猫界には「まっくろくろすけ」が存在するという噂はちらほらあったが、ギモくんも、まさにその一員と言えよう。お目目くりっくり、黒毛がふっさふさ。毛玉が落ちているかと間違えるレベルで似ていたのである。
猫界には「まっくろくろすけ」が存在するという噂はちらほらあったが、ギモくんも、まさにその一員と言えよう。お目目くりっくり、黒毛がふっさふさ。毛玉が落ちているかと間違えるレベルで似ていたのである。
昨夜、阪大の「COI拠点」ホームページが突如話題となり、今なおTwitter上で失笑がくすぶっている。 togetter.com ここで「宗教法人大阪大学」と揶揄されているのは、同大のセンターオブイノベーション(COI)プログラムの内容。 昨日急に話題となっているが、プログラム自体は平成25年度から行われている。 このCOIプログラムとは、文部科学省および科学技術振興機構が主導する、「現在潜在している将来社会のニーズから導き出されるあるべき社会の姿、暮らしのあり方を設定し、このビジョンを基に10年後を見通した革新的な研究開発課題を特定した上で、既存分野・組織の壁を取り払い、基礎研究段階から実用化を目指した産学連携による研究開発を集中的に支援」するという取り組み。 「企業や大学だけでは実現できない革新的なイノベーションを産学連携で実現するとともに、革新的なイノベーションを創出するイノベーショ
以下ネットの反応。 小学館『少年少女日本の歴史』 「幣原首相が、憲法に戦争放棄を盛り込むよう提案」1989年版 →「マッカーサーが、戦争放棄を提案」1994年版 と歴史的事実を正反対に改訂。『ドイツ人学者から見た日本国憲法』はこれを厳しく批判しています。 pic.twitter.com/UknMecUSMW — 盛田隆二*Morita Ryuji (@product1954) 2015年7月11日 @kuwabarakazu @ruhiginoue @product1954 @mr_unworthy 押し付け憲法論もデマですけどね。1946年5月27日の毎日新聞の世論調査で、新憲法草案を支持する回答が85%で、反対が13%、戦争放棄条項を必要が70%、必要なしが28%でした — ネオクラシカルな音楽愛好家 (@NeoClassicalUSA) 2015年7月12日 憲法調査会の会長高柳氏は
世の中 40年前、お風呂場で小野田寛郎さんがポツリと言った「(終戦を)知っていた」(山田順) - エキスパート - Yahoo!ニュース
ルバング島のジャングルで30年の長きにわたって戦い続けた小野田寛郎は、帰国後メディアから集中砲火を浴びる。小野田は格好の標的となった。物珍しければ何にでも飛びつくのがメディアの習性だ。連中は野良犬のように鼻が利き、野良犬のようにしつこい。 野坂昭如(のさか・あきゆき)が小野田寛郎を中傷した―― (野坂昭如による“談話筆記”〈『週刊ポスト』8月16日号〉) 小野田さんはいろいろ偉そうなことをいっているけど、そして偉い面もあるけど、游撃戦にしろ、残置諜報者にしろ、その本分は何も果たしていないじゃないか。 彼は自分の頭の中に艦船の出入りとか、飛行機のなんとかというものをしっかり納めていたという。それがやがて来たるべき日本の反撃に備える自分の任務だった、というが、じゃ、それを書いてみろといったら、おそらく書けないのではないか。 横井さんの場合は、「あれは逃亡兵だ、逃げ回った人間だった」という決めつ
陸軍中野学校の勝利と敗北を体現した男 人間が怖かった 残置諜者の任務を全うした男 小野田寛郎 『F機関 アジア解放を夢みた特務機関長の手記』藤原岩市 『洞窟オジさん』加村一馬 1972年(昭和47年)1月24日、横井庄一がグアム島で発見された(画像)。帰国した横井は「恥ずかしながら帰って参りました」と語った。 それから2年後の1974年3月10日、今度はフィリピンのルバング島で小野田寛郎がフィリピン軍に投降する。戦後29年目のことであった。 実はこの二人には大きな相違があった。横井は川でエビを採っていたところを地元の猟師に発見され、住んでいた洞窟から救出された。これに対して小野田は戦争が続いているものと確信し、所期の任務を遂行していたのだ。戦後、幾度となく捜索が行われたにもかかわらず、小野田は米軍による偽装行為であると思い込んでいた。接触に成功した鈴木青年のことも小野田は全く信用していなか
「どんな仕返しをしたんです?」 「ある村の副村長が何度もけしかけやがったから、そいつを三日間つけねらって、一人になったところをぶっ殺してやった」 寛郎の目の光りが強くなった。伊東にきてから目方が二キロふえたという彼は、顔つきもかなり柔和になっていたが、このときばかりは元のするどい眼差しに戻っていた。 「まず膝をねらって一発射ち、歩けないようにしておいてボロ(蛮刀)でたたっ斬ってやった。その野郎、腕で顔をかばいながらいざって逃げようとしたが、こっちは日頃の恨みで容赦しねえ……」 ちょっと前に最後の日本兵小野田少尉こと小野田寛郎さんの訃報のことを書いた。 訃報の後、ネット上ではしばらく小野田さんの話題が飛びかっていた。そんな中、僕も読んだことがある小野田さんの手記を書いたゴーストライター自身の手による小野田さんの暴露本がネット上で全文公開されていることを知った。 その暴露本は「幻想の英雄」とい
