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ブックマーク / call-of-history.com (12)

  • 大英図書館、歴史的地図資料18000点をデジタル化しパブリックドメイン公開 | Call of History ー歴史の呼び声ー

    大英図書館(British Library)は、十六世紀から1824年の間に作成された4万点におよぶ地図・図像資料コレクションのうち第一弾として18,000点をパブリックドメインとして公開したことを発表した。 “Hemisphaerium Coeli Australe (Boreale), in quo loca Stellarum fixarum secundum Æquatorem, per ascenciones ad annum 1730 completum, sistuntur, a J.G. Doppelmaiėro; operâ J.B. Homanni.” / Maps K.Top.1.62. 今回公開された資料は英国王ジョージ3世(1738-1820)治世下でまとめられた「王の地形学コレクション” The King’s Topographical Collection

    大英図書館、歴史的地図資料18000点をデジタル化しパブリックドメイン公開 | Call of History ー歴史の呼び声ー
  • 「お前らジャンヌ・ダルクと一緒にいてムラムラしないの?」と聞いてみた結果

    「尊い・・・」ってなる、という記録が実際残されている。 記録を残しているのはゴベール・ティボーという準騎士で1429年三月二十二日、神学者のピエール・ド・ヴェルサイユの共としてジャンヌ・ダルクと面会したことがある人物である。彼はのちに兵士たちに率直に尋ねてみたのだそうだ。「お前らジャンヌ・ラ・ピュセルと一緒にいてムラムラしないの?」と。そしてそのやり取りを以下の通り書き残した。 「軍隊においては、彼女はいつも兵士たちと行動を共にしていた。ジャンヌと親しかった者の多くから直接聞いたことだが、彼女に対して彼らが肉欲を感じることは金輪際なかったという。それはどういうことかというと、彼らが彼女に欲情を抱くことはままあったにせよ、どうしてもそれ以上の挙に出ることはできなかったので、彼らは彼女を欲望の対象にすることは不可能だと信じこむようになっていた。仲間同士で、肉欲を満たし、快楽を刺激するような話を

    「お前らジャンヌ・ダルクと一緒にいてムラムラしないの?」と聞いてみた結果
  • 江戸の庶民の味「天麩羅(てんぷら)」誕生の歴史 | Kousyoublog

    江戸を代表する料理として挙げられるのが「てんぷら」である。「てんぷら」がいつどのように誕生したのか、必ずしも定かではないが、「東京天ぷら料理会 東天会 天ぷらの起源と語源」によれば、「『料理道記』(1669)の「てんふら 小鳥たたきて鎌倉、えび、くるみ、くずたまり」が初出とされ」、「衣揚げの記述は「どじょうくだのごとくきり、くずのこたまこを入、くるみ・あふらにてあげる『料理献立集』(1671)」が最初」だという。一方、原田信男編「江戸の文化」では「寛延元年(1748)の『料理歌仙の組糸』に、「てんふらは何魚にても饂飩の粉まぶして油にて揚げる也」とあるのが天ぷらの文献上の初出」(P132)とされる。前者は言葉だけ、後者はてんぷらそのものを表しているという違いであろうか。 明暦の大火(1657)後の復興過程で、江戸の町には様々な屋台が登場した。特に防災都市化する過程で各地に設けられた火除地

  • 「居酒屋の誕生: 江戸の呑みだおれ文化」飯野 亮一 著

    幕末に日を訪れた外国人が驚いたことの一つに、日人がひどく酒癖が悪いというものがある。例えばヘボン式ローマ字で知られるヘボン(日在住1859~92)は昼間っから酒を飲んで酔いつぶれ、あるいは大暴れしている人びとの多さに驚き、また酔って仕事もままならなくなる日人家事使用人たちに悩まされている。せめて仕事中ぐらいは酒を飲まない労働者を雇えないかと日人商人に尋ねるが、そんな日人を見つけるのは難しいと言われて途方に暮れていた。他の外国人もすっかり出来上がった武士の姿に恐怖を感じている。昼間っから刀持った酔っぱらいが歩いているんだからそりゃ怖い。ヘボンに遡ること三百年、ルイス・フロイスも戦国時代の日人の酒癖の悪さを書き留めていて、もちろん欧米でも酔っぱらいは多かったものの、西洋人からは日人の酔い方は度を越して酷いと見られていた。 武士も町人も昼間っから酒を飲んで仕事もそこそこに、そこら

    「居酒屋の誕生: 江戸の呑みだおれ文化」飯野 亮一 著
  • チンギスの称号はカン?ハン?カーン?ハーン?

