「Awesome Tapes From Africa(以下、ATFA)」(訳すなれば「アフリカより、超イケてるテープを」とかだろうか)。ブライアンはATFAとして活動するDJなのだが、名前の通り、彼がプレイするのはアフリカン・ミュージックだ。なので「あ、知ってるぞこの曲」は(ほぼ)絶対に見込めない。さらにオーディエンスを驚かせるのは、ブライアンが回しているの

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