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宗教に関するsubarukunのブックマーク (4)

  • レイ・カーツワイル思想プチ紹介。 | 初代ピアノ屋岡野勇仁「心はいつもほっかほか。」

    昨日量子テレポーテーションの話しにからめて、レイ・カーツワイル教のユル信者だと書いたのだけども、ガチ信者と言ってしまうとヤバイ感じなのがこのレイ・カーツワイル教祖様だ。 宗教では、新興宗教というものがあって(一般的、学術的には「新宗教」という方が正しいらしい)旧宗教に対して新しいという感じで使われるのだけど、実はリアルに新らしいタイプの宗教は少なくて、新興宗教、新宗教と言われるもののほとんが旧宗教のスタイルをリアレンジしたものが多い。 教祖がスパークして、超自然的世界と交信し、弟子がその言葉を文字に起こしてなおかつ、その周囲の人間が教祖を教祖たらしめ、体系を築きあげる。 という新宗教とは言ってもわりとオーソドックスで伝統的なものが多い。 そういう意味ではダーウィンの説とか、ほっとくといい感じになるという資主義における神の見えざる手、とかマルクス主義、とかの方が「新しい」かたちの宗教という

    レイ・カーツワイル思想プチ紹介。 | 初代ピアノ屋岡野勇仁「心はいつもほっかほか。」
  • ハリウッド映画化するグーグラーたちの人類究極進化【シンギュラリティ革命】

    いよいよ、こんな所まで出てきたかと感じている。2014年4月に公開される予定のジョニー・デップが主役の新作映画「Transcendence(トランセンデンス)」のトレイラーが、12月20日YouTubeで発表された。この映画では、「技術的特異点(テクノロジカルシンギュラリティ)」と呼ばれるテーマが扱われている。もはやこの言葉は、近年のアメリカでのIT関係者の流行語になっている。次々に、関連書籍が出版されている状態だ。それが、技術者のみならず、ついにハリウッド映画の有名人が主役をやるような映画にまで、浸透してきたのかと少なからず驚かされる。 ■人間の脳をそのままデータ化したらそれはその人か? この言葉を、流行させたのは、発明家であり未来学者のレイ・カーツワイルで「シンギュラリティは近い―人類が生命を超越するとき」(NHK出版、以前は「ポストヒューマン誕生」というタイトルで出ていた。現在はKi

    ハリウッド映画化するグーグラーたちの人類究極進化【シンギュラリティ革命】
  • 技術的特異点と仏教的生命観の接点

    最近の私の短期的・中期的なテーマは、モノのインターネット化、EIR(Entrepreneurs in Residence)、企業におけるリーン・スタートアップといったところになりますが、長期的なテーマとしては技術的特異点と仏教的生命観といったところになります。 技術的特異点というのは、Wikipediaでは「未来研究における、正確かつ信頼できる、人類の技術開発の歴史から推測され得る未来モデルの限界点」となんだか難しそうですが、ようはコンピュータの処理能力が人間の脳の処理能力を超える瞬間。人工知能が人間並みあるいは人間を超えるレベルの能力になり、怖い言い方をすると映画のターミネーターみたいな世界になるかも知れませんねというお話だと理解しています。 もう一方の仏教的生命観は、人間には個としての自分と全体としての自分という2つの側面がある(色即是空空即是色)という生命観をここでは指しています(私

  • 「意図せざる一致」の終わり : 池田信夫 blog

    2012年02月11日10:59 カテゴリ科学/文化 「意図せざる一致」の終わり きのうの読書塾では、特別ゲストとして島田裕巳氏に「日人と宗教」について話してもらった。日人の不思議な習性を考える場合、その「無宗教」が重要な特徴だからである。 これは宗教という概念をキリスト教のようなreligionをモデルにするところに問題があり、日人の場合は「他人を信じる」という意味のbeliefが強いので、超越的な信仰は必要ないと考えることもできる。この場合の「他人」は不特定多数ではなく、自分と同じ集団に所属するメンバーだけである。 山七平の言葉を借りれば、この「日教」は教義も教会もない「アニミズム」だが、すべての日人に共有されている。社会生物学的に考えれば、このレベルの利他主義はある程度、遺伝的なものと思われるが、こうした土着信仰が文明国に残っているのは珍しい。西洋では、たとえば土着宗教の

    「意図せざる一致」の終わり : 池田信夫 blog
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