「書く」という行為には「読む」過程が含まれている。もう少し細かく言うと、文章を書く人間は、具体的な手順として、作成段階の原稿を、必要に応じて何度も読み返しながらひとつずつ言葉を書き加える形で完成に持って行っている。その意味で、書き手は、あえて「推敲」という工程を意識的に設定するまでもなく、自分の原稿を、その作成過程において、何十回も読んでいることになる。 今回は、「推敲」について書く。 どうして推敲が必要なのか。推敲はどのようなタイミングで何回為されるべきなのか。推敲において心がけるべきポイントは奈辺にあるのか。答えは必ずしも一様ではない。というよりも、見つからないかもしれない。が、考える価値はある。というのも、推敲は、「書き手による読みこなし」という一種の自己言及を含んだ、極めて負担の大きい作業で、力加減を間違えると命取りになるからだ。実際、推敲にたずさわっている書き手は、鏡のなかの人
(第1回~第5回はこちら) 今回は「書き出し」について書く。 と、あえて芸の無い書き出しを採用してみた。 どうだろうか? これといって不満はあるまい。 さよう。書き出しはどうであってもたいした問題ではないのだ。どんなふうに始められたのであれ、流れ出してしまえば、文章はじきにひとつの運動体になる。初動がどんな言葉でスタートしていたのかなんてことは、読者が文章のリズムの中に引き込まれる頃には、忘れられている。つまり、結論を先に述べるなら、書き出しに芸は要らないのである。 別の言い方をすることもできる。 してみる。 「書き出しにおいて最も重要な要素は、書き出すというアクションであって、書き出した結果ではない」 いかがだろうか。奇をてらっているように聞こえるだろうか。 でも、読む側の目で見れば、書き出しは、最初の数行であるに過ぎない。いずれにしても、書き手がこだわっているほど
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