タグ

哲学に関するsubarukunのブックマーク (8)

  • “考える”ほどスリリングな遊びはない(前篇)

    哲学問題を、額に汗して考え抜いた師・大森荘蔵を継承して、 “哲学的思考とは何か”を実践的に探求し続ける野矢茂樹氏。 著書『新版 論理トレーニング』は、哲学分野で異例のロングセラー。 気で考えることの快楽を語らせたら、右に出る者はない。 高井ジロル(以下、●印) 先生は何哲学者なんですか。専門は分析哲学? 言語哲学? 論理学? 野矢茂樹教授(以下、「――」) 哲学というのはそういう質問に答えにくいものです。科学者なら研究しているものを見せればいいんでしょうが、哲学ではなかなかそういうものが見せられないのでね。 だから、肩書きはただの哲学者。専門は哲学。もう少し気分を出すなら、現代哲学か、あるいは分析哲学。言語哲学とか科学哲学ということはない。授業ではやりますが、専門ではない。哲学というのは、いろいろな問題がからみあっているジャングルみたいなもの。何哲学者なのかと聞かれるのは、ジャングルをパ

    “考える”ほどスリリングな遊びはない(前篇)
  • マックス・ウェーバーのニヒリズム : 池田信夫 blog

    2024年03月09日22:21 カテゴリ マックス・ウェーバーのニヒリズム 日人はニーチェが好きだ。彼はヨーロッパ(特にドイツ)では無神論者としてきらわれているが、日では『超訳 ニーチェの言葉』などという偽書が100万部以上も売れた。その中身は「初めの一歩は自分への尊敬から」とか「いつも機嫌よく生きるコツ」といったハウツーものだ。天然ニヒリストの日人にとっては、神が死んだかどうかなんてどうでもいいのだろう。 他方で日には、大塚久雄以来の「ウェーバー学」の伝統がある。これは講座派マルクス主義の変種で、『プロテスタンティズムの倫理と資主義の精神』を金科玉条として「日人の精神的自立」を説くもので、膨大な文献学の蓄積がある。 こうした近代化論的なウェーバーの読み方は日特有のもので、歴史学では『プロ倫』は否定されている。『世界宗教の経済倫理』などの宗教社会学も、ドイツ語訳の2次文献

    マックス・ウェーバーのニヒリズム : 池田信夫 blog
    subarukun
    subarukun 2012/03/05
    「天然ニヒリズム」「プラトン的な合理主義を徹底すると、すべての意味を否定するニヒリズムにたどりつかざるをえない」
  • 「むしろ私は約束することはしたが、不誠実に約束した」と言われるべきである:日経ビジネスオンライン

    気になる記事をスクラップできます。保存した記事は、マイページでスマホ、タブレットからでもご確認頂けます。※会員限定 無料会員登録 詳細 | ログイン (「約束する」その1) (「約束する」その2) ところで、「来年は一緒にパリに行こう」と何かを約束することと、「来年は一緒にパリに行こう、約束するよ」と言うことには微妙な違いがある。最初の約束の言葉は、たんに希望を述べたものかもしれないし、空約束のつもりで言っただけのことかもしれない。しかしこの希望とも約束ともとれる言葉に「約束するよ」という語をつけ加えることは、他者に対する義務を自分に課し、自分の信望を賭けたことになる」[1]のである。 フレーゲの命題論 ドイツの哲学者のフレーゲがかつて、ある命題の〈思想〉とその〈真理性の確認〉と〈断定的な表現〉の区別をしたことがある。たとえば秋晴れの日に「キンモクセイの匂いがする」と思ったとする。これはぼ

    「むしろ私は約束することはしたが、不誠実に約束した」と言われるべきである:日経ビジネスオンライン
  • 「相手が自動人形に変じたならば、恋する人はひとりぼっちになる」:日経ビジネスオンライン

    気になる記事をスクラップできます。保存した記事は、マイページでスマホ、タブレットからでもご確認頂けます。※会員限定 無料会員登録 詳細 | ログイン 約束には大きく分けて3つの形がある。最初はごくゆるい個人的な決まりの水準で発生する。毎日1万歩以上歩くことを自分に約束するといったぐあいだ。ここでは自分との間で対話がある。「君、ちゃんと歩くんだよ」という命令とも、要請ともつかぬ問いかけに、「うん、歩くとも」と約束するのである。ぼくたちはつねに自己との間でこうした会話をつづけているものであり、誰もほんとうの意味で「一人」である人はいない。 しかし実は自己との約束というのは、矛盾した言葉である。自己との約束は、約束にはならないからである。気分が変わったら、それでおしまいだからだ。散歩のことはすっかり忘れてしまっても、当分はそれを咎める者はいなくなっているからである(もっとも後で、ほら、約束したじ

