もはや、身体はボロボロだった。走れない。動けない。MF青山敏弘の苦しみは、極限に達していた。MVPを獲得し、優勝も果たし、頂点に達した2015年。しかし、肉体の崩壊はその直後から襲われていた。 走行距離は常に12キロ前後。データからは「走れている」。だが、青山自身が悩んだのは、自分の思い描いた時に、自分が望むスピードで走れるかどうか。それが全くできない。やろうとしているのに、身体が動いてくれない。「エンジン」。恩師であるミハイロ・ペトロヴィッチ監督(現北海道コンサドーレ札幌監督)が愛を込めてつけてくれた愛称にふさわしいプレーはもう、できなくなっていた。 心技体。アスリートを支える三原則である。その一つが崩れれば、当然、他の二つにも影響を及ぼす。青山の場合は肉体の崩壊から始まり、それはメンタルを突き崩した。 MF森崎和幸のアドバイスすら耳に入らなくなった。自分がどんなプレーをしていたのか、試