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  • 東京五輪メダル獲得失敗: 武藤文雄のサッカー講釈

    準決勝敗戦。この試合後の喪失感は、中々経験したことのないものだった。115分アセンシオに決められ、その後の攻撃をスペインにいなされ敗退が決まった瞬間。「また勝てなかったか、今回こそはと思ったのに」と言う強烈な悔しさ。加えて、吉田麻也と仲間たちには「当によく戦ってくれた」との感謝の念も大きかった。 ただし、その悔しさは、2010年南アフリカでのパラグアイ戦、2018年ロシアでのベルギー戦直後と比較すると、何か決定的に違った。この2つのワールドカップでは、その時の日の戦闘能力手一杯まで戦い、刀折れ矢尽きた感があった。しかし、今回は采配を工夫すれば、もっとよい試合ができたのではないか、よい結果が望めたのではないかと思えたのだ。 強いて言えば、一番近い感覚は93年ドーハかもしれない。もちろんあの時失ったあの時失ったものをもっと大きかったけれども。一方であれからたった28年でここまで来られたって

  • 川淵さん、この仕事はあなたには向いていません: 武藤文雄のサッカー講釈

    川淵三郎氏が、東京五輪の組織委員会会長に就任するらしい。私は憂いている、過去多くのことをなしとげてきたこの元日サッカー協会会長だが、この仕事は向いていない。下手をすると、氏の晩節を汚すものにもなりかねないと。 私の心配の理由は明白だ。川淵氏は「こちらに進むことが正しい」と明確な状況で、格段の推進能力を発揮し、成果を挙げてきた人だ。しかし、「どちらが正しいか不明確」な事態を軟着陸させることは不得手なのだ。そしてそう言った不明確な事案に不適切な判断をしてしまったこともまた多い。さらにその不適切な判断が明白になった後の態度は、とてもではないが褒められたものではなかった。 疫病禍の世界の中、「やるのかやらないのか」意見が二分している東京五輪。その責任者は、典型的な「どちらが正しいか不明確」と言う仕事なのだ。繰返そう、川淵氏はこう言った「どちらが正しいか不明確」な仕事には向いていない。 改めて、氏

  • 澤去りし後: 武藤文雄のサッカー講釈

    澤穂希引退。 引退を宣言し、最後の大会として選択した皇后杯で、堂々の優勝。それも決勝戦の終盤に、決勝点を決めてしまうのだから恐れ入る。スーパースタアの所以と言えばそれまでだが、引退を決意してもなおその個人能力が他を圧していると言うことだろう。実際問題として、今大会中盤奥深くで敵の攻撃を刈り取る妙技と落ち着いた展開は、今なお格段のものがあった。準決勝、ベガルタはアイナックに敗れたのだが、澤の存在は忌々しさは格段。数日前の横浜国際で堪能したマスケラーノの読みの冴えを思い起こした。 個人能力は未だ他を圧しているものの、澤が引退を決意したのは、ひとえにモチベーションの問題なのだろう。引退記者会見で、「心と体が一致してトップレベルで戦うことがだんだん難しくなったと感じたから」と語ったと報道された。アスリートとして考え得る最大限の栄光を手にした澤だからこその思いと言うことか。例えば王貞治、山下泰裕、千

  • サッカーの母国の歴史的悲劇: 武藤文雄のサッカー講釈

    何歳になっても、何試合経験しても、サッカーの奥深さは尽きない。新たな感動と発見を体験させてくれた両国の選手達に感謝の意を表するしかない。 講釈の垂れようがない結末だった事は確かだ。また日の選手達、関係者の方々のきめ細かな努力が歓喜を生んだのも間違いない。しかし、ここは敢えて、あの場面およびその直前について執拗に語る事が、自分なりのローラ・バセットへの最大級の敬意ではないかと考えた。 そもそも。サッカーの言語において、この自殺点は「ミス」と語るべきではないだろう。バセットがボールに触れなければ、至近距離から大儀見がシュートを放つ事ができたのだ。悲劇は悲劇だったが、バセットはボールに触るしかなかったし、川澄のクロスを誉めるしかない。あのような位置関係で、川澄があのボールを入れた時点で、バセットがやれる事は限られており、バセットは的確にそれを行った。それだけの事だ。これは「ミス」ではない。あの