    「相手が自動人形に変じたならば、恋する人はひとりぼっちになる」:日経ビジネスオンライン
    subarukun
    subarukun 2010/03/04
    「約束」が生理的に苦手な理由が、分かったような分からないような…。
  • 第28回:オリンピック水着騒動に見た、国際ルールを超えるチカラ:NBonline(日経ビジネス オンライン)

    ルールは守る?破る? やっとのことで決着しました、スピード社「レーザー・レーサー」。最後の最後で、日新続出、ダメ押しの北島康介選手の世界新記録。こうなってやっと、日水泳連盟そして水着メーカーが「ウン」と言わざるを得なくなりました。 みなさんもそうでしょうが、ほとんどの日人が「何で?」と思っていたはずです。オリンピックは国全体の問題。個人やメーカーの都合で左右されるのは変だし、何より同じ条件で争って勝敗を決するもの。ここまで、マーケティングのにおいがしてくると、オリンピックはブランドPRのステージになってしまいます。 もちろん、スピード社独り勝ちは計り知れないPRをもたらしたでしょう。関連株価は上がるし、一般消費者からも予約が殺到したそうですから。 そこで感じたのが、日人とガイジンの、ルールに対する考え方の違い。 まず、日人。ルールはもちろん守るもの、だからその中で考えを巡らす。一

    subarukun
    subarukun 2008/06/19
    『日本人とガイジンの、ルールに対する考え方の違い』
  • 悲観主義とオプティミズム - My Life Between Silicon Valley and Japan

    一週間東京に行って帰国したところ。これからしばらく寝たり起きたりで、消耗しきった身体に体力が戻るのを待とう。今年二回目の東京だったが、こちらに戻ってくるとすべてのモードが全く変わって、ブログを書く力もようやく沸いてくる。 ある日、東京で気のおけない親しい友人たちとオプティミズムの話になった。「ウェブ進化論」のオプティミズムを誤解する人が多いね、という話がよく出るが、その日もそんな話になった。オプティミズムとは、生来人間は素晴らしいものなんだから「世の中、ほっておいても何とかなるさ」みたいな呑気でいい加減な考え方とは全く違うものだ。オプティミズムの質を全く理解せぬまま、オプティミズムはけしからんと言う人が多いね、というのは僕もよく思う。 ところで別の友人との集まりで、話がなぜかそちらのほうに流れ、アランの「定義集」の話になった。僕が敬愛してやまない森有正(ぼろぼろになるまで読んだ四冊の)

    悲観主義とオプティミズム - My Life Between Silicon Valley and Japan
    subarukun
    subarukun 2007/03/02
    「オプティミズム」という言葉について。安直な意味での「楽観主義」とは違う。『人間にとって、悲観主義こそ「自然」で「生来」なものなのであって、オプティミズムとはそれを超えていく意志のこと』
  • Amazon.co.jp: 渋沢栄一「論語」の読み方: 澁沢栄一 (原著), 竹内均 (編集): 本

    Amazon.co.jp: 渋沢栄一「論語」の読み方: 澁沢栄一 (原著), 竹内均 (編集): 本
    subarukun
    subarukun 2007/02/13
    論語、といえば渋沢栄一らしい。
  • web kikaku

    私たちが同時代として生きている「一九七五年から二〇二五年までの半世紀」(私個人の場合は、十五歳から六十五歳までの五十年)は、百年先にどう総括されるのだろうか。 むろんさまざまな切り口での総括の一つとしてではあるが、「情報技術(IT)が世界を大きく変えた時代」と総括されることは間違いなかろう。 素人ながら思想・哲学の歴史をひもとけば、次世代に大きな影響を及ぼした偉大な思想・哲学の多くが、激しく変化する同時代の最先端で、同時代の意味を、また同時代をいかに生きるべきかを必死に考える営みから生まれてきた。その営みの途中経過は、同時代にはそれほど理解されず、その意義は歴史の判断に委ねられるため、評価の定着はかなりあとになる。 「一九七五年から二〇二五年までの半世紀」も、既に最初の三十年が過ぎている。半導体の発明に端を発するパソコンの誕生、チープ革命の継続、インターネットの発展、オープンソースの

    subarukun
    subarukun 2006/07/19
    歴史や哲学をしっかり勉強することで、今の時代が後世に与える影響をリアルに想像できるようになる。この文章を読んで、ますますそう思った。
  • 1