私が「(1)」を発表したのは11月8日でしたが、早くも10日には與那覇潤氏がその記事に対する反論として「嶋理人さんへの警鐘:呉座勇一氏の日文研「解職」訴訟から考える③」(以下「與那覇4」と略します)なる記事を発表し、さらに私がさまざまな所用で先の記事の続きを書かずにいる間の15日には「専門家を名乗る学者が起こす「専門禍」:呉座勇一氏の日文研「解職」訴訟から考える④」(以下「與那覇5」と略します)を発表していました。さらにようやく私が23日に「(2)」を公開したところ、それに対して27日に與那覇氏が「オープンレターがリンチになった日:呉座勇一氏の日文研「解職」訴訟から考える⑧」(以下「與那覇6」と略します)を矢継早に発表されています。 私はこの間、「與那覇4~6」については発表から数日後には存在を知って読んではいましたが、所用も重なっていましたし、直接の反論は控えてきました。その間書いていた