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批評に関するsuneo3476z_tnのブックマーク (14)

  • 【シン・ゴジラ評】ゴジラは沈黙する。|黒嵜想|note

    シン・ゴジラを観た。 以下、感想を書く。長文につき、簡単な目次を付す。 ネタバレを大きく含むので、未見の方にはオススメしない。 なお、3章の後半あたりで、一度議論を総括している。 時間も興味もない方は、できればその部分だけでも読んでほしい。 ~目次~ 0 前書き(飛ばしても問題なし) 1 会話劇としてのシン・ゴジラ 2 止め絵とエヴァンゲリオン 3 ゴジラは沈黙する 0.前書き 文に入る前に、筆者の率直な所感を述べるなら、作は単なる「特撮」にとどまらない素晴らしい映画であったと思う。54年、水爆被害の中から誕生した「ゴジラ」という被曝生物(怪獣)を、今一度その出自に立ち戻らせた作の意義は大きい。怪獣「ゴジラ」が自明化され、襲来する外来種としての怪獣と戦う防国の神となった現在の特撮の環境下で、その試みが輝くのはもちろんの事、言うまでもなく3.11の東日大震災から5年後にゴジラを「災害

    【シン・ゴジラ評】ゴジラは沈黙する。|黒嵜想|note
  • 『シン・ゴジラ』、戦後補完計画。 - 黎明期フラストレヰション

    『シン・ゴジラ』、とにかくすごかった。特撮は言わずもがな。恐ろしくドライな日観、国家観、人間観。背景にうっすらと描かれる原爆、原発。素晴らしいカメラワークで次々と映し出される戦後日。責任の所在と主体性の回復。そして、作品の中で意図的に用意された空白とそれを埋めた時に現れる初代ゴジラの鏡像としてのシン・ゴジラ。鎮魂と慰霊の祈り。突っ込みたいところもいろいろあるけれど、紛うことなき傑作だと思う。 ネタバレを含めて感想を以下に記す(ネタバレしても作品の質的な部分に関わるとは思えないけれど)。 まず、この作品はヒューマンドラマではない。ヒーロー映画でもない。オールジャパンの国威発揚映画でもない。そもそも、この作品に自らの意思を持った人間は出てこない。全ての人間が組織のコマだ。誰がその場所に座っていようが、決められるべきことは必ず決められるし、避けられないことは必ず避けられない。例えば、大河内

  • 松江哲明の『シン・ゴジラ』評:90年代末の“世界認識がグラグラする”映画を思い出した

    『シン・ゴジラ』を観て、まず最初に、僕が90年代末に感じていた“日映画の面白さ”を思い出しました。たとえば、押井守監督の『パトレイバー』や金子修介監督の『平成ガメラ』シリーズ、あるいは三池崇史監督の『DEAD OR ALIVE 犯罪者』とか『漂流街』などがそうだったんですけれど、誰かにおもねることなく、作り手が面白いと思うものを打ち出している感じがしたんですね。80年代は“洋画の時代”で、言ってみれば日映画は若者にとってダサいものだった。人情話や動物モノが多くて、僕も全然かっこいいとは思わなかったんです。でも、90年代に入ると、様々な制約がある中でもすごく面白いものを作る人達が出てきた。観客に媚びることなく、センスで観せる監督が出てきたんです。正直、観客を呼べていたかというと、そうではなかったんだけど。ただ、ここから新しい日映画が生まれるんじゃないか、という機運はあったんです。 とこ

    松江哲明の『シン・ゴジラ』評:90年代末の“世界認識がグラグラする”映画を思い出した
  • 評論家・宇野常寛氏が語る『シン・ゴジラ』-この映画は99%の絶望と、1%の愛でできている – 木曜日のシネマ