  • 20歳。おめでとう。そして、ありがとう。: 武藤文雄のサッカー講釈

    20年経った。そして、夢はすべて叶った。いや違う、夢にも思わなかった事が次々と到来してくれた。 正直言おう。あの試合を観ながら、随分と複雑な気持ちだった。 もちろん、それまでの1年間で、既に「相当数の」夢は叶っていた。それらへの喜びは、とてもとても大きなものだったのは間違いなかった。 地元で行われたアジアカップで、アジアチャンピオンになった。 UAEに競り勝ち、ワールドカップ最終予選に進出していた。 ビッグゲームで国立競技場が満員になるのは、当然の事となっていた。 半年前のナビスコカップで、各クラブにサポータ集団が登場していた。 テレビサッカーが採り上げられる頻度は格段に上がっていた。 繰り返すが、それぞれは大変な歓喜を伴うものだった。でも、私はあの試合を観ながら、何か白けていたのだ。 もちろん、井原はいつもの通り最高だった。木村和司も体調は上々の模様で、相変わらず愉しい選手だった。当時

  • 嬉しいけれど驚きじゃない: 武藤文雄のサッカー講釈

    決勝点直前、今野がズドドドドドドドと前進し、右後方から今野を追い抜いた長友にパスを出した瞬間、「長友決勝ゴ~~~ル!」と喜ぶ準備をしたら、センタリングを選択したので「あ~~~、こりゃ、いか」と「か」くらいまで思った瞬間に、香川のシュートがネットを揺らした。 長友の、あの場面のセンタリング、その後終了間際の焼け気味?のシュートっぽい一撃、それぞれの選択を考えると味わい深い。ともあれ、後半に頻繁に見せてくれた左サイド突破と合わせ、この男の縦に出る早さと速さは正にワールドクラス。香川の格段のボールコントロールと合わせ、世界のトップクラスから個人技で得点できる時代の到来を素直に喜ぼう。もちろん、ズドドドドドドドに加えて、超フリーだった事を正確に把握して、落ちついて周囲を見た今野も最高さ。 決勝点直後、今野があまりに嬉しそうにガッツポーズをしながら疾走するので、カメラマンが勘違いして今野を執拗に追い

    tachisoba
    tachisoba 2012/10/15
  • 残念な試合: 武藤文雄のサッカー講釈

    ちょっと記憶にないほど、残念な試合だった。 確かにドイツは強かった。6番と10番のドイスボランチの強さと上手さなど、近々、この2人は澤と阪口の域に達するのではないかとも、思ったほどだ。 しかし、序盤の3失点は、ドイツが優れていたから入ったものではなかった。単に日の2センタバックが常識的な事、韓国戦までやれていた事ができなかったら失ったものだった。1点目は、ロイボルツが速かった訳でも狡猾だった訳でもなく、単に土光が油断してロイボルツのフリーランに気がつかなかったためだった。2点目も、マロジャンが強かった訳でも巧みだった訳でもなく、マロジャンと正対した木下の腰が引けていたためだった(土光のカバー意識の欠如も痛かった)。さらに3点目は、ロッツェンのヘディングの位置取りがよかった訳でも高かった訳でもなく、日の選手達がロッツェンを見失っていたためだった。あの場所はセンタバックが押さえなければいけ

    tachisoba
    tachisoba 2012/09/06
  • スペイン戦勝利を喜ぶ: 武藤文雄のサッカー講釈

    女子は、キッチリと1勝1分けのスタート。2試合とも、90分間のスタミナが続かなかったのは、準々決勝以降に合わせているからの好材料と見る。ただ、スウェーデン戦の終盤、全体がエネルギ切れになっていたにもかかわらず、前線の選手が無理に「前に前に」行ってしまった事は不安材料。結果が欲しい大儀見と岩渕が、よい意味での欲を出したと前向きに捉えておこうか。 いずれにしても、カナダ戦の前半にしっかりと2点奪ったところで、1次リーグは完了し、準々決勝以降の調整を始める事ができたようなもの。 1次ラウンドは1位でも2位でも、対戦相手的にはあまり影響はない。ほぼ間違いなく合衆国が1抜けするので、決勝までの同ブロックになるのは、英国、ブラジルのいずれかと、フランス、スウェーデンとなる。 この中で戦闘能力が落ちそうなのは英国だが、地元と言う利点があるので、厄介な事は変わりない。ただ、歴史的な経緯からチームとしてのま

