2014年01月12日16:30 カテゴリ書評/画評/品評SciTech 社会科学を真の科学に - 書評 - 偶然の科学 偶然の科学 Duncan J. Watts/ 青木創訳 [原著:Everything Is Obvious: *Once You Know the Answer] 出版社より献本御礼。 2012.01.26 初出 2013.01.12 文庫化につき更新。 本entryがオビに採用されております あやうく騙されるところだった。 オビと私自身の常識、いや偏見に。 「社会科学は科学とは言えない」という偏見に。 本書「偶然の科学」を、数ある「常識を疑え系」の一冊として読むことは当然可能だ。そう読んだとしても本書の元は確かにとれる。 オビより アップルの復活劇は、ジョブズが偉大だったこととは必ずしも関係がない。 VHS対ベータ戦争で敗れたのも、MDの失敗も、ソニーの戦略ミスではな
2008年02月09日00:05 カテゴリLightweight Languages 私の言語遅延学習法 - 三つのルール+1 つっこみが遅くなりました。 新しくプログラミング言語を覚えたいときに行うべき10の練習問題 | IDEA*IDEA 404の人とかが突っ込んでくれそうな気がするので気軽にいってみます。 いい機会なので、私の言語学習法をこの際披露することにしましょう。 私の場合、一番の特徴は、「必要を感じるまで学ばない」「本当の問題に出会った時に、それを全力で解く」「学ぶ時には『原典』に当たる」ということでしょうか。私はこれを「遅延学習」と呼んでおります。実はこのことはコンピューター言語に限った事ではないのですが、コンピューター言語の場合、このことが特に顕著です。これらの特徴について一つずつ解説してみましょう。 必要を感じるまで学ばない 私の場合、長らく「プログラマー」としてより「
この項目「UNIX哲学」は途中まで翻訳されたものです。(原文:en:Unix_philosophy (本文に英文が移されています)) 翻訳作業に協力して下さる方を求めています。ノートページや履歴、翻訳のガイドラインも参照してください。要約欄への翻訳情報の記入をお忘れなく。(2020年6月) UNIX哲学(ユニックスてつがく、英: The UNIX Philosophy)とは、ソフトウェア開発の文化的な規範と哲学のまとまりであり、UNIX OS開発者たちの経験に基づくものとされている。その内容は発言者によって異なり、以下の点に留意が必要である: UNIXが開発された1971年から10年以上後の発言が大半である 発言者にはUNIX開発と関わり合いが希薄な人物も含まれている UNIXを生み出したケン・トンプソンやデニス・リッチーは"哲学"(philosophy)という表現をしていない 哲学に反し
<てるや> 以前、どんな会社でもWeb2.0化して利益倍増する方法 をかきましたが このシステムを導入するにも、 システムを導入できるほどの権限と実行力がある人でないと とても導入しきれないという矛盾がありました。 Googleを参考にしたシステムなのですが、 かつてトヨタをみんなが真似しようとしても なかなかその哲学を真似できなかったように、 この壁も厚いものなのかなあと、、、、、 ▽でもトヨタ方式は普及段階を超えた しかし、トヨタ方式に関してはもうずいぶんと浸透してきたみたいです。 4年前TVでみた導入工場ではコンサルタントがえらい四苦八苦して なかなかそのやり方を受け入れてもらえず 結局、経済特区みたいな形で実験的に一区画だけで試すところに 落ち着いてました。 そこの区画の生産能力はやはり高く、 じゃあ、工場全体に採用されるかな? ってところで番組は中途半端に終わってたのですが。 今
※ この日記を読む前に、前の日記である http://d.hatena.ne.jp/softether/20040929 をお読みください。 そういえば、先日の日記で、 「ACな人とそうでない人に二分するのはおかしい。十人十色というではないか。」 といったコメントなどをいただいたと思うが、ACの実態を知っていれば、そういう訳ではないということがお分かりいただけるであろう。 確かに、人は十人十色と言われるように、各人に個性や性格・趣向の違いがある。世の中に誰一人としてすべての属性が同一であるような人はいない。 しかし、『ACな人』の特性は、「十人十色」といった言葉で表される領域をはるかに超えている場合が多い。人の性格や考え方、特定分野における興味や能力などを仮に数値パラメータで表示することができるとすると、『ACな人』はそれらのいずれかがACでない人の取りうる値と比べて桁違い(10倍、100
