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ブックマーク / notomoe.hatenadiary.org (3)

  • 僕がtrue tearsを好きになれない理由(第8話の感想に代えて) - のともえ(仮)

    話が盛り上がってきてクオリティも一向に衰える気配を見せず、文句のつけようのない出来なのだが、自分的にはなんだかなあという感じ。これまで僕は感情移入できる作品=好きな作品と考えてきたのだが、この作品から受ける印象を考えるとどうもそのとらえ方は単純すぎるような気がしてきた。やはり感情移入してしまう自分があまり心地よくないという状況がある。 何がこの作品への感情移入をあまり心地よくないものにしているかというと、作品内に安定した立ち位置に立つキャラがいないということなんじゃないかと思う。大概の萌えアニメでは、というか普通のエンターテイメント作品においては、不安定な立場に置かれるメインのキャラクターに対して、安定した立場に立ってメインキャラへの助言や、視聴者への解説役になるキャラクターがいる。例えばマリみてならその話における主役以外の山百合会のメンバーが助言、解説的な役割を担ってるし、ハルヒならハル

    僕がtrue tearsを好きになれない理由(第8話の感想に代えて) - のともえ(仮)
    str017
    str017 2008/03/14
    「援助者」不在の物語
  • 第5刻 「神楽」 - のともえ(仮)

    全体的に感情表現豊かでよかったけど、はやみの時と同様にひなたが心変わりをする過程の描写が不十分で、あまり感動的でなかった。不十分というのは結果に至る過程に説得力がないということより、仲直りを押しとどめていた障害がいまひとつ説得力がなく、その変化があまり立派なことに見えなかったということ。 つまりひなたがはやみを突き放していた理由は爺さんに対して「よい子」でなければいけないということだが、それがなぜこんなにもひなたを縛り付けていたのかがよくわからない。常識的に考えて現代の子供が家庭の事情による拘束にここまで強制力を感じるのは自然じゃないと思う。だからひなた固有の性格や事情に原因があることを示せればよかったんだが、そういうのはなかった。 仲直りに至る過程は琢磨が事情を引っかき回したのがきっかけとなって秘めていた思いが表に現れたと全体的には解釈できるけれど、これまであんなに意地になってたひなたが

    第5刻 「神楽」 - のともえ(仮)
  • のともえ(仮) がくえんゆーとぴあ まなびストレート! 最終話の感想に代えて

    最終回。直球。やっぱダメ。まぶしすぎる。こうなってしまうのは実は作品じゃなくて自分に問題があるんではないか、と考えてみたのが以下の文章です。 ある作品について面白いとかつまらないこと感じたことは疑いようのない事実だけど、その理由に関する判断は、必ずしも正しいとは限らない。当サイトでも作品の印象の理由について構成だ作画だ云々言っているけど、それは自分の印象を反省した結果の推測なのであって、必ず正しいと言いたいわけではない。作品から受けた印象は覆せないけど、印象の原因の考察に関しては修正の余地がある。そこでこれまでのまなびをつまらないと僕が感じてきた理由を考え直してみたい。 僕がこれまでのまなびから感じてきた印象は一貫して「脚でそこに至る状況を説明せずに見せたいシーンだけ見せる自分勝手な見せ方」ということであって、そこから「だから脚が悪く、この作品は駄作である」という結論を導いたわけだが、

    のともえ(仮) がくえんゆーとぴあ まなびストレート! 最終話の感想に代えて
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