    モンゴル帝国の建設者、「蒼き狼」の異名でも知られる歴史上屈指の「世界征服者」というと、チンギス・・・カン?ハン?カーン?ハーン?ということで、混乱する彼の称号について簡単にまとめ。 歴史学上正しい呼び方はチンギス・カン結論からいうと、歴史学上正しいのは、ちょっと前までチンギス・ハンだったが今はチンギス・カンである。 「カン(ハン)」はトルコ系・モンゴル系遊牧民が用いていた称号で王や族長を表す。ここでやっかいなのがモンゴル語の発音では丁度「カ」と「ハ」の間の発音であることで、時代によってカに近かったりハに近かったりするが、近年の研究でチンギスが生きていた十三世紀は「カ」に近い音だったことがわかった。一方で、現代モンゴル語ではカンではなくハンと発音するが、モンゴル史では当時の発音に則ってほぼ「チンギス・カン」と呼ぶことが定着しつつある。 また、「カーン(ハーン)」について、それぞれの部族の長が

    チンギスの称号はカン?ハン?カーン?ハーン?
  • 箸食誕生の歴史

    箸の誕生箸は黄河流域で誕生した。現在見つかっている最古の箸は河南省安陽県の殷墟(紀元前十八世紀~紀元前十一世紀)から出土した銅製の箸だが、当時は手であったことは明らかであることから、事用ではなくべ物を取り分ける、あるいは祭祀用のものだと考えられている。 おそらく黄河流域では、『獣肉や野菜を包丁と俎でべやすい大きさに料理してべていた。べるときに、フォークや匙でなくて、手の感覚を延長して、汁の実などを挟みあげたくなったのであろう。熱いべ物を取り出すのに、指先に代わる竹ぎれか木ぎれを使ったのが、箸の始まりといわれる。一の棒ではべ物を固定できないので、二でそれをしっかり挟み上げるようにしたのである。』(向井、橋「箸 ものと人間の文化史102」) これが直接箸を使ってべ物を口に運ぶようにはならなかった。箸は、事を取り分けたり、調理する際に箸を使って固定したりする用途に使

  • 「心霊の文化史ースピリチュアルな英国近代」吉村 正和 著 | Call of History ー歴史の呼び声ー

    十九世紀半ばから二十世紀初頭にかけて英米を中心に隆盛を迎えたのが心霊主義(スピリチュアリズム)である。近代的な思想運動として始まった心霊主義は第二次大戦後衰退するものの、60年代のニューエイジ、70年代のオカルトブーム、80年代以降の新宗教運動などを始めとして文化、学問、思想など現代社会の隅々に大きな影響を残している。その心霊主義はどのような過程で広がっていったのか、十九世紀の心霊主義進展の見取り図を描く一冊である。 心霊主義の見取り図といっても、その範囲はあまりに広く、その思想は限りなく深く難解だ。様々な研究書・概説書が出ており、そのアプローチは多様である。書では心霊主義を『合理主義という時代環境の中で誕生史、成長し、変容していった<自己>宗教の一つ』(P9)と捉え、『心霊主義の社会精神史的な意義を(ⅰ)骨相メスメリズム、(ⅱ)社会改革、(ⅲ)神智学(ⅳ)心理学(ⅴ)田園都市という五つ

    「心霊の文化史ースピリチュアルな英国近代」吉村 正和 著 | Call of History ー歴史の呼び声ー
  • 「戦国自衛隊」半村 良 著

    映画はもう子供のころから何度となく観ていたけれど、原作小説は読んだことがなかったという作品の一つだったのだが、ついに読んだ。やはり日SF黎明期を代表する一作で、1971年の発表直後からベストセラーとなり、戦国時代へ自衛隊がタイムスリップして大活躍というプロットは多くのフォロワーを生んで、歴史改変SF、架空戦記小説ブームの火付け役となった。軽い気持ちで読み始めたのだけど、実は適切な軍事考証、歴史考証がなされ、かつ、きちんとエンターテイメントの王道行くので凄く面白いのだ。 魅力の一つには軍事考証へのこだわりがある。映画だとさくっと一小隊がタイムスリップするのだが、小説ではタイムスリップに至る米軍・自衛隊合同演習に向けた各方面軍の展開が描かれ、主人公たちの部隊がどのようにタイムスリップの現場へ終結していくかが描写されている。この辺、ミリタリーファンにはたまらないのではないだろうか。 最初の出だ

