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ブックマーク / umiurimasu.exblog.jp (2)

  • 日本人はなぜクトゥルーを怖がらないのか : 族長の初夏

    最近、ちまちまとラヴクラフト全集を再読しているのですが、あらためて強く意識させられるのが、恐怖感についての日米文化の違いです。たとえばラブクラフトがさも自明のごとく使う「冒涜的」という表現の、いったい何がどう冒涜的なのか、まるでぴんとこないこと。また、クトゥルーや南極の〈古きもの〉がさほど怖いとも思えず、それどころか、むしろちょっとかわいいじゃん。などと愛着に近い感情すらおぼえてしまったりすること。こういった反応、恐怖の感じ方がひどく違うことについて、どこまでが個人の感性でどこまでが文化の差異によるものか、きちんと切り分けができたら面白かろうなあ、と思いながら読んでいます。 ラブクラフト作品での「冒涜的」という形容は、宗教上の教義と相容れないものごとだけでなく、普通でない、なじみがない、理解できない、ありえない、と語り手が感じる対象ことごとくに向かってつかわれます。キリスト教文化圏では、何

    日本人はなぜクトゥルーを怖がらないのか : 族長の初夏
  • 映画「崖の上のポニョ」 | 族長の初夏

    なにこの不条理ホラー(笑) 詐欺だ詐欺。もっとやれ。 などと無責任に面白がりつつ鑑賞してまいりました。 嵐の海の気味わるさとファンタジックな音楽との異様なミスマッチ。水底でキャッキャウフフしてるばあさんたちの溺死を連想させるイメージ。そんな狂気をはらんだ朗らかさに対し、恐怖と笑いのどちらの反応を呈するべきなのか自分でもわからない不安感。この不安が大いなる海への始原的な畏怖とつながって、気がつけば観客のSAN値があぶない。 これ、BGMが久石譲じゃなくて旧支配者のキャロルとかだったら、あまりにもハマリすぎてかえって素直に笑えるんじゃないかなあ。もちろんその場合、子供たちは泣き出すぐらいではすまないと思いますが。 ストーリーは一応「人魚姫」をなぞっているものの、不可解な描写が多くてかなり支離滅裂な印象でした。でもあえて整合を取る必要性もなさそう。なにしろ宮崎駿にも説明する気が微塵もない。とにか

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