1942年6月のミッドウェー海戦での敗戦により、日米の形勢が逆転して以降、日本軍の拠点は次々と米軍に奪われていった。この猛攻をぎりぎりのところでくい止めていたのは、ソロモン諸島に展開する海軍航空部隊の搭乗員たちだった。 この劣勢を逆転するため、1943年6月16日に決行され、のちに「ルンガ航空戦」と名付けられた総攻撃では、手痛い敗北を喫し、多くの腕のいいベテランパイロットを失う。 この一連の戦いを担った部隊は、のちに編成された特攻専門部隊よりはるかに多くの搭乗員が犠牲となった。彼らはそのなかで、何を見て、どう戦っていたのか? 戦局の転換点となったルンガ沖航空戦 太平洋戦争中期、昭和18(1943)年2月、日本軍は約半年にわたって激しい攻防を続けていたソロモン諸島のガダルカナル島から撤退。連合軍はここを足がかりに、日本軍の一大拠点であるニューブリテン島ラバウルを窺い、さらなる攻勢を強めようと