こたつ(をついにセッティング)に入って、永谷園の「煮込みラーメンしょうゆ味」に茸をたくさん入れたのを食べていたら、江さんから電話がかかってきた。 岸和田でだんじりの寄り合いで飲んでいるところなのだが、フッサールの間主観性概念を「遣り回し」の共-身体に適用するとどうなるかということを議論していて、「家の前面にいるときに家の側面や家の裏面に他我がいて、同時にそれらを認識しているので、それが『家の前面である』ということが直観される」という、あれを現象学の術語で何と言いましたかねというお問い合わせである。 ちょっと思いだせんので、こういうときはウチダ先生に直接訊くのが早いとおもて電話したんですわ。 煮込みラーメンを食べてビールを飲んでいるときに、そんなことを訊かれても困る。 とりあえず『レヴィナスと愛の現象学』をとりだして「非・観想的現象学」の章をぱらりとめくり、探してみると、それは「間接的呈示」