大西の願いは叶ったのか? ところで、大西が前述の多田力三中将に特攻構想を明かした際、多田が強く反対していたら、どうなっていただろうか。それでも、まず間違いなく、特攻は遂行されただろう。なぜなら、特攻は一人大西だけでなく海軍上層部の意思だったからである。 いかに海軍航空部隊育ての親の一人といえども、大西は一中将である。大西一人では、作戦の成功=死という「作戦」を始めることはできたとしても、それを組織的に継続することは不可能であっただろう。 たとえば1944年10月25日に「敷島隊」が突っ込む前の同月13日、軍令部作戦課参謀だった源田実が起案した電報には、「神風特別攻撃隊」の隊名として「敷島隊」「朝日隊」等が記されている。 また軍令部作戦部長だった中澤佑少将によれば、大西はマニラ着任前、及川古志郎軍令部総長に会い、特攻の「諒解」を求めた。同席した中澤によれば、及川は「諒解」し、「決して命令はし