最近、日本語の文章で「だれそれは…と指摘した」というフレーズが目につくことが多い。なぜ目につくかというと、自分の語感では「指摘する」というのは一般に/ある人にとって意識されていなかった事柄をほかの人が言葉によって明らかにする、という含みがあるように思えるのに対して、そういった前提条件なしに書かれているように思える文章に遭遇したときに、引っかかりを覚えるからだ。例えば、下記のような例。 菅担当相は「(景気に対する)見方は、日銀とそう変わっているわけではない」と述べ、日銀と景気認識に違いはないと指摘した 韓国の哨戒艦沈没問題で「米中が共同歩調をとれるかが大きな要素だ」と指摘した (http://jp.reuters.com/article/businessNews/idJPJAPAN-15469220100524) 下のはそれほど違和感はないような気もするが、上のはちょっと引っかかる。 この記
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