    tachisoba
    tachisoba 2012/07/29
  • 豪州代表の矜持: 武藤文雄のサッカー講釈

    最初にニール選手にお詫びいたします。恐れ入りました、あなたのプレイは今なお最高級で、一方我らが香川はまだまだでございました。 日本代表サポータとしては不満の大きい試合だった。ただ、誤解して欲しくないが、審判への不満ではなく日本代表への不満である。詳細は後述する。そして、サッカー狂としては、ニール達の勇気と奮闘に、心底感動する試合でもあった。 とても悔しい試合だったが、引き分けは妥当、いや幸運だったと考えるべきだろう。敵が己のよさを前面に出す試合を挑んできて、我々はそれをそのまま受け止めてしまった。さらには、完全に敵を殲滅する好機を掴んだにもかかわらず、その好機をみすみす逸してしまった。これで、しかも敵地で、勝ち点3をとれなかったのは仕方がない。 サッカーと言うものはそう言うものだ。我々は勝ち点3を失うべくして失った。もちろん、審判団の異常な判定がなければ「不思議の勝ち」を収められた可能性は

  • 遠藤復活: 武藤文雄のサッカー講釈

    開始早々の事だった。キックオフから攻めこもうとした日の攻撃をヨルダンがはね返し、やや落ち着かない時間帯。ハーフウェイライン手前でボールを受けた遠藤が、右斜め前方約15mの長谷部へ、鋭く球足の速いグラウンダのパスを通した。 タイミングといい、強さといい、抜群のパスだった。 これを受けた長谷部が前を向いた瞬間、日の「フェスタ」が始まった。そして、私は今日の大勝を確信した。遠藤は必ずしもオマーン戦では調子とは言えなかった。しかし、この長谷部へのパスを見て、「今日の遠藤は違う、あの全軍を支配する遠藤が帰ってきた」と確認できたからだ。 以降、遠藤のプレイは冴えわたる。 5分、右サイドから中央に鮮やかな動き出しでペナルティエリア中央に飛び出してきた岡崎にピタリとロブを合わせる。岡崎は落ち着いて胸でトラップし、振り向きざま強烈なボレーシュートを放つが、ヨルダンGKシャフィに見事なセービングで防がれ

  • 1986年3月22日西ヶ丘競技場: 武藤文雄のサッカー講釈

    1986年3月22日土曜日。85-86年JSL最終節、三菱対全日空戦。私にとって、シーズン最後の観戦となる試合だった。 このシーズンはとてもよいシーズンだった。 日があと一歩でワールドカップに到達するところまで行った(「メキシコの青い空」、あの「木村和司の直接フリーキック」)。清雲栄純監督が率い岡田武史が主将を務めた古河が、ゾーンディフェンス、前線からのハイプレス、サイドを使った高速カウンタと、今日でも通用しそうな組織的なサッカーを見せJSLを制した(翌年古河はアジアチャンピオンズカップも制覇する)。元日には、木村和司がリーグでの不振のうっぷんを晴らすようなプレイを見せ、日産が技巧あふれるサッカーで若きMF鈴木淳を軸としたフジタを圧倒、天皇杯を高々と上げた。 このシーズンはとてもよいシーズンだった。 けれども... 試合開始前の整列。我が目を疑った。全日空の選手が足りないのだ。キックオフ

    tachisoba
    tachisoba 2012/05/11
  • 選手風間八宏: 武藤文雄のサッカー講釈

    正式発表はされていないものの、「フロンターレの新監督が風間八宏氏に決まる」との報道が、もっぱらである。この人事の是非についても、講釈を始めればキリがなかろう。しかし、類似の試みは、おそらくあちらこちらで行われるだろうから、私は全く異なる切り口で講釈を垂れたい。 選手としての風間八宏への想いである。 今でも再三話題になる、地元開催だった79年ワールドユース。 風間は清水商業高校3年でメンバに選ばれ、定位置を確保して中盤で活躍した。このチームは主将の尾崎加寿夫や守備の中核柳下正明らが、学齢で風間の2つ上。1つ上には、水沼貴史、田中真二、柱谷幸一らがいた。風間は、鈴木淳、名取篤と共に、最も下の学年で選考され(高3トリオなどと呼ばれたのが、時代を反映していて懐かしい)、定位置も確保していたのだから、能力の高さが伺い知れると言うもの。 このチームは変則の4-4-2の布陣。中盤はボランチに脚力のある田