大岡昇平の小説などでも知られる、フィリピンでの日米決戦。日本軍はフィリピンで何をしたのか。そして両国の友好の道筋と、今後の課題とは。アメリカ・フィリピン・日本の3カ国にわたる国家・社会関係史の専門家、一橋大学社会学部教授の中野聡氏が解説する。TBSラジオ荻上チキSession-22 2016年01月27日放送「天皇・皇后両陛下がフィリピン公式訪問。戦時中、日本軍は何をしたのか?」より抄録。(構成/住本麻子) ■ 荻上チキ・Session22とは TBSラジオほか各局で平日22時〜生放送の番組。様々な形でのリスナーの皆さんとコラボレーションしながら、ポジティブな提案につなげる「ポジ出し」の精神を大事に、テーマやニュースに合わせて「探究モード」、「バトルモード」、「わいわいモード」などなど柔軟に形式を変化させながら、番組を作って行きます。あなたもぜひこのセッションに参加してください。番組ホーム
香港のデザイン会社「Local Studio HK」が制作した、中国と香港の違いを表したイラストを紹介しましょう。左側が中国で、右側が香港。中国に対して皮肉が込められたそのイラストには、賛否両論の声もあるようですが、ユーモアを持って楽しみたいイラストです。 中国と香港は、違います 中華人民共和国は1949年に誕生しましたが、香港は1841年に設立されました。 中国と香港では、スマホのダイヤルが違います。 香港ではさまざまな要因で株式市場が動くのに対し、中国の株式市場は政府が操っています。 中国の家は大きいのに対して、香港の家は小さいです。 中国人は中国以外のパスポートを持てませんが、香港人は複数のパスポートを持つことができます。 中国の愛という文字には心が抜けていますが、香港の愛という文字の中には心が入っています。 中国の紙幣は元を使っているのに対して、香港では香港ドルを使用しています。
香港でひと月以上も続いている今回の民主化運動の主役は、学生などの若者である。ノーベル平和賞を獲得したマララ・ユスフザイらとともに、タイム誌に2014年の「世界で最も影響力のあるティーンエージャー25人」に選ばれた黄之鋒(ジョシュア・ウォン)のみならず、生中継のカメラを前に政府高官との2時間の論戦を見事に戦った「学連」幹部の5人など、若者のパワーは大人を凌駕している。もはや昨年来、真の民主主義を中国政府が拒否した場合にはセントラル地区の金融街で座り込み抗議をするという「オキュパイ・セントラル」を発案・主導してきた学者たちなどは、運動が始まるや否やすっかり影が薄くなってしまった。 香港の若者の北京への反発は特に強い。香港大学民意研究プロジェクト(港大民研)の今年6月の調査によれば、自身を「香港人」と称する者は30歳以上で62.3%であったのに対し、18~29歳では86.7%に上った。逆に「中国
米首都ワシントンの連邦最高裁判所で、公式写真撮影にのぞむクラレンス・トーマス連邦最高裁判事(2010年10月8日撮影、資料写真)。(c)AFP/TIM SLOAN 【3月1日 AFP】米連邦最高裁判所が、まれにみる驚きに揺れた──発言を一切しないことで知られるクラレンス・トーマス(Clarence Thomas)判事が、2月29日の審議で、10年ぶりとなる質問を行ったのだ。 保守派のトーマス判事は、同じ連邦最高裁判事で最近死去したアントニン・スカリア(Antonin Scalia)氏と思想こそは共通していたが、多弁だったスカリア氏とは違い、口頭弁論で決して発言しない唯一の判事として知られていた。 だがこの日行われた、家庭内暴力で有罪判決を受けた人が銃を所有することを禁止する法律をめぐる審議で、連邦政府側が弁論を終えると、トーマス判事はその重い口を開いた。 「軽犯罪法違反が憲法上の権利を停止
Fear the Boom and Bust Created by John Papola & Russ Roberts. http://econstories.tv/ Subbed by @bradex
[要約] ナシーム・ニコラス・タレブ「まぐれ―投資家はなぜ、運を実力と勘違いするのか」はランダム性を学ぶのに最適。啓蒙書を読むことはほとんどない人生。読むべきはおっさんどもではなくて高校生など若い人たち。規則の逸脱。20年前の田舎の高校生。偶然であるがゆえに連続す。モンテカルロ法な話。乱数と低食い違い列。そして、推薦の言葉 [規則の逸脱] 僕は、普段は、啓蒙書を書評したりは(あまり)しない。時折、知り合いに啓蒙書を書いて、僕に献本してくれる人がいるのだが、それらのほとんどをblogで取り上げたことがない。 それは意地悪をしようとかそういう意図はなく、僕が「ほとんど啓蒙書を読まない」からだ。僕が啓蒙書を読むのはよっぽど何かあった時だけだ。雷に打たれて神の啓示を得たとか、他人の名前を書くとその人が死んでしまうノートを拾ったとか、ライトセーバーを持った黒いヘルメットに黒マントの大男に「私がお前の
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く