    「戦国自衛隊」半村 良 著
  • 1707年グレート・ブリテン連合王国成立に至るスコットランド・イングランド対立の歴史

    スコットランド王国成立前史およそ八世紀頃までにスコットランドには主に五つの民族が定住するようになった。ピクト人、スコット人、アングル人、古代ブリトン人、ノース人である。他にもノルウェー人やデンマーク人なども移住してきており、それぞれ複数の王国、部族に分かれて争っていたが九世紀半ばにスコット人のダルリアダ王ケニス・マカルピンがピクト人を支配下に治め(あるいはスコット人とピクト人の統合によって)アルバ王国が成立し1034年までに諸民族を糾合、十二~三世紀頃までには現在のスコットランドにあたるブリテン島の北半分にはスコット人の王に従う統一王権スコットランド王国が誕生していた。 1066年、ノルマン・コンクエストによってノルマン朝が誕生すると、スコットランド王国との間で幾度かの戦闘ののち、友好関係が成立した。デイヴィッド1世(在位1124~53)の代に先進的なイングランドの国制に倣って封建制の導入

    1707年グレート・ブリテン連合王国成立に至るスコットランド・イングランド対立の歴史
  • 十六~十七世紀、海を渡った日本人~倭寇、奴隷、傭兵、朱印船、キリシタン | Call of History ー歴史の呼び声ー

    十六世紀から十七世紀、戦国時代中期から江戸時代初期にかけて、多くの日人が海を渡り、東南アジアから東シナ海にかけて様々な活動を行った。海を渡った日人はどのような人々だったか、大きく(1)倭寇(2)武士・雑兵(傭兵・奴隷)(3) 商人・労働者(4) キリシタンの四つに分けられる。もちろん、分けられると言ってもその境目は厳密ではない。むしろ、その重なり合っている様がまた時代性を表してもいる。 (1)倭寇倭寇とは何か倭寇の活動は大きく二期に分けられる。前期は高麗で史料上倭寇という言葉が頻出しはじめる1350年ごろから十五世紀末にかけての時期で、1375年ごろから活動が頂点に達し、朝鮮半島沿岸を襲い、略奪・殺戮を繰り返した。最盛期には300~500艘の船団を形成し、千数百の騎馬隊と数千人の歩兵を乗せ女性や子どもを伴っていたという。1419年、倭寇の根拠地となっていた対馬に李氏朝鮮が大規模な討伐軍

    十六~十七世紀、海を渡った日本人~倭寇、奴隷、傭兵、朱印船、キリシタン | Call of History ー歴史の呼び声ー
  • 「アンネの日記」真贋論争~偽書説が科学的検証を経て否定されるまで

    「アンネの日記」が何者かの手によって都内図書館で多数破られているというニュースが次々と報じられている(2014年2月)。サイモン・ヴィーゼンタール・センターによる批判を皮切りに海外メディアでも報じられて、国際問題の様相すら呈しつつある。 この事件については当局の適正な捜査を見守るだけだが、これを切っ掛けにふと「アンネの日記」を色々と検索してみると、未だにアンネの日記偽書説がインターネットに広がっているようだ。え?今更?としか思えないのだが、結論から言うと「アンネの日記」は1981年にオランダ国立戦時資料研究所とオランダ国立法科学研究所による科学的調査の上でアンネ・フランクが書いたものと確定している。この件、日ではwikipediaに軽く触れられている程度で、インターネット上にはテキストが見当たらないので、これを詳説したオランダ国立戦時資料研究所編「アンネの日記 研究版」(絶版)をもとに改

    「アンネの日記」真贋論争~偽書説が科学的検証を経て否定されるまで
  • なぜお相撲さんといえば「どすこい」なのか?

    相撲甚句とは何か相撲甚句は地方の神前相撲やお祭りの相撲大会から大相撲まで、その開催時に唄われる甚句(七七七五調の俗謡の一種)で「一つ拍子」と「三つ拍子」があり、地方の神社などで行われる祭礼では唄にあわせて踊り(相撲踊り)が行われるのが普通である。 相撲甚句の動画 「甚句」とは何かその発生には諸説あるが、有力なのは十八世紀初頭、安永から享保にかけての時期(1704~36)に関西地方で流行した「兵庫口説」のなかの長崎の呉服商ゑびや甚九郎の物語をうたった「ゑびや甚九」という叙事歌謡が「甚九郎節」として瀬戸内海沿岸から日海沿岸に広まり、やがて北前船の船乗りを通じて東北から日全国に広まるなかで、盆踊り唄の一種としての「甚句」へと発展したという。(山田P106-107)「口説(くどき)」は同じことを”くどい”ほど繰り返す意味で、短い節回しに歌曲の一節を何度も繰り返して唄われる。要するに十八世紀の流

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