    シン・ゴジラ 東京湾内羽田沖で、無人状態のプレジャーボートが見つかった。そのとき、海面が大きく揺れ、大量の水蒸気が噴出。東京湾横断道路・アクアトンネル構内は洪水に巻き込まれる。局地的地震か、海底火山噴火か、東京湾内は封鎖され- 邦画作品では12年ぶりとなる「ゴジラ」シリーズの実写映画化。「新世紀エヴァンゲリオン」の庵野秀明が脚・編集・総監督を、『ローレライ』『日沈没』の樋口真嗣が監督・特技監督を務め、300名を超えるキャストが出演することも話題に。公開後、クオリティの高さが熱狂を呼び、現在も日全国に『シン・ゴジラ』旋風を巻き起こしている。 宇野常寛(うの つねひろ) 批評家。批評誌「PLANETS」編集長。1978年生まれ、青森県出身。会社員時代を経て、批評誌「PLANETS」を発行し会社化。「ゼロ年代の想像力」、「リトル・ピープルの時代」など著書多數。有料メルマガ(ブロマガやnot

    評論家・宇野常寛氏が語る『シン・ゴジラ』-この映画は99%の絶望と、1%の愛でできている – 木曜日のシネマ
  • 『シン・ゴジラ』は“コントロールルーム映画”だった? 速水健朗が庵野監督の意図を読み解く

    皆『シン・ゴジラ』について語りすぎである。こちらが語ることがなくなるのでやめて欲しい。危機管理にまつわる行政組織論、右から左からの日人論、震災、原発事故との関連した議論などはもちろん、鉄道に関する知識、上陸経路に関する考察、建築物からの視点などおもしろい議論がネットからいち早く出そろった感があり、うかうか後出しじゃんけんなんてできやしない。とはいえ、それでもまだ語り尽されてないのが『シン・ゴジラ』なのである。ここでは、僕が好きな作の細部の話をしよう。論は、“中央制御室映画”としての『シン・ゴジラ』である。 告白するとセンターコントロールルームが出てくる映画が好きだ。中央制御室、またはオペレーションルーム。呼び方は、何でもいいが、情報を一元化して集積し分析官、オペレーターたちが見守る空間が登場する映画というジャンル分けが可能である。ちなみにコントロールルーム映画の代表に『アポロ13』が

    『シン・ゴジラ』は“コントロールルーム映画”だった? 速水健朗が庵野監督の意図を読み解く
  • 『シン・ゴジラ』に覚えた“違和感”の正体〜繰り返し発露する日本人の「儚い願望」(辻田 真佐憲) @gendai_biz

    文/辻田真佐憲(近現代史研究者) バブル時代とゴジラ映画 経済大国日は、21世紀にその財力で赤字国の領土を買いあさり、22世紀に世界最大の面積を誇る大国になり、23世紀に唯一の超大国として世界に君臨するにいたる。この事態を憂慮した未来人の一部は、タイムマシンを使って20世紀末の日に怪獣を送り込み、日を徹底的に破壊して、歴史を改変しようと試みる――。 これは、1991年12月に公開された『ゴジラ対キングギドラ』(大森一樹監督)のストーリーである。衰退する一方の現代日では、このストーリーはいまやまったく現実味のないものになってしまった。 しかし、この脚が書かれたころの日では、必ずしもそうではなかった。 当時の日はバブル景気の真っ直中であり、世界中の企業を買いあさるなど、まさに我が世の春を謳歌していた。いわゆる「ジャパン・アズ・ナンバーワン」の時代だ。それゆえ、日がこのまま世界を

    『シン・ゴジラ』に覚えた“違和感”の正体〜繰り返し発露する日本人の「儚い願望」(辻田 真佐憲) @gendai_biz
  • なぜ人がイチローになってから打席に立とうとするのか、『シン・ゴジラ』で説明するよ。:弱いなら弱いままで。

    えー、以下の内容は『シン・ゴジラ』に対する致命的なネタバレを複数含んでいます。未見の方は決して読まないようにお願いします。 さて、この話は一見、『シン・ゴジラ』とは無関係に見えるに違いないひとつの興味深い記事を引用するところから始まる。「イチローになってから打席に立とうとする人が多すぎる」と題された文章だ。