  • 個人能力で殲滅: 武藤文雄のサッカー講釈

    先日の敵地マレーシア戦で、このチームの戦い方は大幅に改善、いや改革された。 シリアとの2試合が典型だったが、せわしなく前にボールを出す事を急ぎ、簡単にカットされては逆襲速攻を許し、自ら状況を苦しくしていた。過去40年近く、色々なサッカーを堪能してきたが、「敵のよさを引き出すサッカー」を全力で、しかも2試合続けて同じ相手に演じるチームを見たのは初めてだった。これはこれで経験である。 しかし、この個性的極まりないサッカーは、先般の敵地マレーシア戦で封印された。扇原を軸に、中盤でじっくりつなぐ、当たり前のサッカーに切り換えたのだ。結果、危ない場所でボールを奪われて、逆襲をらうリスクは減ったし、敵陣に近づく頻度は減ったが、敵陣を脅かす頻度は、格段に向上した。 ただし、残念な事に、改革以降このチームはまだ2試合目。連携不備と言うよりは、「チームとしてどう崩して、どう得点を奪う」と言う概念が、まだ全

  • マイナスからのスタートだけれども: 武藤文雄のサッカー講釈

    五輪代表は、まあ「まともな試合」を見せてくれた。とは言え、この最終予選に入って以降、「まとも」と言ってよい試合を見せてくれたのは、初めてなのだから、評価すべきなのだろう。 今までのようにせわしない攻撃ではなく、扇原がテンポを1回落とした「当り前のサッカー」を見せてくれた。もちろん、今までのやり方が滅茶苦茶だったから、積み上げた連携は皆無に近く、せっかくの「緩」から「急」への変化は、ほとんど見られなかった。しかし、個人能力で崩せる確率は、「緩」で攻め込む方が、「急」ばっかりよりは、格段に高まる。そのため、大迫、扇原、酒井の圧倒的な個人能力で、得点を重ねる事に成功した。 4点差と言う結果も、合格点だろう。もちろん、贅沢を言えばきりがない。後半序盤に4点差として、しかも前半からじっくりとボールを回した事でマレーシアが相当疲労していたのだから、もう2点くらいは欲しかった。ただし、現実的には大迫と扇

  • まずは関塚氏更迭から: 武藤文雄のサッカー講釈

    試合が1対1のまま進む。 ラスト5分になり、当然のようにシリアは猛攻をしかける。したがい、日としては分厚く守って、落ち着いて時間を使いたいところだ。駆け引きや判断に不満山積のこのチームだし、この日もここに至るまでの試合運びには嘆息だらけだったが、敵地クウェート戦の終盤はちゃんと試合をクローズした実績もある。 実際敵エースのアルスマに対しては、粘り強くマークしていたし、こぼれ球も落ち着いて拾えていた。「山田直輝と東と永井の3人が、いつも無理せずに、もう少し時間を稼いでくれればよいのに」と言うあたりが、不満ではあったが。 日のクリアに対し、シリア2番の主将でセンタバックの大黒柱アルサリフが挙動を開始する。ある意味では最も恐ろしい選手だ。ところが、そばにいる山田直輝の対応が遅い、イヤな予感がした。アルサリフは、山田が遅れた寄せに対し、強引なシュート。ドライブのかかったシュートに権田は的確に反

  • FC東京の「格」: 武藤文雄のサッカー講釈

    TwitterでFC東京2点目時の間違いを指摘されたので、若干修正しました。2012年1月3日) 2011-12年シーズン、天皇杯決勝。4-2でFC東京が京都サンガに快勝した。 試合はおよそ決勝戦らしからぬ落ち着かぬ展開となった。東京が立ち上がりに、ルーカス、石川直宏の突破から好機を掴んだのに乗じ、一気に攻勢に出る。それに対して、サンガも攻め合いを受ける形となった。そして、いきなりサンガが先制。落ち着かぬ東京の隙を突いたサンガのショートカウンタ、今野が鋭い寄せを見せたが、不運にも今野に当たったボールがフリーの中山の前にこぼれたところで勝負ありだった。この失点直後も、東京は何を焦った無理攻めを継続、サンガの逆襲をらうなど、非常に不安定だった。 その不安定の危機を救ったのは、石川直宏と今野だった。強引な攻め込みからつかんだCK、石川がショートコーナからファーサイドにゴールに向かって巻くボー