私は、もちろんのことながら、AC である。 『AC』(エーシー)とは、筑波大学用語である。 筑波大学には5年程前より『AC入試』 (Admission Center 入試: http://www.esys.tsukuba.ac.jp/AC/) という入試制度がある。AC入試とは筑波大学独特の入試で、一般的な推薦入試ではなく、受験者自らが「問題解決能力」を持っていることを示すことによって入学することができる入試である。他大学でやっている「AO入試」とも少し違うが、まあ同じようなものである。 ただ、普通の大学のAO入試は「エーオー」と発音するので大したこと(?) は無いが、筑波大学はなぜかAC入試なので大声で『エーシー』と発音するので、少し特異な感じがする。 AC入試に合格することによって入学しようとする人は、「自己推薦書」という、自分が中学・高校時代にどれ位変なことをやってきたのかをまとめた
僕は、1 日に少なくとも 3,000 行程度、多く書くときで 10,000 行以上のプログラムを書くことができる。その結果、多い月で 10 万行 / 月くらいである。なお、言語は書くソフトウェアの性質上、大半が C 言語である。 また、プログラミングにはバグが付き物だが、ここ 2、3 年の間は、発生するバグの数を極めて少なく保つことに成功している。 とても大きく複雑で、かつレイヤ的に OS に近い処理をたくさんやるプログラムを書く場合は、プログラミングをするときでも、事前の設計が極めて重要となる。設計をうまく行わないと、後になって全面的に書き直しをしないといけなくなったり、パフォーマンスが低下したりする原因となり、開発者の苦痛の原因となる。 当然のことながら、これまで書いたいくつかの大きく複雑といえるソフトウェアの大半の設計も、自分で行った。いかなる場合でも、設計は、最初の 1 回目で確定
東京都知事選挙で、細川さんが「これから日本は人口がどんどん減るので、原発はやめて自然エネルギーにして、脱成長で心豊かな生き方をしよう」といっています。人口が減ったら成長は止まりますが、さらに「脱成長」というのは、もっと貧しくなろうということでしょうか。本当に成長はいらないのでしょうか? 細川さんのいうように、日本の人口はこれから急速に減ります。それだけでなく上の図のように高齢化も急速に進むので、小学生のみなさんが大人になるころは、働く人2人で老人1人を養うことになります。その分だけ税金や社会保険料が上がるので、可処分所得(手元に残るお金)が減ります。 このまま何もしないと、あと25年で都民の所得の半分が国や東京都に取られることになります。つまりみなさんの可処分所得は半分になるのです。こういうとき、細川さんのいうように原発をすべて廃炉にして「自然エネルギー」に替えたら、みなさんはおじいさんの
人生とは何か、という問いに対する答はいろいろあるだろうが、私の答は中学生のころパスカルの『パンセ』を読んだときから同じだ。それは気晴らし(divertissement)である。これは適切な訳語がないが、「人生に意味がないという事実を忘れるために常に何かをして気をまぎらわせること」といった意味である。 パスカルは、兎狩りに行く人を例にとってこれを説明している。狩りは兎を手に入れる手段としては不合理だが、人々の目的は兎をとることではなく、狩りに夢中になって気晴らし(暇つぶし)をすることなのだ。これをパスカルは自己欺瞞と考え、神の中に意味を見出そうとしたが、その著書『キリスト教弁証論』は未完に終わり、断章だけが残された。 それ以来、退屈や暇つぶしについての考察は、西洋哲学の重要なテーマである。ニーチェは退屈をニヒリズムと呼び、それを克服する「超人」を構想した。他方、マルクスは「必然の国」の彼方に