    なぜ人がイチローになってから打席に立とうとするのか、『シン・ゴジラ』で説明するよ。:弱いなら弱いままで。
  • ゴジラにまつわる諸問題とその解決策について(映画『シン・ゴジラ』レビュー) - 色々水平思考

    ※注意!映画のネタバレしてます! 世界で最も有名な怪獣の中の怪獣、それがゴジラである。だが、実はゴジラとは非常に多くの問題点を抱えた、映画的には扱いづらい存在でもあることをご存知だろうか。 最も致命的なのは動きが鈍重であるということだ。そしてなぜか年を重ねるごとに巨大化するその体躯が加わることで、都市に突如現れて急襲しようにも、そのデカさ故に人間側が否応なしにその存在に気付いて、問題に対処するための時間を与えてしまう。それに対して、こちらも日が誇る怪獣の雄、ガメラには飛行能力があるので、突如として大都市に飛来し大暴れするという芸当が可能になる。平成ガメラ3部作が現在まで語り継がれる伝説的な作品になっている要因として、ガメラのその機動力の高さによる貢献は非常に大きい。 ガメラ トリロジー 平成版ガメラ3部作収録 Blu-ray BOX (PS3再生・日語音声可) (北米版) 出版社/メー

    ゴジラにまつわる諸問題とその解決策について(映画『シン・ゴジラ』レビュー) - 色々水平思考
  • 「シン・ゴジラ」はあの大災害がエンタメにかけた「呪い」の憑物落としである - エキサイトニュース

    情報量は詰め込めるだけ詰め込み、スピーディなカット割で次から次へと画面が転換する。しかし「セリフが早口で聞き取れない」という声はあっても、混乱したというボヤキは聞いたことがない。怒涛の情報量が整然とコントロールされ、入り口から出口まであっという間に運ばれるジェットコースター映画になってる奇跡。 フツーの人たちがそれぞれの立場でやるべきことを遂行し、ゴジラという国難を乗り越えるプロジェクトX。この表現は特撮映画に思い入れのない人でさえ心打たれ、公開2週後も興行収入トップを走っている(まぁ最大のライバル『ワンピース』が公開3週目という事情はあるが)現実をよく説明している。 でも、ただ事じゃない爽快感は、それだけじゃ説明できない。 綿密な取材、微に入り細にうがった考証に裏打ちされたリアリティを積み重ねて、「思考停止していたタブー」を踏み越えているから」じゃないか。『シン・ゴジラ』は多くの人々を囚

    「シン・ゴジラ」はあの大災害がエンタメにかけた「呪い」の憑物落としである - エキサイトニュース
  • 初代ゴジラの“呪縛”から逃れた『シン・ゴジラ』 モルモット吉田が評する実写監督としての庵野秀明

    公開3週目を迎えても『シン・ゴジラ』の勢いは依然、衰えを見せない。IMAX、MX4D、通常上映と、毎回環境を変えて観ていたが、この原稿を理由にまた劇場に足を向けてしまった。高圧縮の情報量、現実の反映、オマージュ、トリヴィア、語られないまま終わった謎への解釈など、まるで20年前の『新世紀エヴァンゲリオン』テレビシリーズ放送終了後から翌年の劇場版公開にかけての熱狂が再現されているようだ−−と言っては言いすぎだろうか。いずれにせよ、繰り返し観ることで細部を語る魅力が増す作品であることは間違いあるまい。 マイナスをプラスにさせる庵野秀明のアレンジ ここでは、〈庵野秀明にとってのゴジラ〉から話を始めてみたい。というのも、特撮好きなエヴァの監督というイメージから誤解されがちだが、これまで庵野はウルトラマンほどの熱狂をゴジラには見せていなかったからだ。『シン・ゴジラ』の原点となる第1作の『ゴジラ』(54

    初代ゴジラの“呪縛”から逃れた『シン・ゴジラ』 モルモット吉田が評する実写監督としての庵野秀明
    suneo3476z_tn
    suneo3476z_tn 2016/08/22
    “本篇の描写がすべて記号として機能する”
  • 村上龍最良の後継者であり震災後文学の最高傑作としての『シン・ゴジラ』(飯田一史) - エキスパート - Yahoo!ニュース