  • 2011年10大ニュース: 武藤文雄のサッカー講釈

    1. 女子代表世界一 世界一、世界一だよ。あの胸に輝く美しい星。 でも、質的な問題は何も解決していない。中学高校世代のプレイ環境、トップ選手達の収入(今の代表の方々が稼ぐのを見るのは嬉しいけれど)。 今日の紅白歌合戦、明日のビッグゲームを控えたレオネッサの選手達が自チームのユニフォームを来て揃って登場、司会者は「なでしこジャパン」と紹介した。出演経緯が見えてしまう安っぽさ極まりない演出だった。 澤は日最高のアスリートだ。試合前日の夜にテレビに出るのは大反対だが、出るならば相応の重厚さで出なければならない。美しいイブニングドレスをまとい、AKB全員を従えて出る演出くらい要求しなければ。 この世界一を利用して、女子サッカーのプレゼンスを上げる事に、もっともっと我々は貪欲になるべきであろう。 2. アジア制覇 アジアカップ優勝したり、韓国を3点差でチンチンにしたくらいで、10大ニュースに選ぶ

  • 木村和司監督解任に思う: 武藤文雄のサッカー講釈

    昨日の天皇杯準決勝、120分間の中澤佑二と中村俊輔の胸打つ努力にもかかわらず、マリノスは敗れた。4対2になった瞬間に、テレビに大映しになった木村和司監督の絶望的な表情は何とも味わい深いものだった。正に日サッカー史に残る名場面。サッカーの神は、過去幾度も幾度もこの3人に提供してきた微笑みを、彼らではなく18歳の若者(とその仲間達)に提供したのだ。 この場面が美しかったのは、マリノスの試合振りがまた見事なものだったからだ。大ベテラン2人を軸に、丁寧にしぶとくサンガ陣を狙い続けたのだが、サンガの執拗な組織守備を破り切れず。そして、マリノス守備陣の弱点を幾度も突かれ、失点を重ねてしまった。サンガにバーやポストを叩く決定機が得点場面以外にもあったのは確かだが、昨日も述べたように後半半ばの秋のプレイは退場以外あり得ないものだったのだから、マリノスは誠に不運だった(個人的には、この判定ミスはロスタイ

  • 書評「監督ザッケローニの本質」: 武藤文雄のサッカー講釈

    年の瀬ゆえ、私が今年国内で出版されたサッカーでは、間違いなくベストと思っている同書について。 イタリア在住の片野道朗氏がアントニオ・フィンコ氏と共著した書は、正に表題どおり、ザッケローニ氏が一体どのような監督なのかを知るのに最適に一冊である。氏の監督としての経歴を丹念に描写した上で、それに関係した選手、フロント、同僚のコーチングスタッフらのインタビューを加え、ザッケローニ氏のインタビューで終える構成となっている。フィンコ氏はザッケローニ氏との親交が深いイタリアテレビ局の記者との事だが、インタビューの多くをフィンコ氏が担当し、片野氏がそれらの翻訳とザッケローニ氏の経歴を述べる文を担当する役割分担で、このは作られている。 ザッケローニ氏のプロ監督としての経歴は84年に始まる。両親がホテルを経営する故郷の町チェゼナティコの同名のクラブが、セリエC2(実質4部リーグ)から降格の危機に瀕して

  • がんばれレイソル: 武藤文雄のサッカー講釈

    レイソルは拡大トヨタカップ準決勝でサントスと対戦。 言うまでもなく、サントスと言うクラブは、我々の世代にとって、他に代わりなき「夢のクラブ」だ。 バルセロナもクライフがいたので、相当な憧憬の対象である事は間違いない。そう言う意味ではアヤックスは当然の事として、ユナイテッドもバイエルンもボルシアMGもインテルもミランも、それに続く存在だ。 しかし、やはりサントスは、そのようなクラブと比較しても、やはり特別な存在なのだ。 そのサントスと、レイソルが、日のトップクラブが、公式戦で対戦する。世界最強クラブを決める決勝戦への出場権を賭けて。 すごい。 どうでもよい蘊蓄。 72年にサントスが来日した時に、ペレをマークしたのは、山口芳忠だった。言うまでもなく、スッポンマーカとして、メキシコ五輪の栄光にも大貢献した、レイソルの前身、日立所属の日サッカー史に残る名サイドバックだ。当時、「40年後に日立が