人生は練習と思ってる所が本番で、本番と思ってる所はオマケだ。 http://d.hatena.ne.jp/teruyastar/20131207/1386476138 年末の記事に反響があったのですが、 「ずっと本番って、その努力ほんとに報われるのか?」 という意見をもらいました。 あと関連で、 「基礎が大事」という本当の意味を理解しているか? http://d.hatena.ne.jp/teruyastar/20110208/1297157480 「基礎を無意識のゼロに限りなく近づけるのが守破離の守、 といっても、いつになったら破・離へ移行するの?」 みたいな意見も。 なるほど、、基礎や準備こそ大事ではあるのですが、 これは確かにやみくもな努力へのミスリードに見えるかもしれません。 そうならないよう「正しい努力の仕方」を示す記事 をまとめてみました。 前提・7つの習慣における「第2領域」
英: You ain't gonna need it[1]、縮めて YAGNI とは、機能は実際に必要となるまでは追加しないのがよいとする、エクストリーム・プログラミングにおける原則である。 理由[編集] YAGNI原則を提唱する人々は、その理由として以下を挙げている。 後で使うだろうという予測の元に作ったものは、実際には10%程度しか使われない。したがって、それに費やした時間の90%は無駄になる[2]。 余計な機能があると、仕事が遅くなり、リソースを浪費する[2]。 予期しない変更に対しては、設計を単純にすることが備えとなる。そして、必要以上の機能を追加すると、設計が複雑になってしまう[2]。 人生の時間は、貴重である。したがって、人間の能力は、ただコードを書くためではなく、現実の問題に集中するために使うべきである[3]。 結局は、その機能は必要ないかもしれない。もしそうなったら、あなた
[NS] 三期連続赤字の任天堂がこの先生きのこるには http://n-styles.com/main/archives/2014/01/26-023300.php そんな中で、任天堂はどうすればこの先生きのこれるだろうか。 …と、ここで任天堂の未来に光が差し込むような 具体的なビジョンを華麗に提示できれば誰も苦労しない。 いや、ほんと、どうしたらいいの。 おいw タイトルのふりw ならばこっちでオレオレハードを何か考えてみる。 任天堂は20インチタブレット出したらいいんじゃね? テーブルに敷いて使う。 メインゲームはボードゲーム。 10インチiPadよりでかくて 4人で囲んでも文字が大きく表示できるサイズであればいい。 (iPadでボードゲームあるけど小さすぎる) マリオパーティ 桃鉄 人生ゲーム いただきストリート(モノポリー) チェス、将棋、囲碁 ロックマンエグゼ(懐かしいw) 遊戯
あなたは、次のような言葉を何気なく口にしていないだろうか。チェックしてから読み進めてほしい。 □弱点を克服したい □じゃぁ、みんなで話すか □……したのに □人が足りません □いつかは起業したい □どうしたらいいですか? □あいつ、使えない □要は、こういうこと? □ここだけの話だけど □俺、寝てないんだよ □でもさ…… □あー、私もね 「残念な人」をつくる言葉 頑張っているものの、効率が悪かったり、優先順位が間違っていたりで、なかなか成果が出ない。高学歴でけっして頭は悪くない。それなのに、仕事ができない。こういう人を私は「残念な人」と呼んでいる。 残念な人には、その人を残念にしてしまう「口ぐせ」がある。それをまとめたのが図のチェックリストだ。 例えば、「じゃあ、みんなで話すか」が口ぐせの人は、問題解決力がないと考えたほうがいい。本当は自分が決めなければいけないことを決められないから、みん
コメント一覧 1. 大澤博隆 2014年01月27日 20:24 はじめまして。ご紹介の本、ロボットや人工知能研究に関わるものとして、興味深く読みました。 ただし本書の本章の論旨には、いくつか、無視できない問題点があるように思えます。 以下、指摘を述べます(長くなりまして申し訳ありません) >p.278 ここ二十年間で進化を遂げたヒューマノイドのほとんどに性別が定められており これは事実とはかなり異なります。日本のほとんどのヒューマノイドは、性別を定めていません(本章に登場するロボットは、どちらかというとその数少ない例外を集めたものです) >p.279 ロボットが日本で一般的に肯定的な見方をされる〜第一にして最大の要因は、日本古来のアニミズム的死生観を説く神道である アニミズムは日本固有ではなく、論拠としてはかなり弱いと思います(これは有名な俗説にあたるかと思いますが、証明されていません。
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