    『シン・ゴジラ』を監督した庵野秀明は、アニメ『新世紀エヴァンゲリオン』の登場人物の名(トウジとケンスケ)を村上龍の『愛と幻想のファシズム』から拝借し、『ラブ&ポップ』を実写映画化したことがある。 そして庵野秀明監督の最新作『シン・ゴジラ』は村上龍以上に、2000年代以降の村上龍の問題意識を体現した作品だった。そして描かれるべき「震災後文学」をついに世に投じた作品でもあった。 どういうことだろうか? それを捉えるために、まずは村上龍の辿った道を見ていこう。 ■サラリーマンになれない 「おまえはぜったいにサラリーマンになれない」 村上龍は幼少期から親や教師たち(両親も教師である)にくりかえし、そう言われてそだった。 彼は集団作業にむいておらず、他人の指示に従うということを嫌った。 だからはじめ、医者になろうと思った。自営業者として開業医になれば、組織の論理をふりかざす「上司」のような人間にした

  • TBSラジオ ときめくときを。

    ラジオ放送局「TBSラジオ」のサイト。TBSラジオの周波数は[AM954kHz/FM90.5MHz]。PCやスマートフォンではradiko(ラジコ)でもお聴きになれます。全国のラジオ34局ネットワークJRN(JapanRadioNetwork)のキーステーション。記事や番組内容、オンエア楽曲、最新イベント・グッズ情報などのコンテンツを毎日更新中!!

    TBSラジオ ときめくときを。
    suneo3476z_tn
    suneo3476z_tn 2016/08/22
    “死の責任を転嫁するような視点みたいなのは一切排されてますよね”/“非物語的なのがむしろ生々しく感じる”
  • 東京中を破壊するゴジラが、いつも素通りする場所とは? 「シン・ゴジラ」が暗示する日本のあやうさ(中川 右介) @gendai_biz

    文/中川右介 「怪獣映画」というより「災害映画」 『シン・ゴジラ』を公開初日(7月29日)の午前中に観てきた。 「公開日まで内容については一切もらさない」との趣旨の誓約書に署名捺印しなければ試写も見られないという、かつてない情報管理がなされたことが映画業界では話題になっていた。 その話を聞いて「国家機密より厳しいのか」と言って笑っていたのだが、なるほど、映画そのものが「国家」を真正面から描いたものとなっていた。 東宝の社員各位は、日国を背負っている気分になってしまい、特定秘密保護法を適用し、『シン・ゴジラ』を特定秘密に指定したのだろう(これは皮肉です、念のため)。 秘密にしていたのは内容に自信がなく、試写を観た映画評論家やジャーリストたちが「つまらない」「たいしたことない」とネットなどに書き込むのを恐れているからだとの噂もあった。 さて、どうだったか。 怪獣映画を期待して観た人にとっては

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  • 奇跡も、魔法も、あるんだよ - 作品評 - 魔法少女まどか☆マギカ : 404 Blog Not Found

    2011年09月20日23:00 カテゴリ書評/画評/品評 奇跡も、魔法も、あるんだよ - 作品評 - 魔法少女まどか☆マギカ これが、真の魔法か。 魔法少女まどか☆マギカ (DVD/BD全6巻) [初出2011.04.24] 「最高」の「魔作」にして「最悪」の「法作」。その時視聴者は、かつてないほど大量の感動を手に入れるだろう。ボトムラインとして、今後は物語というものを、作品というものを、作を観ずにして語れない。 以下、「視た」という前提で話を進める。ネタばれを避けたい人は[続きを読む]を押さないように。もっとも作は遠からず古典となり、「好き嫌いはとにかくあらすじなら一応皆が知っている」ことを前提にできるようになるのだろうけど。 作「魔法少女まどか☆マギカ」が示したのは、魔の真の姿であり、法の実の姿である。 魔とは、何か。 「よかれと願ってやっていることが、よからぬ方向にものごとを

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